第18話




「レナ」

「お姉様」

「はい!」


 改めて二人に呼ばれ、レナは反射的に背筋を伸ばして返事をする。なんだか名前を呼ばれる度にこんな反応をしているなとも思うが、呼ばれた後に衝撃の話が何度も飛び出るものだからつい身構えてしまう。


「あいつらに罰を与えることは俺達ではどうしてもできませんでした」

「そうですね! それは司法にお任せしないといけないものだから、むしろエリアス様とカリンが与えていたら大問題です!!」

「でも罰を受けるところまではわたしとお兄様の二人で押し込んだの!! あいつらのところの馬鹿息子だってそうよ!」


 エリアスとカリンにとっては一応義理の兄となるカトル。彼は両親とは別にして投獄されている。彼らの計画自体にはカトルは関わっていなかった。だが、アインツホルン家の資産を博打ですり減らし、その返済のためにと違法な薬物の売買に手を染めていた疑惑が浮上している。他にも窃盗や強盗の余罪もあり、そしてこちらはすでに仲間からの自白と被害者からの申し立てにより罪が確定している。仮に薬の売買に関わっていなかったとしても、最早カトルに今後貴族として生きていく道はないだろう。


「うん、できればそこも是非とも司法っていうかせめて殿下のお力を借りてほしかった! けど素直にすごいと思います! さすがわたしのカリンとエリアスです!!」

「レナ!」

「はいぃっ!?」


 ずっと繋がれたままでいた手が引かれる。そのタイミングでしがみついていたカリンが離れれば、レナの体はエリアスの腕の中に閉じ込められた。


「あの日助けてもらった小さなエリアスとカリンは、貴女のおかげで後顧の憂いを絶つことができるまでになりました」

「そ、れは、わたしのおかげなどではなく、二人の力が」

「はい、そうです。俺とカリンの二人だけで成し遂げました」


 あ、しまったと思った時にはもう遅かった。言質はとったとばかりにエリアスがさらに詰め寄る。


「俺もカリンも、もう貴女の庇護が必要な子どもではありません。自力で問題を解決できると、貴女も分かってくれましたよね!?」


 圧が強いし話もくどい。それによりようやく、やっと、遅まきながらにレナは気が付く。


「もしかして、殿下の力を借りるのを意地でも断ってたのって……」

「助けを必要とせず、自分の力で問題を解決して、これから貴女を助けていけるだけの力と立場を手に入れました。だからレナ、俺と――結婚してください!!」


 真っ直ぐに射貫いてくる視線と言葉。そこに込められた溢れんばかりの想い。レナは体中の血液が一気に顔に集まるのを自覚する。


「俺とレナは結婚しているのですでに夫婦ではありますが、それはあくまで形式的……俺とカリンを助ける手段として、貴女が身を挺してくれただけのものだ。いえ、俺はもうずっと前から、始まりはそうだとしても、貴女のことを一人の女性として愛していましたし、貴女以外を妻にしたいとは思っていません」

「ちょ……っと、待って……エリアス様、待ってください」


 制止の声を上げてもエリアスは止まらない。さらにレナを追い込んでくる。


「でも貴女はそうじゃないでしょう? 俺のことを今もそうやって、エリアス様と呼ぶことが多いのは、貴女にとって俺はあくまで庇護対象で、いずれ他の女性と結婚させてやらないといけないと、そう思い込んでいる」

「それは……!」


 その通りだ。レナにとって二人は庇護の対象である。ずっと守ってやりたいという気持ちはあるが、より強い相手が守ってくれるというのであれば、レナは喜んでその手を離すつもりでいた。


 カリンはこの国で誰よりも強い相手が守ってくれることとなった。

 エリアスは物理として守る力はすでに己で持ち合わせているが、その立場は脆い。そこを補ってあまりある、そしてできれば、エリアスのことを心から大切に思ってくれる相手を、レナは渇望して止まない。


「今回の件で、アインツホルン家は取り潰しになります」

「え!? そんな、だってエリアス様が」

「本当の両親や、先祖に悪いと思わなくもないですが、それでも俺とカリンにとってあの家の名前はもう口にしたくもないんです。古い家の名に固執して、それを残すためにと金策に明け暮れて、それがいつしかこんな事態を招いたのもあります。だからもう、あの家は潰してしまった方がいい」


 レナとしても正直なところはこの話に同意しかない。しかし、それでも貴族の名はそれだけで力を持つ。ああでもろくでもない結果となった家の名前ならいっそ継がない方がまし……いやでも二人にとって実家……が口にしたくもないって言ってるからやっぱり、とレナの思考はぐるぐると駆け巡る。

 だから、続くエリアスの言葉を理解するまでにかなりの時間を要した。


「そして、シュナイダー家が伯爵位を賜りました」

「えっ!?」


 ぶおん、と風を切る音が聞こえそうな勢いでレナは頭を動かした。視線の先はクラウドで、彼は一言「当たり前だろう」と軽く返す。


「貴族社会に蔓延っていた悪の根をたった二人で根絶させたんだ。王家からの褒美としてはむしろ足りないくらいだろう」


 一旦王家預かりとなるアインツホルンの領地であるので、そのままエリアスを当主としたシュナイダー家にすげ替える予定でいた。だが、それをエリアスが断ったのだ。


「これまで一度だって領地の経営について学んだことなんてないんです。そんな人間にいきなり領主だと言われても、そこに住む人々だって困るでしょう。ただでさえあいつらのせいで領民は苦しんできたんです。少しでもあの地に住む人のことを思ってくださるのなら、まっとうな領地経営のできる方を領主にしてください」


 クラウドのみならず、国王夫妻との謁見の場でエリアスはそう告げた。それにひどく感銘を受けた国王は一代限りとはいえ代わりに伯爵位を授け、そして莫大な報奨金も与えた。


「……我が父ながらだいぶチョロいなと思わなくもないけどな」


 クラウドがじっとりとした目を向けるも、エリアスは澄ました顔をしている。そもそも彼の方には向いておらず、視線は今もレナからはずそうとはしない。


「えええ……チョロいとは……」


 聞き流すにはだいぶこう、突っ込まずにはいられずにレナはつい話を続けてしまう。クラウドは「はああああ」とわざとらしいくらい大きなため息をついた。


「丸々全部が嘘だとは言わないが、エリアスが領地を断ったのは単純に面倒くさいだけだろう? それをさも領民のためだとかそんな……」

「嘘ではありませんよ」

「だから全部がそうだとは言わない、って言っただろう! 面倒なのと、とにかくレナのいる王都から片時も離れたくないからってなあ!」


 ぶわぁっ、とレナの体温がまたしても上がる。このまま体中の水分が蒸発してしまうのではないかと錯覚するほどに、体中が羞恥心に支配されて堪らない。


「レナ」


 エリアスのもう片方の手がレナの腕を掴む。それはまるですがりつくようで、見上げてくる顔は捨てられる寸前の子犬と同じにさえ見える。

 いや、この表情はあの時――レナとエリアスが初めて出会った見合いの席での顔と重なる。ぎゅううん、とレナの心臓が軋みをあげた。庇護欲と家族愛、そして純粋に自分を慕ってくれるその想いに、久しく沈黙していたレナの乙女心が盛大に反応する。

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