第30話 その王妃様、本当に可哀想ですか?

「私の最大の失敗はオーウェンの婚約者選びね」


 オルメリアはため息を吐いたが、エレオノーラは不思議そうに小首を傾げた。その仕草には、とても三十路を越えているとは思えぬ愛らしさがある。


「イーリヤさんはとても優秀で良い子だと思いますよ?」

「そうね、彼女は才気煥発で人格にも問題の無い素晴らしい令嬢だわ」


 ――イーリヤ・ニルゲ


 公爵家の血筋と品位、恤民じゅつみんと義心の溢れる人格。

 加えて独立した商会を切り盛りする才覚もある。


 能力、人格ともに将来の王妃として不足無しとオルメリアも判断したからこそ、オーウェンの婚約者にイーリヤを選んだ。


「だけど、イーリヤは真っ直ぐ過ぎたのよ」

「それはいけない事かしら?」


 納得のいかないエレオノーラに首をゆっくりと振るオルメリア。


「本来ならいけなくはないわ。問題なのはオーウェンとの相性よ」

「そうですね。彼女は正直に自分の有り様を示してしまいました」


 オルメリアの言いたい事を理解したジャンヌは頷いた。


「ええ、それが自尊心の強いオーウェンには耐えられなかったのね」


 だから媚態にしか思えない男爵令嬢の甘言に踊らされてしまった。


「正直は美徳ですが、イーリヤさんはもう少し自分を隠す術を知るべきでした」

「まだ10代半ばの彼女に己の才能を隠すなんてできっこないわ」


 ジャンヌの指摘にオルメリアは苦笑いを浮かべた。


「ウェルシェが異常過ぎるのよ」


 才気あふれる若者が自らの能力を周囲に誇示するのは当然の事である。本来、韜晦とうかいする術は歳と共に覚えるものだ。


「あの若さで人心を掴み才能を使う術に長けていながら、それを周囲に悟らせないなんて……」


 感心するオルメリアの横顔にジャンヌは哀愁のようなものを見てとった。


「王妃殿下はウェルシェさんをオーウェン殿下の婚約者にしたかったのですか?」

「えっ!?」


 ジャンヌの疑問にエレオノーラがギョッとする。


「ダメよ、ウェルシェさんはエーリックの婚約者です!」


 愛する息子エーリックがどれだけウェルシェに惚れているか知っているエレオノーラは慌てた。愛する婚約者を奪われればエーリックがどれだけ落胆するか。


「継承権を破棄させてでもエーリックをウェルシェさんのお婿さんにさせますから!」


 ウェルシェのお淑やか演技にすっかり骨抜きにされたエーリックは彼女に首ったけ、ゾッコン、メロメロ、べた惚れ状態なのである。


 彼にとって王位なんぞはウェルシェに比べればごみ屑同然。

 エレオノーラは母として息子の恋を応援してあげたいのだ。


「落ち着きなさいエレン」

「景品ではないのですから婚約者をおいそれと交換などできませんよ」


 オルメリアとジャンヌは息子の愛に溢れるエレオノーラに思わず笑みが溢れた。


「ただ、オーウェンの婚約者選びの時にウェルシェを見誤ったのを悔いているの」

「ウェルシェさんも候補だったの?」


 オーウェンの婚約者候補としてイーリヤ・ニルゲ以外にウェルシェの名も上がっていた。


 今でこそイーリヤの商会で大きな蓄財を築いているが、当時はグロラッハ侯爵家の財力はニルゲ公爵家を凌駕していた。それだけに国内における貴族達への影響力も無視できなかったのだ。


「イーリヤもウェルシェも、どちらも有力な候補でした」


 イーリヤにするかウェルシェにするか会議でも紛糾した婚約者選びであったが、決め手になったのは2人の身上調査であった。


 物静かな深窓の令嬢のようなウェルシェは王妃としては心許ないと満場一致で幼少期より才気煥発なイーリヤが選ばれたのだ。


「それは……身上調査の者達もたばかられたのですね」

「ええ、そのようね」


 それなりに人物眼の持ち主であったはずだが、それでもウェルシェの猫被りを看破できなかったらしい。


「自分の目で直接確かめるべきでした」


 ハァ、とオルメリアの口からため息が漏れた。


「単純に能力だけ見ればイーリヤさんの方が上だと思いますが、彼女はあまりに真っ直ぐ過ぎるのでしょうね」

「本当に……ウェルシェの方が王妃向きね」


 ジャンヌにオルメリアは相槌を打つ。


「それに自分の能力を擬態で包み込んで隠し相手を手の平の上で転がせるウェルシェならきっとオーウェンとの相性は悪くなかったでしょう」


 オーウェンとウェルシェ、エーリックとイーリヤの組み合わせの方が波乱も無かっただろうとオルメリアには悔やまれてならない。


 もっとも、この話をウェルシェが聞けば、嫌な顔をして「冗談ではない!」と叫んでいそうだ。


 ウェルシェからすれば王妃など面倒事は御免被るのだ。それに天使のようなエーリックが好みのウェルシェにとって俺様系とんでも王子など絶対に嫌であろう。


「今さら言っても詮無き事ね」

「王妃殿下は今後どうされるおつもりなのですか?」

「特別どうもしないわ」


 オルメリアは目を細め薄く笑った。


「先程の席で言った通りよ。母としてオーウェンをきつく叱るだけ……ただ……」

「ただ?」

「あなたも言っていたでしょう。学園は小さな王国だって」

「はい、組織の運営のありかたは同じであるかと」

「私も同意します……だから、卒業までにあの子の学園での振る舞いが王として相応しいもので、イーリヤとの関係を修復できたのなら問題はないでしょう」


 オルメリアとジャンヌの会話にエレオノーラは不穏なものを感じた。


「もしできなかったら?」


 だからエレオノーラは聞かずにはいられなかった。


「私はオーウェンの母であると同時に国母でもあるのです。我が子と言えど容赦はできません」


 オルメリアの顔から表情が抜け落ちた。


 それは彼女の感情が無くなったのではなく、母親としての情を押し殺したのだろうとジャンヌは思った。


 王妃としての責務に母として生きられない一抹の寂しさをオルメリアは抱いている。同じ母親としてジャンヌはそれを理解できる。だからこそ次にオルメリアが何を口にするのかも既に察していた。


「オーウェンの王位継承権を剥奪し、エーリックを立太子するよう陛下に進言します」

「――ッ!?」


 オルメリアの苦しい決断をジャンヌは目を閉じて黙って拝聴し、エレオノーラは声にならない悲鳴を上げたのだった……

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