第45話 その攻略対象、ちょっとヤバくないですか?

「愛しのウェルシェ……」


 少年の呟きはとても小さいものであったが、静寂の室内に響き異様にはっきりと聞こえた。その声音にもどこか異常な雰囲気が内包している。


 ケヴィン・セギュル――


 濡れたようにしっとり流れる長い黒髪、神秘的な光を宿すアンバーの瞳。色気のある泣きぼくろのミステリアスな美少年。


 それが彼に熱を上げている学園の女生徒達からの評判であった。


「王家の奴らめ、私達の愛を無理やり引き裂くなんて!」


 しかし、昼間からカーテンを閉め切った薄暗い部屋で陰鬱に呟くケヴィンにその面影はない。


 暗闇に溶け込む黒髪はボサボサで、もともと細身ではあったが今はやつれ頰もけてしまっている。


「あいつら……私からウェルシェを奪いやがって……絶対に許さない」


 窪んだ眼窩がんかから飛び出しそうに、ギョロリと動く琥珀の瞳は光を失い視線を虚ろに彷徨わせていた。


 今の彼はミステリアスと言うより不気味と表現すべきだろう。


「ああ、愛しのウェルシェ……君に会いたい……その細い身体を抱き締めたい……その瑞々しい唇を貪りたい……」


 白銀の髪を煌めかせる華奢な美少女の姿を思い浮かべ、ケヴィンはうわ言のように呟く。


「ああ、ウェルシェ……私と引き裂かれて嘆き悲しんでいる君をこの腕で包み込んで慰めてあげたい」


 アイリスの思い込みと希望的観測から『ウェルシェの想い人はケヴィン』とのデマを真に受けたケヴィンは、それが唯一無二の真実であるとの妄執もうしゅうに取り憑かれていた。


 トントン、トントン――


 そんなケヴィンの呪詛と妄言だけが支配する部屋にノック音が響く。


「入るわよ、ケヴィン」


 続くは聞き覚えのある声。


 かちゃり――


 音を扉が開き、暗い部屋に光が差し込む。


 ケヴィンは虚ろな目をそちらへ向けたが、逆光となって黒い人影シルエットとしてしか視認できない。もっとも確認するまでもなく自分の母ケイトだと分かったが。


「オーウェン殿下とお友達がお見えになられていたわ」


 謹慎になってからオーウェン達は時折ケヴィンを見舞いに来た。だが、ケヴィンは彼らと顔を合わせていない。


「どうでもいいよ」


 ケヴィンが会いたいのは愛しいウェルシェだけ。


(私の望みはウェルシェだけ……彼女と結ばれる事以外どうでもいい)


 それを叶えられないオーウェン達などケヴィンにとって無用なのである。それを態度にも隠しもしていないケヴィンは明らかに不敬であった。


「本当にねぇ……殿下達にも困ったものだわ」


 だが、ケイトは不遜な態度の彼を咎めるでもなく、むしろ同意を示した。


「同情よりも実行力を示してくださらないと下の者は誰もついてはこないわ」


 この母親にしてこの子ありなようだ。


「でも安心して。ウェルシェの動向は掴んでいるわ」


 ケイトはクスクスと黒く笑う。


「ママがあの娘と二人きりになれる機会を作ってあげる」

「本当ママ!?」


 精気を失ったケヴィンの瞳に怪しい光が灯った。


「ええ、近いうちにチャンスがあるわ」


 ケイトは近々学園で催される剣武魔闘祭に目をつけた。


「ここでウェルシェを連れ出すの」


 剣武魔闘祭は貴族の武器である剣と魔術を競う生徒達による学祭の一つである。生徒達は剣魔祭と呼ぶ事が多い。


 この時期は多数の来賓もあり手の者を忍び込ませやすく、対戦中は誰もが闘技場へ目を向けているのでウェルシェを攫う機会も多いと踏んだのだ。


「剣魔祭中の学園内なら人目の無い場所もあるから必ず二人きりになれるわ」

「ウェルシェと会える……」

「ええ、だからケヴィンはそこで彼女を自分のものにしなさい」

「自分のものに?」

「そうよ。例えここで二人で会っても王家にまた引き裂かれてしまうでしょう」

「そんなの嫌だ!」


 ケヴィンは不当にウェルシェを奪われたと本気で信じている。

 なんとしてもウェルシェを取り戻したいとの思いが強いのだ。


「だから手放さなくて済むように彼女をケヴィンのものに……純潔を奪ってしまいなさい」

「私がウェルシェを?」


 だから悪魔の提案にもウェルシェが自分のものになるならば彼は喜んで従う。


「そうすればエーリック殿下も彼女との婚姻を諦めざるを得ないわ」

「そうだね……そうすればウェルシェを救えるんだし……いいよね」


 穴だらけの無謀な計画。


 だが、ケイトは成功した後の事しか目が行かず、過程における問題などまったく視野に入っていない。


 ケヴィンもまたウェルシェを自分だけのものにする事への執着に、まともな判断などできるはずもないかった。


「ふふふ、ケヴィンを貶めたウェルシェには私がきっちり再教育してあなたに従順な妻にしてあげるわ」

「もう少し……もう少しでウェルシェは私のものに……」


 口の端を吊り上げ昏く笑うケヴィン。


 それは女生徒達が黄色い悲鳴を上げる甘い微笑みとは程遠い。


「もうちょっとだ……あとちょっとでウェルシェと私はに一緒になれる」


 ケヴィンにはもう実の母ケイトさえ目に入らず、異様にギラつく目を虚空へ向けて呟いた。まるでウェルシェの姿を見ているかのよう……


「君と……永遠に……」

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