第30話

▪️▪️▪️

 結局、二日後になってもベルモンド中尉は戻らなかった。

 やむを得ず、ジンとオリヴィアは二人、第六セントラルホテルへ向かう。

 基本的な交渉役はジンだ。オリヴィアはジンのサポートに回るため、運搬ケースを左手の義手で軽々と運んでいる。

 ジンは深く溜息をついた。請け負った依頼といえ、苦手事なのに変わりはなかった。


 第六セントラルホテルは、西側区域の中でも特に栄えている中央部に位置する。

 ここは政治中枢やコロニー出入口に近く、東側区域に繋がるゲートもそこまで遠くない場所にある。重要施設にアクセスが良く、コロニー内で最大の宿泊施設として存分に雰囲気を保っている。

 高級ホテルであるからして、セキュリティ面も非常に充実している。出鱈目に高い宿泊利用料を除けば、密会にはかなり適している施設と言えた。

 ジンは一人、居心地の悪い思いをしながらホテルのエントランスを抜け、エレベーターに乗る。最初はホテルマンが部屋まで案内を伺い出たが、丁重に断った。

 エレベーターが到着し、チンと電子音が鳴る。フロアは清掃が行き届いており、調度品と合わせて高級感を演出していた。

 ジンはつかつかと目的の部屋の前まで移動する。そして、ノックもせずにドアを開け放った。

「やぁ、これはこれは。随分乱暴なご挨拶ですね」

 部屋の中には特徴的な男が既に待っていた。

 綺麗に撫で付けた金髪に、灰色の瞳が理知的な光を放っている。スーツをきっちりと着込み、その出立ちには一部の隙もない。

 どこか高潔な印象を与えるその男は、ワイングラスに用意された水を軽く口にしながら、対面の席を右手で促した。

「どうぞ、お掛けください。……待ち侘びましたよ、この日を」


 ディートリヒ・アドラーと男は名乗った。

 信じ難いが、政府の執務官の一員として働いているらしい。いや、信じ難いというのはそのような人物がスパイ紛いの行為に勤しんでいる事であって、決して彼が能力的に劣っているのを意味しない。

 むしろ理性を帯びた対応が、これまで暴力の世界で生きてきたジンにとって眩しく映る。

 ディートリヒはグラスに新しくミネラルウォーターを注いでジンに薦めた。

「失礼。この後、業務を抱えているものでして、アルコールは用意しておりません」

「……いや、構わない。今日はよろしく頼む」

「事前連絡ではお二人という事でしたが、何か問題がありましたか」

「俺の相方は交渉向きじゃない。付近には待機しているが、話は俺が聞かせてもらう」

 貰ったグラスに口をつけながら、ジンは目の前の男を改めてじっくりと観察する。

 どう見てもエリート階級だった。落ち着きや振る舞いから見て、高官の可能性もある。

 ジンの視線に気付いたディートリヒが、営業スマイルのように完璧な微笑みを浮かべた。

「——さて。お互いに気になるところはあるでしょうが、時間は左程ありません。早速始めましょうか」

「……ああ。既に聞いているかと思うが、俺達の目的は第二コロニー所属の南極採掘基地の襲撃犯についてだ。入手した襲撃犯の所有品の中に、こちらのコロニーの住民の身分証が発見された。これについて伺いたい」

 ジンが厳重に処理された身分証をテーブルに置く。それを触らないように慎重に検分する。

 ディートリヒは自身の端末も照らし合わせ、一つ頷くとジンに向き直った。

「拝見致しました。——それで、この身分証の持ち主が仮に見つかったとして、どのような対処をご希望ですか?」

「まず、実際に第六コロニーの住民であったならば、第二コロニー政府から非難声明が発表される可能性が高い。それ以降、該当人物をどう扱うのかに関しては、俺は今のところ契約の対象範囲外だ。ただ、世界規模の犯罪に関わる内容だ。……良い事にならないだろうとは推測している」

