第5話

▪️▪️▪️

 第一コロニー下層。見上げれば空はなく、上層の底部と人工照明しか見えない。行き交う人々は深夜だというのに労働者ばかりであり、皆余裕のなさそうな顔つきで足早に目的地に向かう姿が多い。限られた者しか居住できないコロニーにおいて、怠惰は敵でしかないのだ。

 そんな下層にそれなりに大きな建物がある。決して多くはない宿泊施設として一流とまでは言えないものの、そこそこの設備とサービスを揃えたホテルだ。フロントカウンターは常に人が付いており、レストランでは金を払えば合成品でない食事や酒を摂る事もできる。

 そんなホテルの一室。ダブルベッドにジンとオリヴィアは身体を投げ出して眠っている。二人とも衣服は着ておらず、脱ぎ散らした物が床に放り出してある。サイドテーブルには酒の空き瓶と電子ルームキー、その横には少し大きめの運搬ケースと布包みが二つ置かれている。

 ふと、オリヴィアが目を覚まして頭を振った。気怠げな顔でドアを見やると、ゆっくりとベッドから脚を下ろす。シーツから美しい肢体が露わになる。左腕の義手で大きな布包みに手をやったが、結局触らずに立ち上がる。ジンは未だに横になったままだ。

「……やり過ぎるなよ」

 目を開けずに告げるジンに、オリヴィアは笑って頷く。見てはいないだろうが、オリヴィアは全く気にしない。

 つかつかとルームドアに向かって進む。そして電子鍵とチェーンを開けるなり、いきなりドアを開け放った。

 ばんと音を立てて開放されたドアの前では、ホテルのボーイの格好をした青年が唖然としてオリヴィアを見ていた。

「何の御用かしら?」

 花が咲いたような上機嫌さで、オリヴィアは尋ねる。ボーイはそれに反応せず、ただ呆然とオリヴィアを見続ける。

 ボーイから見たオリヴィアは、急に部屋から出てきた全裸の女だ。普段であれば豊かな胸につい視線がいってしまったかもしれない。女神かのような美しさの女性だ。しかし、突然の事態とボーイに課せられた仕事がそれを許さない。なんとか声を出して全裸で佇むオリヴィアに対応しようと、懐に手を伸ばす。

 それを見たオリヴィアは、腰だめに義手を引き付け、雷光の如き速度で真っ直ぐに繰り出した。

 ボーイの反応速度を遥かに超える左ストレートに、指一本動かす事すら出来ずに顔面に義手が直撃した。

 鈍い音がはっきりと聞こえて頭蓋骨が粉砕され、ボーイの意識が永遠にブラックアウトする。そのままルームボーイドア前の壁に激突して、暗い廊下に爆音を響かせた。ずるりと脳漿を撒き散らしながら崩れ落ちる男を、オリヴィアはにこやかに見降ろす。返り血がオリヴィアの美しい顔と裸体を汚している。死体をよく見れば、懐にやった手の影に隠れた拳銃を確認できただろう。


 何事かと各ルームから滞在客達が顔を出す。首から上を吹き飛ばされた男性の死体と、義手を拳に握った血塗れの全裸美女を見て滞在客の女が悲鳴を上げた。連鎖して上がる悲鳴に深夜のホテルが俄かに騒然となった。

 騒ぎに駆け付けたホテルのルームメイクの女性が、倒れる首無しの残骸を直視してしまい叫び声を上げて腰を抜かす。オリヴィアは優しく笑いかけるも、血痕だらけのオリヴィアに怯えて後退りするのみだった。

「だからやり過ぎるなと言っただろうが」

 愛する男の声が背後から響く。不機嫌そうな、気怠そうないつもの声だ。振り返るとホテルのバスローブがオリヴィアに投げ掛けられた。浴びた返り血でバスローブが汚れるのを見て、オリヴィアは少しだけ片眉を下げる。血抜き出来るだろうか−−脳漿と血に染まった義手がバスローブを更に汚していく。

 ジンは既に服を着て戦闘態勢だった。オリヴィアもバスローブを纏って剥き出しだった裸体を隠す。返り血に汚れたオリヴィアの頬を拭いながら、苛立ちを隠さない様子で状況を再確認する。

「まさかこれほど早く仕掛けてくるとはな」

「ちょっとジンが挑発しすぎましたかしら。でも、あっちも暗殺者を仕込んでいたわけですし、あんまり舐められるのもねぇ」

「あれはあっちが悪いだろ……。いきなり契約完了後に呼び出してアレだからよ。こっちはようやく帰ってきたんだから休ませろよ」

「お偉いさんにそんな下々の事は関係ないですわよ」

「だろうよ、くそっ。厄介事しか起こらねえ。やっぱりあんな胡散臭い奴からの依頼受けるんじゃなかったか」

「今更ですわよねぇ。あ、次が来ますわよぉ」

 ジンはだらりと下げた右手で握っていた、大型回転式拳銃を天井へ向ける。躊躇ない発砲。天井を鉛弾が撃ち貫く。しばらくすると、開いた天井の銃弾痕からぽたぽたと赤い雫が垂れてきた。

 立て続けの異常事態に、遠巻きに見ていた宿泊客が喚きながら逃げ出す。我先にと駆ける者達と入れ替わるように、更に二人の男女がジンとオリヴィアに立ちはだかる。

 顔を覚えづらい、特徴のない二人だった。

「盛り上がってきましたわねぇ」

「望んじゃいねえんだよ」

 朗らかに笑うオリヴィアと、悪態を吐くジンが相対する。

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