第52話 その話題、まだ終わってなかったんですか?

「しかし、物事の一部だけで良いとしても、全ての分野を理解するのは困難かと思われますが?」


 ウェルシェは闘技場の出入り口でエーリックを待っていた。レーキはそこで先程の話題を持ち出した。


 エーリックの帰り支度にまだ時間がかかるだろうと思っての事だろう。


「それはそうよ。人は全能ではなんだから」

「それなら未知の分野に関してはどのように対処すれば良いのでしょう?」


 これに対する明確な解答は無いとレーキにも分かってはいる。そんなものがあれば為政者は誰も困らない。


「その分野に明るい者を評価者として登用するしかないわね」


 レーキの思った通りウェルシェと言えども解決策はそれくらいしか無い。


「ですが、その者が本当に正当な評価ができる人物かを判断するのは困難ですよね?」

「当然でしょ。人柄もだけど、癒着するような者だって可能性もあるしね。できるのはせいぜい成果に対して正当な褒賞を与え、不正に備えて罰則を作っておく事くらいね」


 ああ、成果が出ないのに罰を与えるのは無しよ、とウェルシェは付け加えた。


「それでは現場監督が成果主義に走っちゃうから」


 こうなると中間管理職である現場監督は下を締めつけ上に媚びる他なくなってしまう。


「しかし、それでは不正しなくとも怠ける者が出てきませんか?」

「それでもよ。もともと任命した者にも責任があるんだから」

「成果は部下のもの、失敗は上司のものですか……上に立つ者は大変ですね」


 レーキは自分が部下の地位で心底良かったと思う。


「それが国王になる者、領主になる者、組織の頂点に立つ者の心構えよ。そうでないと組織の屋台骨はどんどん歪んでしまうもの」

「とは言え、人は他人を理解できませんから完璧な統治はできない事になります」

「完璧なんて無理に決まってるわ。だけど、誰もが完璧は無理だと知っていながら、なぜか誰も彼も完璧を要求するわ」


 国王が大臣に、大臣は部下に、そして逆に臣民が領主や国王に……


「不思議なものね」

「言われてみれば確かに」


 レーキ自身もウェルシェなら組織の長として完璧な運営ができるのではないかと期待してしまっている。


 だが、なんでもできそうなウェルシェでさえ意外と自分の事さえ理解できていない部分がある。ならば、彼女にも他人を完全に理解するのは難しいのだろう。


 必然、ウェルシェでさえ組織の運営は簡単ではなく、そこには失敗や試行錯誤が伴うのだ。


「ゆえに私達は組織運営には間違いはつきものだと常に念頭に置いておかないといけないの」

「それでも決断しなければならないのは辛いですね」


 国や領地、組織がある以上は誰かがトップに立って進むべき道を示さねばならない。その道は一歩先さえ真っ暗闇で誰も見通す事がかなわない道なき道だ。


 しかも、道を誤まれば下から突き上げがくる。言われた通りに道を進む者は指示した者の責任にすればいいだけ気が楽だなとレーキは思った。


「だから、為政者は安易に前例主義に走ったり、現場への丸投げをしてしまう傾向があるのよ」

「それはきっと麻薬に手を出すのと同じような手段なのですね」

「ふふふ、上手いこと言うわね」


 上が常に責任を持つのは身を切るように辛いものだ。それに対し前例主義や丸投げは責任の所在をうやむやにできる。それらは管理者にとって痛みを伴わない魔法のような手段なのだ。


 だが、けっきょくはその場しのぎでしかない。麻薬を摂取して痛みを忘れても病巣を放置すれば待っているのは死だけである。


「だから、組織を統べる者には勇気が必要なの。自分が間違ってるかもしれないと思っても進める勇気。それが決断力よ」

「エーリック殿下に決断力があるとは思えないのですが?」

「エーリック様はいいのよ」


 あけすけなレーキの物言いに、ウェルシェはちょっとだけ胸がモヤっとした。


「私がちゃんと自分で決断したように仕向けるから」


 他の者には察する事ができなかっただろうがレーキは気がついた。レーキがエーリックを貶した直後のウェルシェの口調に僅かながら苛立ちが混じっているのに。


 少し微笑ましいものを感じながらも、これ以上ウェルシェを刺激するのは得策ではないとレーキは判断した。


 それに、エーリックの腹心セルランが協力を申し出てきた。それは、エーリックがウェルシェの思惑から外れたところで決断をしているのではないかとレーキは考えている。


(エーリック殿下は一歩一歩成長なさっておいでだ)


 これもウェルシェの導きによるものなのではないかとレーキは見ている。


 だが、それに比べて以前の主人はどうだろう。


「それではオーウェン殿下はいかがでしょう?」


 自分達はオーウェンをきちんと教導できなかった悔いが、レーキの頭に彼の影がまだ色濃く残っている。


 だから、ついついオーウェンについても考えてしまう。


「オーウェン殿下は良くも悪くも物事をきっちりと決断されているようにお見受けしましたが」


 アイリスによってオーウェンの実行力はおかしな方向を向いてしまった。だが、自分の信じる道を物怖じせずに進めるのは、決断力の現れではないだろうかとレーキは思う。


「オーウェン殿下は決断力とはちょっと違うかなぁ」

「違いますか?」


 うーん、とウェルシェは説明に悩む素振りを見せた。


「目の前に幾つも道があったら、どの道を進むか迷うでしょ?」

「そうですね」

「私達はどれが正解か色んな情報を集めるわよね」

「まあ、普通はそうしますね」

「その結果二つの道に絞られた時にどっちを選択するか、自分で責任を持って意思決定するのが決断だと思うの」

「オーウェン殿下はそうではないと?」


 チラリとウェルシェはレーキを一瞥いちべつした。


「オーウェン殿下はご自分が間違っているとはこれっぽっちも考えていないでしょ。あの方は一寸先も見通せない霧の中でも幻の道が現実のように見えているのよ」


 ほんわかした愛らしい少女の口から辛辣な言葉が飛び出し、レーキは驚きウェルシェへ顔を向けた。


「道が他にあっても自分が見えている道しか目に入らないなら勇気も決断もいらないわ。たとえ、その先が断崖絶壁の死地へ向かうものでもね」


 ウェルシェの横顔に冷徹な為政者としての表情が浮かんでいた。が、突然、嬉しそうな恋する乙女のものに変わりレーキはドキリとした。


「エーリック様ぁ!」


 婚約者の名を呼びながら手を振るウェルシェにエーリックが来たのかとレーキはスッと物陰へと身を潜める。


「……エーリック様は確かに優柔不断だけど、それは逆に言えばきちんと人の意見に耳を傾けている証拠なのよ」


 遠くで愛しい婚約者が手を振るのに気づき、エーリックが手を振り返した。


 レーキにだけ聞こえる声でウェルシェは続けて断言した。


「だから、エーリック様は大丈夫」

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