第6話

 襲撃者の男がまず取った行動は、尻餅をついて逃げ遅れたルームメイクを人質に取る事だった。腰を抜かして逃げ遅れたルームメイクは、不幸にも襲撃者側に近かった。男に首筋にナイフを突きつけられ、盾替わりに前に立たせられる。ルームメイクが涙目で恐る恐る両手を上げた。女がその背後から銃を抜いて、正確に銃口をジンに向ける。

「あらぁ、わたくし達とは全くの無関係ですのに。可哀想ですわねぇ」

 バスローブを着込んだオリヴィアがのんびりと頬に手を当てる。折角拭った頬な再度血だらけに染まった。全然可哀想に思っていなさそうな口調に苛立ったのか、襲撃者の女が無言で銃口をオリヴィアへ変える。しかし、それはこの場において決定的なミスだった。

 ダブルタップで無防備だと思われたオリヴィアへ銃弾が二連射される。オリヴィアはその弾道を正確に見切ると、迫る銃弾を義手で弾き返した。

 人間離れした動きに襲撃者二名は目を疑い完全に硬直した。その隙をジンが見逃すはずはなく、ルームメイクの首元のナイフを狂いなく銃撃した。

 大口径の銃弾の衝撃に、男はナイフを手から弾かれる。ルームメイクが腰砕けに座り込みそうになるのを、間髪入れずに駆け寄ったジンが支える。拳銃を男へ向けながらルームメイクの腰を抱えると、するすると後ろに下がりオリヴィアの横まで戻る。傷が見当たらない事を視認すると、空いた部屋の中の方へ誘導される。

「ちょっとそこでじっとしててくれ」

 震えながら首肯するルームメイク。まだ逃げるのは難しそうだ。ジンは頷くと、部屋の出入り口を守るように立つ。それを見たオリヴィアが冗談混じりに軽口を叩いた。

「妬けますわねぇ。わたくしも抱き抱えて守って欲しいですわぁ」

「後でな」

 ジンは取り合わず短く返答すると、いつの間にか拳銃と合わせて持っていた細長い布包みを片手で開く。布袋から完全には抜かず、そのまま鞘を握ると鯉口を切る。僅かに覗いた白刃が、薄暗いホテルの廊下に鈍く輝く。

「あら、そちらは久方ぶりですわねぇ」

「偶にはこっちも使わねえと錆び付くからな」

 どこまでも暢気なオリヴィアだが、視線は襲撃者から決して外さない。ジンは拳銃をホルスターに仕舞うと、布包みを両手で使えるように構える。ナイフを弾かれた男は新たな大型ナイフを懐から取り出していた。

「女は任せる」

「任されましたわ」

 言うなり、義手を突き出してオリヴィアが突撃する。女が銃撃するが、やはり義手に弾かれる。オリヴィアはあっという間に女の懐に飛び込み首元を生身の右手で掴むと、ドアの開いていた空室へ放り投げた。受け身を取り損ねたのか、何かが割れるような音が廊下まで聞こえてきた。凶笑を浮かべたオリヴィアが間髪入れずに部屋に飛び込む。ジンも改めて男と向き直った。

 すらりと抜き放った刃を正眼に構える。直刃調の小乱れ刃が鮮やかな刀が男に突きつけられる。ただの鋼ではない独特の輝きが、ジンの黒い瞳を反射する。

 元第五所属の刀匠、五代宗隆作。オメガイリジウム製日本刀、菊一文字宗隆。

 愛刀を掲げたジンは、音もなく摺り足で襲撃者へ歩み寄る。虚をつかれた男は咄嗟に大型ナイフを顔前に翳す。ゆっくりと振られた刀とナイフが合わさり、擦過音が鳴り響く。軽い一撃に男はナイフに力を込めて弾き返そうとするが、空気のように手応えがなく自らの勢いにつんのめりそうになった。隙を突いた返しの刃がやはりゆっくりと切り上げの形で振り上げられる。

