第6話
エリアスが無事成人となる十六の誕生日を迎えてすぐに、レナとエリアスは籍を入れた。これでアインツホルン家からエリアスに関して口出しをされる心配はひとまず消えた。カリンに対しての懸念は残るが、レナはそれらを札束で殴り続けて黙らせる。投資を兼ねて所有していた鉱山の一つから貴重な宝石が見つかったので、その権利を譲渡したので当面問題は無いだろう。
そしてこの時にレナはエリアスとカリンに一つの事を告げる。
「これでようやく私とエリアスは夫婦となったわけですが、これもいつか解消します。結婚はあくまでエリアスとカリンをあの下衆共から遠ざけるための手段ですからね。なので、エリアスはこれからたくさん恋をしてください。そして本当に好きな人を見つけて、その人と幸せになってくれたら、私はそれが一番嬉しいです」
これはカリンに対しても同じだ。二人にそう言い聞かせると、それぞれ神妙な面持ちで頷いてくれた。
それからしばらくして、エリアスは騎士団に入隊したいとレナに願い出た。レナからすれば突然の事であったのだが、どうやら幼い頃から憧れであったらしい。家の事で一度は諦めていたが、レナのおかげで再びその夢へ挑みたくなったそうだ。それが彼の望みであるならばとレナは喜んで送り出した。
訓練期間を終えるまでは隊舎での生活となる。兄と離れる事をカリンが悲しむのではないかと心配したが、驚く程にあっさりとしていた。
「ときどきは帰ってきてくれるんでしょう?」
「ああ、そうだよ。帰れない時は手紙を書くから、僕がいない間はレナをよろしくね」
「はいおにいさま!」
よろしくされるのは逆ではなかろうかと思いはしたが、幼い兄妹のしばしの別れをレナは黙って見守っていた。
そんなカリンは、とにかく勉強がしたいと片っ端から本を読んでは知識を得ていた。レナは家庭教師を雇ってカリンの未来図を広げる。エリアスもそうだったが、カリンもまたずいぶんと頭が良いらしく、これはぜひ学校へ通わせてはどうかとの勧めもあり、レナはこれまた大喜びでカリンを名門と謳われる学校へと進学させた。
当然費用はかなりかかったが、二人を引き取ってすぐにレナはこれまで手がけていなかった子供服のデザインを始めていた。何しろ最高のモデルが家の中にいるのだから、創作意欲が湧かないわけがない。
特にカリンに似合うというか、単純にレナがカリンに着せたいと思ったドレスが大層受ける。ある時、久しぶりにアネッテ夫人とのお茶会にカリンと共に参加をしたが、そこでカリンとカリンのドレスはご夫人方の心を打ち抜いたのだ。
「素敵……素敵だわ! なんて可愛らしいの! ああ、うちの孫にも是非着せたい!!」
レナとしては「うちの子可愛いんですよ見てくださいな、ほら!!」という心理でしかなかったのだから驚きである。いやあうちの子やっぱり最高だった、と思いつつも、突然ある種の見世物の様になってしまったカリンは大丈夫だろうかと心配にもなった。
しかし、レナとヘルガ、時々ルカも加わっての、大人三人から全力で可愛がられてきたカリンはこの頃には見事なまでの高い自己肯定感を得ていたので、それらの賛辞を萎縮する事なく受け入れる。そのおかげで、カリンをモデルとしてデザインした子供向けのドレスは大人気となり、レナにこれまで以上の富と名声をもたらした。
おかげでカリンの学費は余裕で賄え、それどころかエリアスとカリン、それぞれの名義の財産も増やす事もできた。
「わたしを一番に愛してくださるお姉様が、わたしに似合うようにと作ってくれたドレスなの。だから、それを着たわたしが可愛くないわけがないわ」
レナの新作のドレスを着る度に、カリンはこう豪語する。言葉だけなら傲岸不遜もいいところだが、それが許されるだけの美しさをカリンは持っているので驚異の説得力だ。
圧倒的な自信による発言は反感の目すら潰す。それでも、どうしても潰しきれない負の感情を向けられる事はある。この時ばかりはレナとエリアスの結婚が仇となり、カリンを貶める発言へと繋げられるが、カリンはそれらを尽く倒していく。
「そうやって他人を貶めなければ保てないくらい自己が乏しいの?」
これを心の底から疑問として問われた時の相手の心情たるや。
