第5話



 話はレナですら驚く早さで進む。

 その場で求婚、というおよそ一般的にはありえない状況であったが、根底にあるのがそもそも常識どころか人道から外れた話なのだから問題はなかったようだ。


 レナからザビーネに提案したのは二つ。


 エリアスと結婚をしたいが彼がまだ未成年なので、今年一年は婚約期間とし、彼が成人すると同時に籍を入れる事。アインツホルン家にいる妹であるカリンも是非とも一緒に迎え入れたいというこの二点だ。

 カリンの話が出た時にザビーネは一瞬迷う素振りをみせたが、その辺りも含めて最終的にレナが札束で殴れば笑顔で了承した。紛う事なき、下衆である。

 アネッテ伯爵夫人の後押しもかなり効果があった。というか、途中からレナは気が付いた。こうなること事を見越して夫人は今回の場を用意したのだと。

 掌の上で踊らされている。腹が立たないと言えば嘘になるが、夫人は夫人でどうにかしてこの兄妹を助けたいと思っていたのだろう、きっと。だからレナへごり押しをしてきたし、即日婚約を成立させる書類を用意させるし、アインツホルンの屋敷で留守番という名で軟禁されている妹を呼び寄せ、そのままエリアス共々レナの家へと住まわせる許可を取り付けた。




 半日も経たない間に怒濤の展開である。レナは元より、エリアスもいまだにどこか呆けた様子でいるし、幼いカリンにいたっては全く理解できていない。

 見知らぬ場所、そして初めて会う人間。二人がけのソファに腰掛けた兄にしっかりとしがみついている。兄と同じく美しい顔立ちをしており、栗色のふわふわと波打つ髪がまるで人形の様だ。今でも充分に可愛らしく美しいが、数年も経てば社交界で知らぬ者はいないほどになるだろう。兄と妹揃って周囲の人間を虜にすること間違いなし。

 そんな二人を、口にするのもおぞましい境遇からギリギリで救い出す事ができて本当に良かったと、レナは安堵の息を吐く。


「色々と先行きが不安でしょうけど、ひとまず今日はもう休みましょうか」


 できるだけ兄妹、特に幼いカリンを不安にさせないようにとレナは笑顔を見せる。


「でも、寝る前にこれだけははっきりお伝えしておきますね。私はエリアス様とカリン様を使用人にしたくてここへお連れしたわけではありません。なので、明日は私かメイドのヘルガが起こしにくるまでゆっくり寝ていてください。朝食の準備も、朝の掃除などもしなくていいですから!」


 エリアスもカリンもきょとんとしたまま固まっている。言われている意味が理解できない、と。使用人として連れてきたわけでは無いと言うのなら、一体どんな目的で? と不思議がる姿にレナの中で再び怒りの炎が吹き上がる。


「部屋は二階の奥から二つ目です。隣は私の部屋なのでそこまで一緒に行きましょうね。夜中に喉が渇いたり、お腹が空いたり……あとは、うん、なんでもいいです。とにかく、なにかあったら遠慮なく叩き起こしてください」


 怒りの波動をどうにか抑え込み、レナは二人を寝室へと促す。腹は立つし怒りもするが、それは明日以降だ。今はとにかく、この兄妹を休ませてやりたい。

 いまだ疑問は残るのだろうが、二人も疲れがあるのか素直にレナの言葉に従う。寝室の前でもう一度「なにかあってもなくても、起こして大丈夫ですからね」と伝えてやれば、エリアスは小さく頷いた。

 そうしてそれぞれが部屋へと入ると、ほぼ同じタイミングで転がるように眠りに落ちた。





 明けて翌日。通いのメイドであるヘルガが作ってくれた朝食はエリアスとカリンの胃袋をガッツリと掴んだ。子供を三人育て上げ、すでにゆっくりとした生活を送るのも可能でありながら、ヘルガは今も元気に働いている。朗らかでふくよかな体型はカリンの警戒心を解くのにも一役かい、食後の一服をする頃には昨夜よりずっとリラックスしているようだ。