 男はなんとか右に体を捻って白刃を回避する。床に着地するなり頭上から迫る気配に、視認する間もなく後方へ飛ぶ。上段から振り下ろされた一閃が間一髪のタイミングで男の目前を通り抜けていく。鼻先一寸足らずの距離を切っ先が撫でる。躱せたと安堵するよりも前に、男は長いバックステップを取る。ジンは深追いせず、始めと同じ正眼の構えに戻っていた。

 距離を取った男にどっと冷や汗が流れる。まるで打ち合わせた形稽古のようにゆっくりとした動きなのに、それを感じさせない程に的確で無駄がない。傭兵如き強化外装を着用していなければと侮っていたが、目の前の人物はまるで違う。身体を鍛えて技術を磨き、己を武の者として体現している。

 勝てない−−そうなってしまうのであれば、男に取れる手段は限られていた。

 失敗は許されない。隠し持つ手榴弾をいつでも使用できるよう、ジンに気取られないように慎重に背に手を伸ばした。


 抑えきれない暴力の悦びに笑みを隠せないまま、オリヴィアは悠々と部屋の中へ歩む。壊れたサイドテーブルの脇に襲撃者の女が膝立ちで銃口を向けて待ち構えている。テーブル激突時に怪我をしたのか、額から血が流れていた。

「あら、お揃いですわねぇ」

 返り血で汚れる己の顔を指してオリヴィアは満面の笑みを浮かべた。無表情ながらも微かに嫌そうな女を見て舌舐めずりする。

 襲撃者の女は追い詰められていた。標的は義手有りといえ生身で銃弾を弾く正真正銘の怪物だ。既に銃撃は二度見せており、三度目の今突破できる可能性はほぼないだろう。太ももにはナイフのホルスターもあるが、この怪物とやり合うにはまるで足りない。唯一可能性があるのであれば……。

 脳内で必死に思考する女を察して、面白げにオリヴィアは待つ。ジンはこういった手合いはさして好まず実利を優先するが、オリヴィアにとってはそうではない。

 左腕の状態は良好。銃弾などものともせず、正常な稼働を続けている。それを再確認できたオリヴィアは、何かを決心したような様子の女に問答無用で突撃した。

 女がなんとか反応して構えた拳銃の引鉄を引く。ろくに狙いをつけられていないが、ホテルの広くない一室の至近距離である。本来であれば必殺の距離だ。だが銃弾がオリヴィアに届くかと思われた瞬間、女の視界からオリヴィアの姿が掻き消えた。

「−−−−−−ッ!?」

 一瞬の空白。はっとなって上を見ると、信じ難い跳躍力で天井まで跳ね上がったオリヴィアが、逆さ向きにぶら下がっていた。ニコリと笑うと天井を蹴破りながら更に跳躍。女は引鉄を引くが狙いが定まらず明後日の方向に銃弾が飛んでいく。

 悪魔的突進−−引き絞られた義手に女がすんでのところで全身を投げ出して回避する。極限の緊張状態に女の感覚が鋭敏になっていく。上から打ち貫かれた床が爆弾の炸裂のように粉々になり、破片が二人の間を舞う。義手にさえ当たらなければ相手に武器はない……スローモーションのようになった視界の中で女は思考する。しかし次の瞬間、その部分だけ早送りになったように、オリヴィアの生身の右拳が女の顔面に突き刺さった。

 冗談のように女の首から上が吹き飛ぶ。即死である。女は何が起こったのかもわからないまま永遠の眠りについた。

「誰も義手だけが武器だなんて言っておりませんでしたのにねぇ」

 オリヴィアは呆れた。勝手に人の能力を過小評価してリスクを負うのはプロとは言えない。ジンと共にそれなりの年月を傭兵として過ごすオリヴィアには信じられないミスだった。

