1-7「夜が息を引き取る前に」

 双子は災いを呼ぶ存在とされており、沙智さち、柚沙と名付けられた僕たちも忌み子と呼ばれていたらしい。大昔に存在したかごめ様が双子だったから、同じく双子として生まれた子どもは災いをもたらすと考えられている。


 現在、兄は村人のひとりとして社会に溶け込んでいる。それは父の働きによるものが大きかった。村人に媚びへつらい、その結果、兄だけが人権を獲得した。


 かごめを連れて逃げた日の翌朝、人の話し声で目が覚めた。


 どうやら家に人が訪ねてきているようで、居間のほうから父と兄、それから聞き覚えのある声が聞こえてくる。僕はなるべく自分の存在が認知されないよう、布団を被ったまま息を潜めた。


 吸い込む空気の量を減らす。ゆっくりと目を閉じて、空気と一体化する。心臓が音量を下げていく。そうすると自分という存在が希薄になっていく。


 長男長女だけを優遇する慣習の背景には、人口を抑制するという目的があるらしい。作物が育ちにくい上に外部との繋がりが薄いこの村で、人口が一定を越えれば食糧難に陥ってしまう。


 その方法で人口を抑えても、現在のように呪いを抑えられなくなってしまえば村人は満足に食っていくことができない。子を切り捨てる行為は、不況に対処するための最終手段だ。


 僕のような子どもは、勝手に病死や餓死することが推奨されている。実際、家族から弾かれた子どもの多くは死を受け入れ、家族のために死んでいる。


 だから一年以上にわたって生き延びている僕はこの村で異質な存在だと思う。


 音を立てないようにしていると、居間の会話が自然と耳に入ってくる。「生贄」という言葉を聞いたとき、思わず声を出しそうになった。


 この家の裏手には小さな蔵がある。かつては物置として機能していたが、現在では全く人の出入りがない。だからかごめを一時的に匿うには好都合だった。


 父は姉のものだった部屋を物置に使っているから、今では蔵の存在すら忘れかけていることだろう。


 一緒に蔵で夜を越すことも考えたが、毎日家で寝泊まりしている僕が、この緊急事態にだけ外出しているというのはどう考えても怪しい。だからかごめだけを蔵に入れ、自分は普段どおり自室で過ごすことにした。


 暗闇に放置されることをかごめは怖がっていたが、他に適切な隠し場所は見つからなかった。


 少しだけカーテンをずらし、窓から家の外を覗いてみる。部屋から見える畑に人の姿はない。次の農期に備えて準備が進められていたはずの田畑は、中途半端な状態で放置されている。


「だから、巫女の捜索に協力してほしいんですよ」


 居間から聞こえる声の主は籠原と、その上司である石郡だった。「ああ、協力しよう」そう答えた父の声は少し震えている。


「かごめ様の呪いは早急に鎮めなければならない」

「我々は安曇さんと猟師会の方々で森を探索します。伊柄さんたちは村の――」


 石郡のはっきりとした声は、わざわざ扉に張り付かなくてもよく聞こえた。この家にかごめがいることには気づかれていない。でも、村中の家々を探し回られれば、見つかるのは時間の問題だ。


 この様子では、捕まれば今度こそ確実に殺されてしまうだろう。


 警官たちが出ていったのを確認し、僕は音を立てないように部屋の扉を開けた。廊下に出ると、父の慌ただしい様子がより鮮明に伝わってくる。


 このまま玄関に向かえば鉢合わせる可能性があったため、僕は姉の部屋から窓を伝って蔵を目指すことにした。


 姉の部屋は使わなくなった家具や備品が放置され、彼女が生きていたころの面影はどこにも感じられなかった。母が死に、僕が捨てられてからは家の掃除もままならないようで、この部屋はとりわけ埃がひどく、咳き込みそうになった。


