閑話レーキ&ジョウジ② イベントの裏側で

 ――マルトニア王立中央図書館


 館内に山のように積み上げた書籍の量は国内随一。恐らく近隣諸国でここを上回る図書館はないだろう。五階建てで建物もかなり大きく、内部は書物を置くスペース以外にも会議室のような部屋もしつえてある。


 その一室で数人のマルトニア学園の生徒が顔を突き合わせていた。レーキとジョウジを中心としたオーウェンの元側近達である。


 かつてはオーウェンの元で国家運営の枢軸すうじくになう頭脳として期待され、王妃オルメリアから抜擢された若き俊英達。ところが、当のオーウェンから不興を買ってたもとを分かち、今では腹黒令嬢ウェルシェの走狗と成り下がっていた。


 だが、彼らはウェルシェこそ国の次代を担う盟主であると忠誠を誓い、どんな無理難題にも率先して手を貸している。今も文化祭で遊んでいるウェルシェの代わりに仕事に励んでいるのだ。それでもウェルシェの為なら全員一様に喜び顔なのだから恐い。


 さすが超ブラック会社『ウェルシェ・グロラッハ』。やりがい搾取極まれりである。


 その依頼とはもちろん童話『雪薔薇の女王』についての調査で、レーキが翻訳したロゼンヴァイス語版『雪薔薇の女王』を皆で読んで議論中なのだ。


「俺はやはり『約束の薔薇プロメスローゼ』が雪薔薇の女王を封じる鍵なんじゃないかと思う」

「うん、約束の薔薇は物語の中で散見されるし、重要なキーワードである事には僕も同意見だよ」


 レーキの意見にジョウジも頷く。


 序盤で薔薇の女王はこの約束の薔薇を用いて『春薔薇の季節』という力でロゼンヴァイスを常春の国へと変える。約束の薔薇は薔薇の女王の力を行使する時に度々出現する名前だ。


「いや、二人とも待ってくれ。私は『雪薔薇の指輪フローゼンエンゲージ』が怪しいと思う」

「ああ、俺もそっちに同意見だ。約束の薔薇は中盤以降ではほとんど名前が出てこない。それに対して雪薔薇の指輪は終盤における物語の中心的な位置の記述が多い」


 だが、薔薇の女王が王子に騙されて雪薔薇の女王へと変貌してから約束の薔薇の名前は出てこなくなる。代わりに雪薔薇の指輪の名前が頻繁に見られるのだ。


「マルトニア語訳の方でも終盤で雪薔薇の指輪で女王を封じていると思われる描写があるしな」

「約束の薔薇はどちらかと言うと女王が力を行使する為の媒体じゃないのか?」


 この様に侃々諤々かんかんがくがくと議論が紛糾するが、誰も決定的な結論を導き出せない。


「やはり、ところどころ肝心な箇所が読めなくなっているのが痛いな」

「ああ、ちょうど雪薔薇の女王へと変貌するシーンやクライマックスなんかは特にな」


 さすがに数百年も前の童話小説だけあってところどころ破損していたり文字が霞んでいたりする。ちょうど王子に裏切られ薔薇の女王が豹変するシーンが読めなくなっていた。他にもクライマックスも『……薔薇…女王と王子……の愛は……白き…の指輪……試され、愛は敗れ……白き…薔薇……赤…約……薔薇へと……せず……』といった具合で重要な箇所が抜け落ち、雪薔薇の女王は悲運の封印で締め括られている。


「同じ時代のマルトニア語訳のものもあるんだろ?」

「それと照らし合わせてみるのは俺も考えたんだが……」


 レーキはロゼンヴァイス語版の抜け落ち部分に相当するマルトニア語訳の写しを全員に配布した。


「まず、中盤の雪薔薇の女王への変身なんだが、女王の衣装が赤から白へと変わった途端に約束の薔薇の名前が消え雪薔薇の指輪が登場している」

「最後は裏切り者の王子が雪薔薇の女王から真実の愛の試練を与えられる。けっきょく騙した王子の愛は偽物だったと断罪され、約束を破ったと雪薔薇の指輪の力で雪薔薇の女王ともども滅びてしまうんだよな」


