初めての気持ち

「ジェームズ! 今日もチェスをしましょう! 今日こそはジェームズに勝ちたいわ!」

 強気でエメラルドの目をキラキラと輝かせるケイト。

「ええ、ケイト様。今日も負けませんよ」

 ジェームズも楽しそうにフッと笑う。ヘーゼルの目は輝いていた。

 ケイトがジェームズが暮らす孤児院に定期的に慈善活動に訪れるようになって3ヶ月程が経過していた。2人はチェスを通してすっかり仲良くなっていた。チェスをするだけでなく、2人は色々なことを話すようにもなっていた。ケイトが15歳で成人デビュタントを迎えたばかりであること、ジェームズは3歳からこの孤児院で暮らしていることなど、お互いのことも話していた。

「ああ、悔しい! また負けたわ! ジェームズって本当に頭がいいわね。チェスの戦略を練るのも上手だし。その頭脳、きっとチェス以外にも活かせるわよ。例えば、蒸気機関の応用とか」

「蒸気機関にも興味はありますよ。15年前、つまり丁度ケイト様がお生まれになった頃に蒸気機関が開発されて産業革命が起こりましたよね」

「その通りよ。だけど蒸気機関には欠点もあるわ。熱効率が悪いし、回転速度も小さいの」

「ええ、ですから、ボイラーや復水器が必要です。大きなピストンが往復するために小型・軽量にしたり、大出力を得ることが困難でもありますよね」

 技術的な話でもジェームズとケイトは盛り上がっていた。

「しかし、ケイト様のように、技術的なことに詳しい女性は珍しいですよね。技術本の著者も男性ばかりですし」

 何気なく発したジェームズの言葉に、ケイトは少し表情を曇らせる。

「この国は男尊女卑が根強いのよ。女性に学問は不要だと考える男性達が多いわ」

 しかし、次の瞬間ケイトは力強い表情になる。

「だけど、それは間違ってる。女性にも、いえ、老若男女、身分問わず学ぶことは必要よ。文字が読めたり算術が出来るからより高いお給金がもらえる仕事に就けたりするし、知識が身を助けるのだから」

 ケイトのエメラルドの目は、力強く輝いていた。

「確かに、ケイト様の仰る通りですね」

 ジェームズは優しげにヘーゼルの目を細めた。

(多分貴族や上流階級には保守的な方々が多いのだろう。ケイト様は多分そんな社会で苦労している)

 慈善活動に来るケイトは他の貴族とは違い、自分達平民、ましてや孤児を無意識的に見下すことなどしない。そしてジェームズや他の子供達といる時にコロコロ変わる表情。ジェームズはそんなケイトに強く興味を持つようになった。

(ケイト様のことをもっと知りたい。僕がケイト様の力になれたらいいのに。こんな気持ちになったのは初めてだ。心理系の本や恋愛小説の通りなら、この気持ちはきっと……)

 ジェームズはヘーゼルの目を少し伏せた。

(ケイト様は貴族で、ソールズベリー伯爵家の令嬢。僕は平民の孤児。結ばれることはあり得ないか。思い上がるな、僕)

 ジェームズは自嘲した。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 そんなある日のこと。

 ジェームズは慈善活動に訪れたケイトといつものようにチェスをしていた。

(この調子なら……7手、いや、5手先でチェックメイトに持って行ける)

 ジェームズは持ち前の頭脳で容赦なくケイトを追い詰めていた。

 その時、聞き慣れない声がした。

「お、ケイト、お前ここでもチェスをしているのか。女のお前が男のゲームをしてよく飽きないな。まあ俺はケイトに勝てたことはないけど」

 馬鹿にするような悪意はないが、どこか引っかかる言葉である。

「ダニエル……」

 ケイトは表情を曇らせる。

 ダニエルと呼ばれた少年はケイトより少し年上に見える。ブロンドの髪にグレーの目である。

「……貴方は、ダニエル・ヘクター・グロスター様ですね。グロスター伯爵家の」

 ジェームズは慈善活動に来る貴族の名前を覚えているのだ。

「ああ、その通りだ。まさか名前を覚えてくれているとは思わなかったよ。お前は確か、ジェームズだったか?」

 意外そうに微笑むダニエル。

「ええ、ジェームズです。覚えていただけて光栄です」

 ジェームズはフッと笑う。

(ダニエル様も貴族……。ケイト様の隣に並ぶ権利を持っている……)

 ジェームズの心の中に、どす黒い何かが渦巻き始めていた。そしてついこんなことを口走ってしまう。

「ダニエル様とケイト様は……何だかお似合いですね」

 すると2人はギョッとした表情になる。

「私とダニエルが!? あり得ないわ!」

「それはこっちの台詞セリフさケイト! 俺こそこんな男よりも賢い女は耐えられない。第一、女に学問はそこまで必要じゃないと思うね」

「何ですって!? 女だって学ぶ必要があるわ! いえ、老若男女、身分問わず学ぶことは重要よ!」

「確かに、知識があれば助かることもあるのは重々承知だしケイトの言うことも一理あるのは理解出来る。だけど、理解出来ることと受け入れられることは全くの別物だ」

 ジェームズの目の前でケイトとダニエルは言い争いを繰り広げている。空気も少しギスギスしていた。

「……すみません、僕が余計なことを言いましたね」

 いたたまれなくなり、ジェームズは苦笑する。

「そうよ、ジェームズらしくないわ」

 ケイトはムスッとしてジェームズを見る。

 ケイトがダニエルに全く気がないことが分かり、ジェームズは少し安心してしまった。

「まあグロスター伯爵家としても、ソールズベリー伯爵家との繋がりは欲しいところだけど、生憎俺はグロスター家の長男で後継ぎ。それに俺の下には妹しかいない。ソールズベリー家も子供がケイトしかいないから婚姻によって繋がりを得るのは無理だね」

 ダニエルは苦笑しながらジェームズに説明した。

「お貴族様は結婚に政略的な繋がりを求めるのですね……」

 ジェームズは少し考える素振りを見せた。

(ケイト様は貴族で伯爵家の令嬢。僕は平民の孤児。普通ならあり得ない。でも普通でなければ……)

 ジェームズの中にある考えが思い浮かんでいた。

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