「ありがとうございます。そうですね、いくつかコレについてはお話が出来ますが——まず、コレそのものについてお話しましょうか。この身分証は偽造品等ではなく、今も実際に使用される物だと断言致します」

「……何?」

「カザキリ殿は交渉役ですが、本業は傭兵で本職ではないとの事。なので端的に申し上げましょう。コレの持ち主は実在し、第六コロニーの者で相違ありません」

 有無を言わさぬ断言に、ジンはむしろ混乱した。

 コイツは何故、自分の不利になるような事実をこうも簡単に公開したのか。

 スパイもどきと言えど、コイツは第六コロニーのために動いているだろうとベルモンド中尉から聞いていた。その彼が、コロニーの不利になる事実を何の交渉も代償もなく告げた事が信じられなかった。

 戸惑うジンに構わずに、ディートリヒは淡々と続ける。

「ひとまず現時点で私が把握している内容でお伝えしましょう。この身分証の持ち主は東側区域に住む一介の労働者です。彼自身は特に何も特筆すべき人間ではない。しかし彼の周囲は異なります」

 ディートリヒは椅子から立ち上がると、ゆっくりと部屋の中を歩く。特に何か目的がある訳ではなく、単に自身が落ち着くためのようだった。

「カザキリ殿。第六コロニーは東西に分割されて、特に東側区域は第七コロニーの勢力と近しい事はご存知でしょうか?」

「聞いた程度であれば、な」

「結構。近年は特に深刻化しており、東側区域がコロニーを統一する事が労働者にとっての幸福だと叫ぶ者達がデモ活動を行う日々です」

「……今のところ目にした覚えはないな」

「デモの中心は壁の近辺と東側区域が主ですからね。そして、今では裏で他コロニーと通じる非合法組織まで発生しています。——そんな彼らの商売の一つが、身分証販売なのですよ」

「…………」

「身分証というのは替えの効かない一品物の貴重品です。だからこそ、悪用しようと思えばいくらでも悪用できる。カザキリ殿も、大戦を生きたのであれば覚えがあるのではないでしょうか。彼らのような不満や貧しさを抱えた者は、容易く自分自身をも売り渡してしまうのです」

「……ああ」

「そちらの身分証の者ですが、政府のデータベースにきちんと登録されていました。そして身分証自体も偽造らしき箇所はなし。となると、間違いなく本人の物でしょうね。この者の登録情報から照会したところ、一年程前に身分証紛失で届出を出しております。しかし——」

「実際は、高額で販売した可能性がある、か」

 ジンが短く答えると、優秀な生徒を見るようにディートリヒがニコリと笑った。

「この者自体はコロニー外への転出や移動届などの履歴もなし。職場でも長期の休暇等は無いようなので、自身が南極基地襲撃に参加した訳ではないでしょう。しかし、売り渡した身分証が非合法組織を通じて他コロニーへ渡った可能性は充分あるでしょう」

 ディートリヒは立ったままグラスを掴むと、水を一気に飲み干した。

 ジンはじっくりと告げられた話を噛み砕く。

 特に話の矛盾点はない。政府勤めであればデータ照会も容易いだろう。内容も納得できるものであり、ジンはそれにケチをつける気はなかった。

 だが、しかし。

 どうしても気になる点が一つ。

 それが傭兵として疑いと共に戦場を駆けてきたジンにとって見過ごせない点として残ってしまう。

「——解せないな」

「……何がでしょう?」

 まるで問題を感じていないようなディートリヒの様子に少し苛立ちを感じる。首を傾げるディートリヒに、ジンは鋭い視線で言い放つ。

「お前の話が事実だとして、お前の利益は何処にある? このような情報を第二コロニーに伝える事で、お前は一体何をしようと目論んでいる——?」

 ジンは未だに笑うディートリヒを、気怠げな目付きで睨み付けた。

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