第15話 その第二王子、本当に軟弱じゃないですか?

「僕はウェルシェが好きだ!」


 エーリックの魂の叫びがグロラッハ家の庭園に響き渡った。


「そんなはっきり告白されると照れてしまいますわ」

「いったい何をやっているんですか」


 エーリックの熱烈アピールにウェルシェが赤らめた頬に両手を添えて恥ずかしがり、そんなやり取りをカミラが呆れた目で見ている。


 ここは二人がいつも逢引する小さな白い四阿ガゼボ


 下校の時間となり、エーリックは王城へと戻らずウェルシェと一緒にグロラッハ侯爵家へと訪れていた。


「だけどウェルシェは僕を好きじゃないんだ!」

「何でそうなりますの!?」

せわしない方達ですねぇ」


 嫌われたと絶望のエーリック、嫌ったと思われて驚愕のウェルシェ、何の茶番かと呆れ顔のカミラ。


「私がお慕いしておりますのはエーリック様だけですわ」


 必死に自分の気持ちを訴えるウェルシェの態度は真摯である。もっとも、カミラには「エーリック様」の後に(の婚約で得られる特権)と副音声が聞こえていたが。


「でも、みんなウェルシェはケヴィン先輩が好きなんだって言うし……ウェルシェは僕との婚約が本当は嫌だったけど断れなかったのかなって」

「誓って私がケヴィン様をお慕いしている事実はございません!」


 王家から優遇されているエーリックと利益の薄いケヴィンを比べるならば、エーリックを選ぶのが腹黒令嬢ウェルシェである。


 利のない結婚はノーサンキューだ。


「でも、ケヴィン先輩は令嬢達に人気があるし……」


 冗談ではない!


