第36話

 話が違う——強化外装を着用したアントンは嗤う白騎士の女と相対しつつ歯を軋ませる。

 ただの戦術助言役として、派遣されたはずだった。もちろん第七コロニー外の任務という事で忠告は受けていた。敵地に赴けば、時に危険が伴うのは兵士の常だ。だからこそ、それを避けるための苦労を省いた記憶はアントンにはない。

 第四コロニーでの大きな潜入任務の直後、帰路の最中に追加された極短期間の派遣命令を承った時は、こんな形の終わりを想定していなかったのに。

 白騎士の女が嗤いながらアントンに襲いかかる。歴戦の兵士たるアントンにも真似できない、馬鹿げた外装出力と腕力による突進攻撃——強化外装でも有り得ない程のパワーとスピードが、アントンに回避を許さない。鉈剣を両手で構えて、暴乱の戦斧に渾身の一撃を加える。

 それだけで機体ごとアントンは吹き飛びそうになるが、なんとか戦斧の軌道を逸らすのに成功していた。

 間髪入れずに恥も外聞もなく後方に飛ぶ。そこに生き延びたという実感を味わう暇もない。バランスを崩して両膝を着いてしまうが、直後に返しの戦斧が目前を通り過ぎていく。

 押し寄せる死の旋風が、アントンの背筋を凍らせた。

『捌きましたかぁ、これを。では、これは如何ですの?』

 アントンの頭上に、おぞましく巨大な斧が振り下ろされる。少しも息を吐かせてくれない白騎士に苛立つが、迫る縦振りの乱風が回避を止める事を許してくれない。膝を着いたまま無理矢理に背部スラスターを噴射し、強引に暴風域から機体を遠ざけた。

 爆弾の炸裂の如き黙示録的な嵐が吹き荒れる。やっとの事で体勢を整えたアントンの視界には、クレーターと化した廃屋の名残が映っていた。

『本当に人間か、貴様……』

 アントンの知る限り、これ程の出力が出せる強化外装はない。既に白騎士がブースター剤を接種しているとしても、強化外装の常識を逸脱した馬鹿げたパワーだった。

 やむを得ず、アントンもバックパックからブースター剤を取り出す。第七に到着してから裏ルートで入手した粗悪品だが、ないよりはマシだった。

『どうぞ、お好きにお使いなさいませ。わたくしがその上から叩き潰して差し上げますわぁ』

 てっきり妨害されるかと思ったが、それはないらしい。頭のイかれた白騎士に甘えて、遠慮なく首筋に注射プラグを突き刺す。程なくして視界がクリアになり、血中を駆け巡る薬剤が身体性能を引き上げた。


 鉈剣をだらりと手に持ち、身体を弛緩させる。筋肉をリラックスさせ、白騎士の一挙一動を見逃さぬよう身構えた。

 両者は一転して動かない。一足で襲い掛かれる間合いでありながら、手を出さない。——いや、出せない。

 こちらから行けば間違いなく死ぬ。そんな未来がアントンの脳裏から離れない。動けばその瞬間に白騎士の斧が振られるだろう。頭からかち割られるか、潰されて血の染みになるか。いずれからも逃れられそうにない。濃厚な死の気配がアントンに攻め手を取らせなかった。

 待つ事三分。禍々しいプレッシャーに、アントンは相対しているだけで消耗していく。そして、ついに痺れを切らせた白騎士が動いた。

 巨大な装甲に包まれた左腕が無造作に繰り出す戦斧がアントンの頭に降ってくる。それを見たアントンが、口の端で小さく笑った。

 全神経を集中させて、斧が直撃する瞬間に白騎士の右腕側の懐に滑り込む。

 先程までの交戦で、アントンは白騎士の弱点を見抜いていた。白騎士は防御用の装甲も、攻撃用の戦斧も、どちらもその大きな左腕でこなしている。右腕側は攻防の死角になっており、飛び込んでしまえば大振りな戦斧しか持たない白騎士に打つ手はなかった。

 勝った——勝利の確信と共に鉈剣を振るう。機体性能とブースター剤の力を掛け合わせた一撃が、白騎士に吸い込まれていく。互いの顔すら視認できる距離、躱せるはずがない攻撃。

『死ね——ッ!』


 だから、白騎士……オリヴィアがバイザー下で歯を剥き出しに嗤ったのに、アントンは気付いてしまった。

 怖気立つ殺気が白騎士から発せられる。もう止まれないアントンの顔が驚愕に満ちるのを、オリヴィアは愉悦を持って撃ち砕く。

 死に体となったはずの白騎士の右腕が剛力を宿して振るわれる。装甲に包まれた右掌が、張り手のようにアントンの横っ面にぶちかまされる。

『貴方の旅路に、光あれ』

 凄まじい衝撃と共に、アントンの視界が回転した。

 高速回転する視界に、周囲の状況が掴めない。コロニーの閉ざされた空も、湿っぽい東側区域の地面も、何もかもが回転し、自身の状態すら定かでない。ただ最後に、一瞬だけ首から上のない強化外装を抱えた白騎士が、どす黒い血飛沫を浴びながら壮絶な笑みを浮かべる姿を見た。

 そしてその後、何が起きたのかすら理解する事なく、アントンは永遠にブラックアウトした。

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