「お兄様が身売り? それはあなたがそういう風に見たいからそう見ているだけでしょう? いいわ、百歩譲って例えそうだとして、それがどうしてお兄様とお姉様を悪くいう事になるの? お兄様は自分を犠牲にしてまでわたしを助けようとしてくれたのだし、お姉様はそんなお兄様とわたしを救ってくれた、そういう事になるのよ? そしてわたしはそれだけの愛情を受けているの。大切にされているの。それが羨ましいという気持ちはわかるけど、だからといってわたしではなく、お姉様とお兄様を悪く言うのは許さない。絶対に、なにがあっても、許さないわよ」
貴族の子弟も通う場所であり、カリンに嫉妬で絡むのはそういった輩ばかりだ。しかしカリンは怯む事なく凜とした態度を崩さない。そうしたカリンの見た目のみならず気高い気性は、女子生徒から圧倒的信頼を勝ち得た。高位の貴族の令嬢から、レナと同じ平民出の少女まで友人となり、楽しく有意義な学生生活を過ごす。
エリアスもエリアスで、騎士団での訓練の日々は大変の様で中々帰って来なかったが、新年を迎える時は必ず帰省してくる。
「ほぼ一年ぶりとはいえ……すっかり大きくなりましたね?」
「お前はもっと伸びるだろうと、隊長に言われました」
「え、今よりもっとですか!? 見上げるのに首が痛くなりそう……」
「レナと話をする時は僕が顔を近付けるので大丈夫ですよ」
「そうしてもらえるとありがたいですね」
この時はまだ余裕だったのだ。背が伸び、少しだけ声も低くなってはいたが、レナの中では「美形だけども可愛らしいエリアス様」という認識。だから、こんな軽口で返す事もできた。
さらに翌年、十八になったエリアスはすっかり青年の風貌になっており、そんな美しい青年が事あるごとに長身を屈めて耳を寄せてくる。それが何だかとてつもなく恥ずかしくてそっと距離を取るが、離れた分だけ近付かれてしまう。気付けば壁際に追い込まれていたのは一度や二度ではない。レナがあまりに逃げ腰になるものだから、最終的には軽々と抱え上げられてしまった。
「こうすれば、レナは首が痛くならずに済むし、俺も腰が痛くならずに済むのでいい方法だと思うんですが」
「これっぽっちもよくないですね!」
いつの間にか「僕」から「俺」へと口調も変わり、それがより一層レナの中でのエリアスに対する感情をざわつかせる。住まいは相変わらず宿舎なので、日常的に顔を合わせずにいられるのが救いではあるが、その分長期休暇などで帰宅した時に美形の圧力を嫌という程思い知らされた。
もっとも、この頃にはカリンも少女から女性へと成長の兆しを見せ、可愛らしさと美しさを暴力的なまでに発揮していた。男性と女性、それぞれの美形を特等席で見守る事のできる喜びがあると同時、その威力を最前列で食らい続ける精神的疲労。しかしこれは心地よい疲労感でもある。創作意欲も衰える所か二人の成長に合わせて膨れ上がる一方で、レナの作るドレスは社交界で常に流行の最先端となっていた。
全てが順風満帆の日々である。エリアスは最年少で正騎士となり、カリンも飛び級で名門校を卒業して王立図書館の司書としての資格を得た。仕事に就くにはまだ年が足りないので、もっぱら見習い司書として兄と共に出仕する。麗しきシュナイダー兄妹の名は社交界に知れ渡り、なんとか彼らと繋がりを持ちたい貴族がレナの工房を訪れる。レナは勿論、そんな不埒な目的に手を貸しはしない。実情はどうであれ、エリアスとレナは夫婦なのだ。それを知っていながら、それでもなおエリアスを夫にと求めてくる貴族に辟易してしまう。
いずれエリアスとは離婚し、彼が心から好きになった相手と結婚させたいレナである。とはいえこんな、率先して不義理を強要してくる連中に大事なエリアスを渡す事などできない。そんなレナの態度に不快を露わにし去って行く貴族もいる一方で、これを切っ掛けにレナのドレスを気に入ってくれ、その後顧客となる貴族も増えた。どちらかといえば後者が多く、おかげでレナの工房は今や王都で一番人気とまでなった。
これだけでもレナにとっては過剰すぎる幸せであるが、ついにそれが頂点を迎える。
二人と暮らす様になって六年――カリンが十五歳を迎えた年に、王太子であるクラウドとの婚約が決まったのだ。
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