第26話 その伯爵夫人、本当に温厚なんですか?

「そ、それは真実なのですか?」


 用意周到なウェルシェが何の裏付けもないなどあり得ない。それを理解しているはずのオルメリアでも聞き返さずにはいられないほど動揺していた。


「間違いありません」


 そんなオルメリアの問いに応えたのはウェルシェではなくシキン夫人であった。


「私の息子だけではなく、一緒に陛下より推挙を受けた者達は一人残らず遠ざけられたのです」

「ああ……」


 息子のあまりの暴君ぶりにオルメリアは目の前が真っ暗に、頭は真っ白になってしまった。


 今日という日が悪い夢であれば良かったのにと現実逃避したくなる。叶うならば時を巻き戻して欲しいとさえオルメリアは願わずにはいられない。


「オーウェン殿下はご自分におもねる者だけを側近として迎えたご様子です。今や学園内で自ら選んだ側近達と肩で風を切って闊歩かっぽする始末……」


 ちなみに、その佞臣ねいしん予備軍の母親達はセギュル夫人の派閥である。


 シキン夫人は苦々しく続ける。


「その側近達は素行の悪さに加えてくだんの男爵令嬢に入れあげており、ご自分の婚約者を蔑ろにしております」


 この主人にしてこの臣下あり状態である。


「私の親友キャロル・フレンドの婚約者クライン・キーノン様もオーウェン殿下の側近として悪評が酷く、フレンド伯爵も彼を身限り婚約を解消されたのです」

「そ、それは事実無根です!」


 ケイトと同じテーブルを囲んでいたクラインの母キーノン伯爵夫人が金切り声を上げた。


「あれはフレンド伯爵令嬢が不特定多数の殿方と不義を働いたからです」


 親友のキャロルがクラインと婚約を解消した後、ケイトを筆頭にしたオーウェン殿下の現側近落ちこぼれの親達がキャロルのあらぬ噂を広めていた。


「そのような事実はございませんわ」


 だから、これを機にウェルシェは友人の名誉を挽回しようと画策していた。


「息子から確認を取りましたがフレンド伯爵令嬢に落ち度はありませんでした」


 シキン夫人からの援護射撃もお願いしているウェルシェに死角は無い。


「シキン夫人が仰るのなら間違いないでしょう」

「私の娘から聞いた話では、むしろクライン・キーノンは自分の正義を振りかざしては乱暴狼藉を働く素行の悪い人物だとか」


 ケイト達以外のテーブルからちらほらとクラインを詰る声が聞こえてきた。これはシキン夫人の影響力もあるが、ウェルシェの仕込みによるところも大きかったりする。


 実はこのお茶会にはウェルシェの息が掛かったサクラが紛れ込んでいた。そのサクラとなっている夫人達がウェルシェに合わせて周囲を扇動していたのである。


 傘下に収めたレーキ・ノモを始めとした有能なオーウェンの元側近達をフル活用し、出席者を洗い出し自分に協力してくれる者に接触していたのだ。


 本当に優秀だとウェルシェは感心する。それと同時に彼らの真価に気づかず捨てたオーウェンはどうしようもなく愚かだと思う。


(だけど、そんなものなのかもね)


 人の才とは容易に測れるものではなく、ゆえに古今東西どこにおいても人の登用とは難しいものなのである。


 そして、自分は他者と違いちゃんと能力を判別できると勘違いするところまでがセットである。


(オーウェン殿下はジョウジ様やレーキ様達を無能で現側近達を優秀だとのご自分の評価を疑ってもいない)


 つまるところオーウェンは自分が優れた指導者であると盲信しているのだ。エーリックは逆に自分に対して自信がなさすぎだが根拠の無い自信よりもマシだとウェルシェは思う。


「今現在、学園ではオーウェン殿下とその側近達が件の男爵令嬢を囲って好き放題されておられますわ。特に側近達の婚約者達が被害を被っておりますの」

「私の息子のように側近でさえお諌めすれば不興を買ってしまうので、誰にもオーウェン殿下を止める手立てがございません」


 ウェルシェに追随するシキン夫人の声は凍えるほど冷えていた。


 明らかに彼女は怒っている。


「学園では真に国を憂う若者達が不当に扱われ、殿下に阿る者達が横柄に振る舞っております。王妃殿下はこれを子供がする事だからと捨て置かれますか?」


 ウェルシェはびっくりした。


 シキン夫人が台本にない行動を示したのもそうだが、その言葉の内容は不敬と断じられてもおかしくない直諫だったからだ。


「学園は小さな王国です。この国の将来を映す鏡です」


 いや、驚いたのはウェルシェだけではない。

 この場の誰もが驚愕して目を見開いている。


「このままならば、オーウェン殿下がマルトニア王国の頂きにて見下ろされる景色の中に我がシキン伯爵家は恐らく無いでしょう」


(そこまで言う!?)


 シキン夫人の言葉に今度はウェルシェの方が度肝を抜かれた。


 これを直訳すればオーウェンが国王となった時にシキン伯爵家は彼によって滅ぼされているか、見限って他国へ亡命しているだろうとシキン夫人は言っている。


 つまり、オーウェン殿下は暴君になり得る人物であり、シキン伯爵家は彼を支持しないとの意味が暗示されているのだ。


 これはシキン夫人によるオーウェンへの痛烈な批判だ。

 当然、聡いオルメリアにも彼女の意思は伝わっている。


(まずい! まずい! まずい!)


 表面上はにこにこ笑っているウェルシェだったが、実は予定外の事態にけっこう焦っていた。


(シキン伯爵夫人がこんなに激烈な方だったなんて。おっとりした外見に騙された!)


 貴族とは上の立場の者を諌める際は、遠回しに諷諫ふうかんするものだ。直諫ちょっかんとは相手に首を差し出し斬られる覚悟で言上している事を意味する。


 何故なら諫言が聞き入れられなかった場合、諌めた者はどんな理由であれ罰せられる。だからこそ直諫とはみだりに行えない勇気ある行動なのだ。


(この諫言はオーウェン殿下から王位継承権を剥奪せよと言っているに等しいけど、今の段階では実の息子を見限るほどとは思えない)


 オーウェンはまだ若すぎるし、もたらした実害も少ない。


(シキン夫人の言葉が取り上げられる可能性は低いけど、その場合は彼女が罰せられ連れてきた私もお咎め無しとはいかないわよね)


 理不尽に思えてもそれが貴族社会での常である。


(王妃殿下の選択は息子かシキン家かの二択になってしまっているわ)


 今後の展開と対策のシミュレーションでウェルシェの頭は物凄い勢いで高速回転し始める。


(女は度胸! ええい、ままよ!)


 王妃オルメリアとシキン伯爵夫人の視線がぶつかり合い、周囲の夫人達が圧倒されて固唾を飲んで見守る張り詰めた空気――


「まあ、シキン夫人とお会いできなくなるのは寂しいですわ」


 ――それをウェルシェの場にそぐわぬおっとりした声が壊した。


「せっかく仲良くなれたと思いましたのに」


 それはウェルシェの大博打の始まりを告げる一声だった。

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