 顎に手を当て、腕を組み、後頭部に手を回し、それぞれ思い思いのポーズで考え込む。


「しかし、『雪薔薇の女王』をこの歳になって再び読む事になるなんてな」

「やっぱり、お前も子供の時に読んでたか」

「そりゃそうだ」

「マルトニアの子供はたいてい読んでるんもんな」


 俺も俺もと全員が子供時代に読んだなと懐かしむ。


「だけど、ロゼンヴァイス語版もマルトニア誤訳も、俺が子供の時に聞いた昔話とも微妙に違うんだよなぁ」

「当たり前だろ。これらは数百年も前の本なんだ」

「長い年月と共に物語ってのは変わってくもんだ」

「そりゃそうか」

「物語が……変わる……」


 レーキは何となく引っかかりを覚えた。


 確かにみなが言うように時代と共に話は変質していく。それは解釈違いや伝え間違えだったり政治的な配慮や風土文化の違いからくる意訳など色々な理由がある。


(他にも外国の書籍などはよく間違いが……)


 その時、レーキはハッと気がつき席を蹴って立ち上がった。


「そうか、分かったぞ!」

「どうしたんだ?」

「誤訳だったんだよ、ジョージ!」


 レーキはロゼンヴァイス語版とマルトニア語訳の本を両手に持った。


「この二つの物語はほぼ同時代に書かれたものなのに細部に差異が目立つ」

「それはロゼンヴァイスを占領したマルトニア側の政治的介入のせいではないのか?」

「俺も当初そう思ったが、誤訳と考えた方が辻褄が合う箇所が多い。特に約束の薔薇と雪薔薇の指輪はな」


 レーキは紙にサラサラとマルトニア語で『雪薔薇の指輪フローゼンエンゲージ』と書き記す。


「誤訳されたマルトニア語版の童話が延々と受け継がれ、俺達はそれを幼少期より聞かされてきた。そのせいで先入観から俺も完全に勘違いしていた」


 更にレーキは雪薔薇の指輪の文字にロゼンヴァイス語で『プロメスブラーゼ』と付け加えた。


「俺はこの単語をマルトニア語版に従って雪薔薇の指輪と訳してしまったが、普通に直訳していれば良かったんだ」

「それで、これは何という意味なんだ?」

「『約束の白き薔薇』だ」


 レーキの説明にこの場の全員が目を見開いた。


「まさか約束の薔薇と雪薔薇の指輪は同一!?」

「そうか、変貌したのは雪薔薇の女王ではなく約束の薔薇の方だったのか!」

「おいおい、すると原典のタイトル『レジーナブラーゼ』は……」

「白き薔薇の女王だ……くそっ、女王は最初から最後まで何も変わっちゃいなかったんだ」


 悔しげに顔を歪めたレーキは拳を机に叩きつけた。


「すると最後の試練にはもしかして指輪を元に戻す方法が描かれているんじゃないのか?」

「ああ、それに失敗した裏切り者の王子は死に、女王様はマルトニアの王子に封じられたんだな」

「これは急ぎロゼンヴァイス語版を最初から解読し直さないと」


 光明が見えみんなで盛り上がる中、一人の男子生徒がおずおずと手を上げた。


「どうしたハンス?」


 仲間の視線がハンス・バウワアに集中した。昨年の剣武魔闘祭でケヴィンを最初に発見して、ウェルシェに情報を齎した報連相重視の堅実な男である。


「俺、嫌な予感がするんだけど」

「嫌な予感?」

「アイリス・カオロが『雪薔薇の指輪フローゼンエンゲージ』を所持しているかもしれないんだよな?」

「監視していた者の報告では、そう叫んでいたらしいな」

「約束の薔薇と雪薔薇の指輪が同じ物ならさ、雪薔薇の女王はそれを奪いに来るんじゃないのか?」


 あっ、と全員がまずいと理解が一致した。


「雪薔薇の女王はアイリス・カオロの元にやって来る可能性が高い!」

「あの女! 全て知っててマルトニア学園に雪薔薇の女王を引き入れるつもりか!?」

「まずいぞ、王都のど真ん中で力を暴走でもされたら」


 全員の脳裏に氷に閉ざされたルインズが浮かんだ。


「急いで封印の方法を解読しないと!」

「手分けして翻訳、解読するんだ!」

「私は他に原書がないか探してみる」


 レーキ達は慌ただしく調査を再開した。


 ふとレーキが窓へ視線を向ければ薄暗くなっていた。残暑に時間を忘れがちになっていたが、秋の陽は井戸へ釣瓶つるべを落とすが如く沈み行くもの。


 気がつけば太陽は傾きマルトニア学園文化祭も二日目が終わろうとしていた。雪薔薇の女王は既に王都へ到着しており、運命イベントとの邂逅の刻は迫っている。


「間に合えば良いが……」


 そうと知らないレーキではあったが、どうにも嫌な予感が拭えなかった。


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