第19話 (終)




「俺とカリンで人生においての敵は倒しました。カリンはこの国で誰よりも強いであろう人物を伴侶としますし、俺は爵位を得たので自分と、これから王太子妃になるカリンの立場の補強もこれでできます。今回の件で国王陛下から褒美もいただきました。これで、貴女がこれまで俺とカリンのために使ってくれた費用も全額返すことができます」

「いいえ、それは違いますエリアス様。わたしがあなたとカリンに使ったのは養育費。子どもに当然使うべき物ですし、それを返済だなんて……ろ、老後の面倒を看てもらえたら」

「もちろん看ます。でもそれは貴女と親子だからじゃない。夫婦だから看たいんだ」


 レナがどう逃げてもエリアスは追いかける。


「レナは俺が貴女を好きだと言っているのは、昔の恩義を感じているからだと思っているでしょう? だから、俺とカリンに使ってくれた費用を返済するのは、まずはその恩を返してゼロに戻したいんです」


 さらには、レナがずっと胸の奥底で抱えていた物さえも暴いて、そして潰していく。


「貴女に助けられた恩を、恋慕の情と勘違いしているわけでもないですから」


 ぐ、とレナは言葉に詰まる。それこそレナがエリアスの言葉を素直に受け入れられない理由の一つだ。


「極限状態の中で助けてくれた相手に依存して、その想いを恋愛感情だと勘違いするのはたしかにあると思います。初めの頃の俺にその気配が微塵もなかったとは言いません。けれど、あれから六年経ちました。その間に俺個人としても色んな人間と交流をしてきたつもりです。その中にはもちろん女性もいます。でも……それでも、俺の中で貴女以上に愛しいと思う人はいなかったんです」


 さすがにエリアスも恥ずかしいのか、目元が薄らと赤く染まっている。だが、それは余計にエリアスの色気を際立たせるものだから、レナとしては正視してなどいられない。できることなら目を閉じたい。それが無理ならせめて顔を伏せさせて欲しい。しかし、エリアスの気迫の前では指先一つ動かすことができず、結果としてレナはエリアス以上に顔を真っ赤に染めて猛烈な愛の言葉を受けるしかない。


「去年ようやく、あの時俺とカリンを助けてくれた貴女の年になりました。その時に改めて痛感したんです……今の俺だとしても、貴女のように見ず知らずの子を助けることなんてできないと」

「そ……それは! あの時も言いましたし、これに関しては何度だって繰り返しますけど!! あくまでわたしの自己満足にすぎません。むしろ、わたしの自己満足に付き合わせたせいで、もしかしたらもっと他に良い未来があったかもしれないのを、潰してしまっていたかもしれないのに」


 そう、だから、とレナは必死に自分の中で溢れかえる気持ちを言葉に変える。


「エリアス様がわたしを好きだというのも、わたしの自己満足に付き合わせたせいで生まれた勘違いからの派生に」

「そう言うと思ったから今の今まで黙っていたんですよ」

「――は?」

「だからさっきも言いましたよね、この六年で俺も人間関係を広げたけど、それでもレナが好きだという気持ちに変わりはないと。むしろやっぱり勘違いなんかじゃなくて心の底から好きなんだと自覚しましたって」


 あれ、とレナは無意識に逃げ腰になる。自分が感じている以上にエリアスからの想いが強い、というか重い、というか……


「無意識の初恋が六年前だとして、ほんのり自覚したのが五年前、はっきりそうだと確定したのが四年前であとはそこからずっと、ずううううううっとお姉様一筋の拗らせ男の執着よ。舐めない方がいいと思うわお姉様」

「今改めて告白したところでどうせ勘違いだのなんだので逃げられる、なんなら婚姻関係の解消までされるかもしれないって、だからひたすら自分の気持ちを煮詰め続けた上に、逃げられないようにって外堀をガッチガチに固めるような奴だ。レナ、諦めろ」