 ケヴィン勘違いヤローに色目を使う頭の緩い令嬢達と一緒にされるなど、ウェルシェにとって侮辱以外の何ものでもない。


「僕、自信なくなってきたよ」

「私を信じてくださいませんの?」


 ウェルシェは目をうるうる潤ませて訴えた。


「だけど、みんなウェルシェは僕にもったいないって思ってるんだ」

「他の誰がどう思おうと関係ありません。私はエーリック様が良いのです」


 カミラには聞こえる。


 エーリック様の後に(との婚約に付随する特典)との副音声が。


「まあ、落ち着いてお茶でも召し上がってください」


 だが、カミラは野暮な指摘はせず、小さな白い丸テーブルを挟んで座るお客様エーリック主人ウェルシェに慣れた手付きでお茶を淹れていく。


「ああ、ありがとう……変わった香りのお茶だね」

「これはウォルリント産なんですの」

「薔薇の香りかな?」

「気に入っていただけまして?」

「うん、美味しいよ……それに、とてもホッとする」


 鎮静効果のある薔薇の成分を含む茶を飲み、エーリックは幾分か落ち着きを取り戻した。


「ウォルリントとは初めて聞いたけど?」


 お茶は貴族の嗜み。


 エーリックも様々なお茶をテイスティング出来るのだが、カミラが用意した物はかなりマイナーであった。


「市場に出回っておりませんので、ご存知ないのも無理ありませんわ。こちらはイーリヤ様の商会で扱っている品なんですのよ」

「イーリヤ嬢の?」

「私はイーリヤ様とは面識はございませんが、カミラがあちらの侍女と懇意にしていて融通してもらっているのですわ」


 カミラはニルゲ公爵家のみならず様々な貴族家の家人達と繋がりを持っている。ウェルシェはカミラが構築した侍女さんネットワーク情報源を非常に重宝していた。


「お陰様で珍しい商品をいち早く教えていただいたりしております」


 エーリックのカップが空になると、カミラは二杯目を注ぎジャムの入った瓶を添えた。


「新しく淹れ直しても良いのですが、濃くなった二杯目に薔薇ジャムを少しばかり加えると違った味わいを楽しめます」


 エーリックは教示に従って小匙一杯のジャムを混ぜた。


「本当に素晴らしい茶葉だね。イーリヤ嬢が経営している商会は今や我が王国マルトニアで屈指になっているんだから彼女の手腕には驚かされるよ……なのに兄上は……」


 エーリックは感嘆すると同時にオーウェンを思い浮かべて嘆きが漏れてしまう。


「彼女は容姿、能力、気品、性格……どれを見ても非の打ち所がない。それなのに他の令嬢を侍らせるなんて」


 アイリスの戯言が原因でウェルシェとの婚約に危機を迎えているわけだから、エーリックが愚痴りたくなるのも無理はない。


「優秀過ぎるイーリヤ様に劣等感を抱いているのかもしれませんわ」

「まあ、それに関しては分からなくてもないけど」


 エーリックが自嘲気味に笑うのでウェルシェは小首を傾げた。


「エーリック様は私に劣等意識がおありなのですの?」

「だって、ウェルシェは優秀だし、学園の人気者じゃないか……それに比べて僕はウェルシェと並び立てるほど優れていないし……」

「エーリック様……」


 悔しそうに顔を歪ませエーリックがテーブルの上で拳を強く握り締めた。


「私は知っています」


 エーリックの拳の上にウェルシェはそっと手を重ねた。


「エーリック様はいつも学園で頑張っておられます。ご自分を鍛える努力をなさっておられます」

「だけど、それでも僕は学業も魔術もウェルシェより劣っているんだよ?」

「それが何だと言うのです」


 ウェルシェは思う。


 自分より優れている婚約者に劣等感を持つのは構わない。だけどオーウェンのように優越感に浸りたいが為に他の女性へ逃避するのは間違っている。


「どうして私と比較なさいますの? エーリック様は入学してから徐々に成績を上げているではないですか」


 それに比べてエーリックは一歩一歩先へ進もうとしているのだ。


「エーリック様は確実に成長なさっておられます。昨日より今日、今日より明日、努力している限り未来のエーリック様はもっと成長していきますわ」

「ウェルシェは僕なんかで良いの?」


 エーリックの縋るような目にウェルシェはにこりと笑い返した。


「『なんか』ではありません。努力を重ね続ける事はとても難しいですわ。ですから、直向きに歩み続けるエーリック様を私は尊敬しておりますわ」


 これに偽りはない。確かに能力が優れているに越した事はない。だが劣っていても愚直に進もうとする者をウェルシェは嫌わない。現在の己の能力に胡座をかく者よりずっと好ましいと思う。


「そんなエーリック様をどうして嫌いになりましょう」

「ウェルシェ」

「私は本当にエーリック様だけですわよ?」


 オーウェンを含め、側近達を篭絡したアイリスの手口をカミラの情報源から既に掴んでいた。


 婚約者に剣に魔術に学問に家庭環境に、それぞれ原因は異なるが挫折したところに耳触りの良い言葉で堕落させているらしい。


 ケヴィンも出来の良い兄と比較されて腐っていたところアイリスから「あなたはお兄さんに負けてない。あなたにも優れたところがあるから胸を張って良いんだ」みたいなセリフで堕とされたそうな。


 それを聞いてウェルシェが呆れたのは言うまでもない。


「ケヴィン様みたいに女生徒達と遊蕩三昧されるような方と一緒になどなりたくありませんわ」

「僕だってケヴィン先輩なんかにウェルシェを渡したくない!」


 ウェルシェの焚き付けでエーリックはやっと意思を固めた。


「だけど、介入してきた兄上はどうしよう?」


 と思ったらすぐに弱気になる彼の頼りなさにウェルシェは内心でため息を吐いた。


「陛下に直談判なさいませ」

「だけど、兄上達に権力を使ったって言われてしまうよ。僕は自分の力で君を守りたいんだ」


 何を生っ白いこと言ってんだ。


 だいたい、オーウェンが自分達の婚約に口を出すのも第一王子の地位を乱用したものではないか。それを棚上げするオーウェンにも呆れるが、真っ直ぐ過ぎるエーリックにもウェルシェはちょっと呆れた。


「エーリック様が無闇に王族の地位を乱用しないのは美徳ですが今回ばかりは事情が違いますわ」


 使えるものは何でも使うのが腹黒令嬢流。

 まあ、馬鹿正直にそんな事は言わないが。


「オーウェン殿下の横暴を阻止できるのは陛下だけですわ」

「だけど……」


 王家が取り決めた婚約をオーウェンの意見だけで覆される可能性は低いだろう。


「何も言わねばオーウェン殿下の言が通ってしまうかもしれませんわ。きちんとご自分の意思を表明する事の何がいけませんの?」


 しかし、ここで黙っているのは得策ではない。


「そうだね、確かにその通りだ。さっそく戻って父上に言上するよ!」


 エーリックは愛する婚約者の説得に重い腰を上げたのだった……

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