「レナさま」


 カリンは声までも可愛らしい。兄妹揃って美の神の贔屓がすごい、とレナはひとしきり感心する。


「レナと呼んでください、カリン」

「……レナ、は、おにいさまと結婚なさったの?」

「結婚しましょう、というお話をして、今は婚約期間ですね。来年、エリアス様が成人なさってから正式に結婚という流れになります」


 カリンの瞳が不安に揺れている。レナとしては可能な限り少女の不安を取り去ってやりたい。そう思って尋ねてみれば、思わぬ答えが飛んできた。


「わたしはなにをしたらいいですか?」

「なにを? って、別になにも」

「お掃除はできます。お料理も、少しなら……今日から少しずつ覚えていくので」

「よーしその辺りも含めてゆっくりお話しましょうね。エリアス様もですよ」


 労働力として搾取される前提で話を始めたカリンに、瞬間的にレナの怒りは爆発しかけたがどうにか耐える。声を荒げてしまってはせっかく心を開き始めた幼い少女を怖がらせてしまう。カリンが怯えると、芋づる式にエリアスからの不信感も増すだけだ。レナが怒りを通り越して殺意さえ抱きそうになっているのは、あくまで二人の実家に対してである。絶対許さないからな、という心の中のリストにしっかりと名を刻み、しかしそんな思惑は隠してレナは二人に言い聞かせる。


「家の事は全部ヘルガがやってくれるので大丈夫です。男手が必要な時はその都度雇い入れますし、そもそもヘルガの夫であるルカがいるのでそれもほぼ必要ありません」


 大工仕事や大きな荷物の運搬などはルカが力を貸してくれる。それでも足りない時にだけ、臨時に人を雇えば何も問題はない。


「じゃあ僕らは何をしたらいいんですか?」


 エリアスもカリンも不思議そうにレナを見つめる。彼らにこんな意識を根付かせた実家、とりあえず顔を把握しているザビーネを心の中で罵倒してレナは荒ぶる気持ちを必死に宥めた。


「お二人が、したい事をしてください」


 カリンは言われた意味が分からないのかキョトンとした顔をしている。エリアスは僅かに眉間に皺を寄せ、警戒する様にレナから視線を外さない。


「エリアス様には昨日お伝えしましたけど、もう一度言いますね。私がエリアス様と……結婚を決めたのはお二人が可哀相だから、というのはもちろんあります。ありますよそりゃ!」


 初対面の人間に憐れまれるのは不本意だろう。エリアスは昨日明らかにそういう反応を示した。だが、彼らの境遇を聞いて悲しい気持ちにならずにはいられない。


「そんな子供が目の前にいて、それをどうにかできる力を自分が持っていたらそれを行使するのが大人の責任なんです――なんてもっともらしい事を言ってみますが、ぶっちゃけると単に私の寝覚めが悪いので手助けさせてください、っていう完全な自己保身です」


 そう、可哀相だからだとか、子供をみすみす不幸な環境に置いておきたくないだとか、それらも決して嘘ではなく、紛う事なきレナの本心だ。が、しかし、一番は「寝覚めが悪い」これに尽きる。


「私の自己保身だし偽善ですよ偽善。こんな事言い出したら、じゃあ他にもたくさんいる不幸な子供はどうするんだってなるでしょう? できることならそりゃ助けたいですよ。でも流石にそこまでの力は私にはありません。なので、せめて目の前にいる、どうにか手が届きそうな相手だけでも助けたいんです」


 カリンはジッと話を聞いている。エリアスも同じだが、納得がいかないのか険しい顔をしたままだ。


「私も田舎にいた時にものすごく周囲に助けてもらったんです。婚約破棄なんてとんだ醜聞に自分でトドメを刺したものだから本当にもう……基本的には針のむしろですよ。でもそんな私を助けてくれる家族に友人、そしてアネッテ様のようなごく一部の物好きな貴族の方に支えられて、今もこうして頑張っているんです」


 だから、とレナは幼い兄妹に訴える。


「私が受けた優しさを、今度はお二人を通して返しているだけだと思ってください。それで、もし、お二人が大人になって、誰か助けを必要としている人が目の前にいたら、その時に私からの……恩というと本当にアレなんですが、優しさを返してくれたらいいなって」


 なんだか物凄く気恥ずかしくなりレナは最後を笑って誤魔化す。良さげな事を言っているつもりだが、あくまで「つもり」でしかない。ただただ、レナの自己満足なだけなのだ。

 それでも二人、特にエリアスを納得させる事はできたようだ。はい、と静かに、しかしはっきりと頷いてくれた。


「あ、でもだからって二人が無理して何かを目指すとかそういうのもしなくていいですからね! 私もやりたい事をやっていたらこうなっているだけなので、まずはお二人も自分がやりたい事を見つけましょう。そして素敵な未来を歩んでください。私はお二人が幸せになる姿を一番近い特等席で拝見しますから」


 美しい兄妹が目一杯幸せになる姿を間近で見るのだ。これはかなりのご褒美なのではなかろうか。

 知らず笑みが浮かぶレナを前に、幼い兄妹がこの時何を誓ったか。レナがそれを知るのは

これから六年後の事である。


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