「え、待ってくださいなんだかものすごい勢いで不穏な感じになってきてませんかこれ!?」


 ほんの一瞬前まで漂っていた気がするセンチメンタルな空気はすでにない。いやもしかしたらそんな気がしていたのはレナだけだったのかもしれない。それほどまでに、他の三人の様子がレナと違いすぎる。え、これってわたしだけがそんな雰囲気になってたの? と疑問符が浮かぶ中、クラウドは最早何度目になるのか分からないため息を吐く。


「貴女と対等な関係を手に入れて本当の意味で自分達のものにするためだけに、諸々を計画して実行して成功させる兄妹の執念というか執着というか……うん、なんだ、ほら、まあ……」

「半端な言い方やめてください!」

「レナはどうしても俺を受け入れるのは無理ですか? 自分でもかなり拗らせているとは思います。執着、もしていると……貴女が好きだからというそれだけなんですが……はい、向けられる方としては重いし怖いかもしれないと……わかってはいる、つもりです」


 ううう、とレナは天を仰ぐ。ここまでとんでもない量の情報と感情の濁流に呑み込まれて、いっぱいいっぱいではある。が、しかし、だからといってエリアスに対して恐怖だとか、ましてや嫌悪感など微塵も湧いてこない。それがレナにとっては問題であるし、そしてこれが答えでもあった。


「じ……自己満足で助けた子供を好きになっちゃうなんて……結局わたしも捕まった人たちと同類……」

「違う、貴女はあんな奴らと同じなんかじゃない」

「そうよお姉様。お姉様はずっと、あの時からわたしとお兄様を助けてくれた頃と何一つ変わっていないもの」

「貴女が俺を好きになってくれたのは、そうなるように俺が死に物狂いで努力したからです。だから、貴女はまんまと俺に捕まっただけなんですよ」


 あまりにも傲岸不遜な物言いであるけれど、レナに向ける眼差しはどこまでも優しい。あげく、視線が交わった瞬間にふにゃりと笑うものだから、レナも自然と笑みが零れた。


「今はまだ、気持ちの整理がつかないと思います。俺もやっと貴女と同じ立場に立てたところです。だからレナ……俺と、結婚を前提にお付き合いをしてください」


 お互い愛情を育む過程をすっ飛ばしての結婚だった。だから、まずはそこからもう一度始めてください、とエリアスは掴んでいた手を離したうえで、再度レナの片手に触れる。こういうとこまで含めて、全部先回りをしてレナの逃げ道を断つエリアスに、レナはやはり嫌悪よりも喜びが先にくるのだから自分も相当に彼のことが好きなのだなと、ようやく長年押し込めていた感情を解き放った。


「はい、よろしくお願いします――エリアス」


 そう答えれば、エリアスは心底嬉しそうな笑みを浮かべ、掲げていたレナの手の甲に唇を落とした。








 残す所の問題は、モニカとの共同事業の話であったのだが、これは筒抜けどころかすでにカタがついていた。

 エリアスとのことを正直に書き、諸々の理由でそちらには行けなくなったと手紙を出せば「だと思った」「むしろまだ話がつかないのかとやきもきしていた」との返事が届き、レナは仰天した。

 隣国でモニカと仕事をすることはできなくとも、互いの工房でデザインの発表会などを行い交流は続く。翌年にはレナ念願のカリンとクラウドの結婚式が盛大に行われ、レナは両目が溶ける程に咽び泣いた。数日は仕事にもならず、エリアスとの新居でボウッとした日々を過ごす。

 が、そんなレナもその翌月にはエリアスと改めての結婚式が執り行われ、この時は逆にカリンが号泣して大騒ぎとなった。


 襲い来る不幸を自らの手で打ち倒した麗しきシュナイダー兄妹と、そんな兄妹をそれぞれ献身的に支えたレナと王太子。二組の夫婦の仲睦まじさは王都でも広がり、やがて戯曲に取り入れられたりもして一人レナだけが羞恥に悶えたりもしたが、それ以外は穏やかで幸せな日々を過ごしていった。

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