ジェームズとケイト

「みんな、このお方はソールズベリー伯爵家のケイト様だ。くれぐれも失礼のないように」

 ジェームズが暮らす孤児院に慈善活動にやって来たのは、ケイトという少女だった。

 手入れされた艶やかな赤毛にエメラルドのような緑の目。気が強そうなはっきりとした顔立ちの、可愛らしい少女である。

「ケイト・レイチェル・ソールズベリーよ。みんな、よろしくね」

 ふふっと屈託のない笑みを浮かべるケイト。

(貴族の名前はやたらと長い。今まで来た貴族もそうだった。まあ僕には関係のないことだけど)

 ジェームズのヘーゼルの目は冷めた様子でケイトを見ていた。

 しかし、ケイトは今まで孤児院に訪問した貴族とは違い、子供達に熱心に読み書きや算術など、色々な知識を教えていた。

(……平民や孤児を見下している様子はないか)

 ジェームズにとって、ほんの少し新鮮であった。しかしそれだけであり、ジェームズは再び図書館で借りていた分厚い本に目を戻す。






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(もう1時間経っていたのか)

 読書に集中していたジェームズは、時計を見て表情を変えずに驚いていた。

(まあここまで読めたし今日はこのくらいで……)

 本を閉じようとしたジェームズだが、目の前から視線を感じた。ジェームズがゆっくりと正面に目を向けると、そこにはケイトがいた。

「ケイト・レイチェル・ソールズベリー様……」

「あら、名前を覚えてくれたのね。嬉しいわ。でも長いからケイトでいいわよ」

 ふふっと嬉しそうに笑うケイト。

「貴方がジェームズね?」

 前のめりになり、エメラルドの目をキラキラと輝かせているケイト。

「はい、そうですが……」

 少し怪訝そうな表情になるジェームズ。

(……これはどういう状況だろうか?)

 目の前の状況が全く読めなかった。

「やっぱり。あ、読書の邪魔をしてしまって申し訳ないわ」

「いえ、切りのいいところだったのでお気になさらないでください」

 淡々と答えるジェームズ。ケイトはその答えに少しホッとした。

「よかった」

「それでケイト様、僕に何かご用ですか?」

「ええ」

 ケイトは楽しそうな笑みで、折り畳まれたマス目状のボードと白と黒の駒をジェームズの目の前に出した。

「ジェームズはチェスってご存知かしら?」

 小首を傾げるケイト。

「いいえ。チェスというものを、今初めて聞きました。ですが……駒の色が白と黒に別れているので、2人でやるゲームでしょうか? 駒も形によって役割が異なるということですよね?」

 ジェームズは目の前にあるボードと駒を見てそう推測した。

「その通りよ。見せただけでそこまで分かるなんて凄いわ」

 エメラルドの目をキラキラと輝かせるケイト。

「ナイフやフォークなど、普段何気なく使う物の形状には意図が隠されていますからね。ケイト様が仰るチェスというのもそうだと思いました」

 ジェームズは相変わらず冷めた目でチェスに目を向ける。

「そこまで考えているのね。やっぱり他の子達が言った通り、ジェームズは頭がいいのね」

 ふふっと微笑むケイト。

 ジェームズはケイトの言葉と表情から再び推測する。

「恐らくチェスというのは、高度な知能がいるお貴族様の遊び。他の子供達はまだ幼いですし、説明してもよく理解出来ていなかった。だから、他の子供達から僕のことを聞いてケイト様は僕ならチェスが出来るのではないかとお思いになったのですね?」

「凄いわ……! そんなことまで分かってしまうのね!」

 ケイトのエメラルドの目は更に輝く。

 ジェームズは冷めた目のままフッと笑う。

「表情、目線、仕草や態度など、人間はその場にいるだけで情報の塊ですから」

「そこまで見ているのね。じゃあジェームズの前だと嘘も見抜かれてしまいそうね」

 ケイトは面白そうに笑った。

 その後、ジェームズはケイトから詳しいチェスのルールを聞き、対戦することにした。

 序盤はルールを思い出しながらやっていたが、中盤になってくるとすっかり慣れたジェームズ。

(……ここで僕が黒のビショップを進めてケイト様の白のナイトを取る。そしたら多分ケイト様はチェックを回避する為に次の手で白のルークを動かして僕の黒のクイーンを取るだろう。多分そこで油断が生じる。そこを一気に詰めてチェックメイトだ)

 一瞬でそう考えたジェームズは黒のビショップを動かし白のナイトを取った。

「チェック」

 すると予想通りケイトが白のルークを動かし、ジェームズの黒のクイーンを取りチェックを回避した。

 ジェームズはほんの少し口角を上げ、黒のルークを動かした。

「チェックメイトです、ケイト様」

「え!? 嘘!? ……やられたわ。クイーンを取ることが出来たから油断したわ。初っ端からクイーンサクリファイスを使うなんて」

「クイーンサクリファイス?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げるジェームズ。

「自分のクイーンを犠牲にして自分に優位な局面に持っていくことよ。クイーンサクリファイスで勝利するほど気持ちのいいプレーはないわよ。やられた方は物凄く悔しいけれど」

 ケイトは心底悔しそうだった。

「そうなのですね」

 ジェームズのヘーゼルの目は、少しだけ輝いていた。

(……チェスは戦略を練るゲーム。戦略を練ることは結構楽しいかもしれない)

 胸の鼓動が高まり、ジェームズはワクワクしていた。

「もう、私チェスで負けたのは初めてなの。とても悔しいわ。ジェームズ、もう1回やりましょう。今度は負けないわ!」

 ケイトのエメラルドの目は再びキラキラとやる気に満ちたように輝く。

「ええ、お願いします」

 ジェームズは頬を緩めた。

 今までつまらなかった人生が色付き始めたような気がした。

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