 窓を開き、部屋から持ってきた靴に足を通す。姉の部屋は家の裏に繋がっており、数メートル離れた場所に蔵がある。かごめの様子が気がかりだ。


 地上に足を付けたとき、肩ほどの高さしかない塀の向こう側に籠原の姿が見えた。ふいにこちらを振り返ったので、僕は思わず動きを止める。


「あれ、籠原さん、こんなところで何してるんですか?」


 慌てて紡いだ言葉が喉の奥で詰まったようになって、少し焦った。彼は特に気に留めなかったのか、「あー」、困ったような表情を浮かべた。


「安曇さんとこの娘が行方不明なんだってよ」

「行方不明?」

「あ、お前、よく神社に行ってただろ? 昨日は行かなかったのか?」

「行ったけど、宮司の娘は見てないよ」


 嘘を吐いたことに気づかれれば、この家に本格的な捜索が入る。そうなればかごめは簡単に見つかってしまうだろう。


 神社に入るところを人に見られているため、下手な嘘は吐けない。


「……ってか、あそこの子、生贄にされたって聞いたけど。だから死んだんじゃないの」


 ああ、と籠原は空を見上げて言った。「知ってたのか」続けて眉尻を下げ、気まずそうに顔を歪める。彼もこれは本意ではないのだろう。


「死体がなくなったんだと。かごめ様が死体を攫ったことはないって、宮司さんが大騒ぎだわ」

「そもそも生贄ってなんだよ。そんなの、犯罪じゃん」


 口に出してから、今のはよくなかったな、と思った。あまりかごめを擁護しすぎては怪しまれる。だから、それ以降に胃の底から沸き上がってきた苛立ちみたいなものは、空気と一緒に飲み込んだ。「だよな」、と籠原は空を見上げて言った。


「俺だって本当はこんなことしたくねえんだよ」

「うん、わかってる」

「とりあえず見つけたら一応俺に教えてくれよ」

「わかった」


 ここは頷くしかなかった。彼も宮司には逆らえない。この村の住人の生活を握っているのは宮司だった。彼のひと声で籠原の生活が崩壊しても不思議じゃない。


 籠原が去っていくのを見送ったあと、周囲に人がいないことを確認し、「かごめ」、蔵に向かって声をかけた。


「はーい」

「無事?」

「変わらずだよ」


 玄関の扉の音がして少し焦ったが、音の主はまたすぐに家を出ていった。遠ざかっていく足音を聞き、息を吐き出す。


「今夜村を出よう」


 一瞬の間があって、「出る?」かごめが戸惑ったように言った。そういえば、彼女は現在の村の状況を知らないんだった。


 かごめ様が生贄を持ち去ることはないとされていること、それから宮司の命により村人総出でかごめを探していることをかいつまんで教えてやった。


 田畑が中途半端な状態で放置されているのは、かごめ様の呪いを鎮められなかったことが発覚し、生贄を探すほうが優先と考えられたからだろう。


 いつの時代も呪いは強力だったそうだし、僕だってあの祠で現世のものとは思えない少女を見た。たぶん、幻覚ではない。


 とにかく村人たちが本気でかごめを探している今、行く先がなかったとしても、とにかく村を離れることが第一優先だ。山を降り、麓の街まで行くには、徒歩だと五、六時間は掛かる。


 だから夜のうちに村を出て、始発でこの地を離れるほうがいい。


「東京」、とかごめが呟いた。


「東京?」

「東京で、叔父さんが医者をしてるの。行けば、匿ってくれるかもしれない」


 九州から東京まで、どれくらいの交通費が掛かるのだろう。幼いころ、家族と旅行したときは飛行機を使った。一銭も持たない僕たちにその選択肢はない。そもそも、村を出たとして、数日の飲食もままならないだろう。


 でも、東京に行けばかごめが助かるかもしれないという希望は見えた。


「わかった。お金はどうにかする」

「あるの?」


 その問いには答えなかった。


 貯金があればもっと楽に生活していたはずだし、縁を切られてすぐに森で食べた山菜で体調を崩すこともなかった。


 かごめが家に帰ってお金を取ってくる、というのは現実的ではない。


 この日の夜、父親が寝たのを確認し、財布からありったけの金を抜いた。かごめを連れて歩く夜の山道は果てしなく、永遠に麓などたどり着けないような気がしてならなかった。

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