 息ひとつ切らしていない彼女は、身体を覆うバスローブを見る。買い取りな必要そうな有様にちょっと困ったように片眉を下げる。しかし気にしても仕方ないと思考の隅へ放棄した。汚れてしまうのは戦う以上仕方なかったのだ。

「さて、ジンの方も片付きましたかしら」

 心配はしていない。あの程度の者にジンがやれる筈がない。それは確信だ。

 だが、最近鈍っていたジンだと時間が掛かっている可能性はある。そうなったら少し援護が必要だろうか。

 終わらない戦闘に蕩ける微笑みを浮かべながら廊下へ向かう。けれども残念と言っていいのか、オリヴィアの望む状況にはならなかった。

 刀を持ったジンが部屋の中に飛び込んでくる。間髪入れずに廊下から炸裂音が鳴る。

「くそ、こんな民間施設で自爆しやがるとは……。どういう神経してやがる」

 ぼやくジンに、オリヴィアは告げる。

「あらあら、この程度の輩に手間取るなんて、やっぱりこれは鍛え直さないとですわねぇ、ジン」


「すまんが、通報はそちらでやってくれるか」

 ジン達の部屋に退避していたルームメイクに頼む。戦闘の名残に未だ怯えを隠せないルームメイクだが、辛うじて首を縦に振る。

「あと、修理費用と迷惑料を合わせて払う。もし足りなければGAFANへツケておいてくれ」

 しれっと告げる。ルームメイクの女は不思議そうにしているが気にしない。これくらいの嫌がらせは許されるだろうとジンは勝手に思っている。

 状況確認から部屋に戻ってきたオリヴィアが肩をすくめた。

「ダメですわねぇ。身分証の類は一切なし、装備もバラバラ。顔認証照会もできなくなってしまいましたし……。状況から言ってGAFAN社は疑わしいですが物証なし。今のところは限りなくクロに近いシロですわねぇ。せめて襲撃者がひとりでも生きていれば違ったと思いますけれど」

「お前が言うな、やり過ぎるなと言っただろうが。こんな事件現場にしやがって」

「あら、一応斧は振らずに手加減したつもりだったのですけれど。それを言うならジンもしくじっていらっしゃるじゃありませんの。まさか敵の動きを黙って見てるなんて信じられませんわよぉ」

 痛い部分を突かれたジンが黙る。口を開けて見ていたルームメイクが我に帰ると、急いで部屋を出て行った。通報に向かったのだろう。

 しかし改めてみれば部屋も廊下もぶっ壊し放題、更にはとても表に出せない敵の亡骸が複数……このホテルはしばらく営業不可能であろう。依頼が終わったばかりだと言うのに、手元には大した金額が残らなそうだ。ジンはしゅるしゅると息を吐きながら座り込む。

「これもそれもあのジョン・ドゥが悪い。そうに決まってる」

「そうですわねぇ、あれがケチのつき始めでしたわねぇ。せめてこの襲撃がどこからかわかれば慰謝料ふんだくれたと思うのですけれども。ままならないですわねぇ」

「だから悉く敵の頭を潰したお前が言うな、このイカレ女が」

「褒めても何も出ませんわよぉ」

 朗らかに笑うオリヴィアに、ジンは手を額に当てた。

 と、部屋の片隅から電子音がしてくる。端末の着信音だ。

 眉を顰めて端末を手に取る。誰だこの忙しい時に連絡してきやがってくだらねえ用ならぶちのめすぞ。

 着信はメールだった。一件着信、たった今。

 苛立ちと共にメールを開く。その差出人を見てジンは固まった。

「何でしたの?」

 問いかけるオリヴィアに、ジンが黙って端末を放り投げる。危なげなくキャッチしたオリヴィアは、開かれていたメールを見て驚きに目を大きく開いた。

 GAFAN社に次ぐ第一コロニーの巨大企業。ニコラ社代表、イーサン・ウィリアムズ。

 ジンとオリヴィアは顔を見合わせた。

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