閑話イーリヤ② 腹黒令嬢類

「う〜ん、やっぱり天然地物かしら?」


 じっと考え事をしていたイーリヤが呟いた。


「天然地物にございますか?」


 彼女の専属侍女ナーレが主人の為にお茶を注ぐ。ありがとうと微笑みながら礼を述べて、イーリヤは紅茶に口をつけた。


 薔薇の芳香がイーリヤの鼻腔をくすぐる。イーリヤの商会で独占的に扱っている商品の一つだ。


「今度は海産物でも扱われるおつもりですか?」


 イーリヤは手広く商売をしている。それを手伝いよく知っているナーレは、今度もそのつもりなのかと推測した。


「それとも醤油に手を出されますか?」

「ナーレでも製造方法までは知らないでしょ」


 察しの良い読者はお気づきだろうが、このナーレもイーリヤやアイリスと同じ元日本人の転生者だ。商会を立ち上げる時に知恵袋になってくれたイーリヤの片腕でもある。


「はい、残念ながら」

「私もできれば日本の調味料にも手を出したいんだけどねぇ」


 興味のそそられる分野ではある。イーリヤにしてもナーレにしても醤油はぜひ作りたい。だが、今のイーリヤが問題にしているのは別のところにあった。


「まあ、今のはお魚じゃなくって彼女の事よ」

「彼女と言うと……まさかウェルシェ様ですか?」

「ええ、彼女の正体が気になってね」

「確かに疑うお気持ちは理解できますが……」


 ヒロインのアイリスは明らかに転生者であった。ウェルシェもゲームとは違った動きが見える。


「もし同じ転生者であれば何を狙っているか警戒の必要があると思ったの」

「でも違ったと?」

「ええ、彼女も私達と同じかなって最初は思ったんだけどね」


 この一年、ウェルシェに直接アプローチしてから何度かカマをかけてみたが、自分やアイリスのように転生者とは思えない反応が返ってきた。


「ウェルシェは天然地物だったわ」

「貴族令嬢を天然地物って……魚介類ではないのですが」


 ナーレは乾いた笑いを浮かべた。


 なんだろう、ウェルシェは異世界乙ゲー門貴族網令嬢目悪役令嬢科の腹黒令嬢類にでも分類されるのだろうか?


「日本や乙女ゲームの話をしてもピンッときた様子はなかったわ」

とぼけているだけという可能性はございませんか?」


 ナーレが聞いたところ、ウェルシェはかなりのやり手らしい。自分の能力を周囲に悟られぬよう上手く擬態するほどの令嬢だ。ちょっとやそっとじゃ正体を明かしはしないだろう。


 だが、逆にナーレは不自然だと感じた。


「前世の経験があるならともかく、まだ十六の子供が韜晦とうかいする術を心得ているとは信じがたいのですが」

「私もね、そうは思ったのよ」


 だからイーリヤはすぐにはウェルシェを信用せず、親交を深めながら観察していた。


「でもね、意外とあの子って顔に出るのよねぇ」


 どんなに腹黒でもウェルシェはやはりまだ子供。まだまだ未熟でよくよく観察すれば表情が読めるのだ。


 時折ウェルシェが見せる素の顔を思い出してイーリヤはくすくす笑う。


「まあ、そこがすっごく可愛いし、とっても面白いのよ」

「そんなお気に入りのオモチャを見つけたみたいに」


 ナーレは我が主人ながら呆れるとジト眼になる。


「ウェルシェは基本的に人が良いのよ」


 投機に誘ったら先物取引で領民の暮らしを安定させる手段にしてしまった。腹黒令嬢だぁと悪ぶりながら、その実ウェルシェは領民思いの理想的な貴族なのである。


「アイリスとも和解しないかと持ちかけられたわ」

「彼女も被害者でしょうに」


 今どき古き良き貴族もないだろうに、なんともお人好しだとナーレは思う。


「それで、どうされるおつもりですか?」

「話には乗るわ」

「おや、意外ですね」


 アイリスの所業を耳にしているナーレは和解は不可能だろうと考えていた。それはイーリヤも同じと思っていた。


「アイリスだって私達と同じ元日本人よ」

「同情ですか?」

「ふふ、不満そうね」


 ナーレは甘さや同情を嫌う少々辛辣なところがある。リアリストと言い換えても良いかもしれない。


「いいじゃない、ウェルシェの提案が上手くいけば誰も不幸にならずに済むもの」


 みんなが幸せになれるならそれで良いじゃない、とうそぶくイーリヤにナーレは胡乱げなジト目を向けた。つまりは自分が幸せになれるのならアイリスの幸不幸などどうでもいいとイーリヤは言っているのだ。


「上手くいかなければ?」

「その時は当初の予定通りアイリスを切り捨てればいいだけよ」


 簡単でしょ、と言って笑うイーリヤは同情しながら必要とあらば、躊躇なく人を切り捨てられる真の意味でのリアリストなのかもしれない。

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