第3話 後編

 正体を当ててみろと言われてたから、冗談で問いかけたつもりだった。


 湿った空気が吹き抜け、松明の炎が掻き消される。

 そこは、嵐の中だった。硝子色をした木の葉が、夜の毒々しさを受けて踊り狂う。雷が降り注ぎ、辺りの大木を薙ぎ払う。

 ハイリゲが魔法を使おうと翳した手を制して、私は剣を振るう。木片や葉を受け流して、突風の中を進んだ。

 魔法を生み出すのは、いつだって人の寿命だ。魔法を使う分だけ、短命になっていく。

 だから、きちんとした知識や修行をつけて、人生の終盤で使うのが主流だった。なので、魔法使いには勉強熱心な老人が多い。


 ハイリゲはどうだろうか。彼は、この広大なダンジョンを探検し尽くして、飽きたと言っていた。若々しい見た目からしても、彼の寿命は人間の何千倍。エルフ族やドワーフ族は、100年前の大戦で絶滅したので、確率は低い。


 私が知る中で、何千年も生きた生物など、一人しか思い当たらない。

 小さい頃、幼馴染たちと何千回も読み返した、御伽話。お母さんが、お父さんが、学校の先生が、自慢げに語った物語。

 その悪役。


「ーー貴方、もしかして魔王なの?」


 冗談のつもりで言った言葉だった。

 荒れ狂う風の中からハイリゲの手が覗き、私の肩を強く掴む。後ろへ一歩、強引に後退させられる。彼の息遣いが耳にかかる。

 私は、殺されるのだろうか。

 殺気はなかったが、咄嗟に剣を彼の喉元に押しやった。


「【魔法の盾アスピーダ】」


 高速でやってきた風の流木が、魔法陣に弾かれた。

 ハイリゲの横顔が見え、翡翠の瞳の中に呆然とした表情の私が映った。


「ご名答」


 服や髪が巻き上がる。翳された彼の手を伝って、禍々しい杖が出現する。


「私は勇者に倒され、何故か勇者と一緒にこのダンジョンに幽閉されました。

 人間の国は、勇者も危険だと判断したのでしょう。私との戦いで瀕死に近かった勇者は、僧侶によってダンジョンまで転送されました。私と共に、呪いをかけられて」


 タン、と音が鳴り、杖が地面に下ろされた。

 杖を中心に、じわじわと静寂が広がっていく。豪風が凪に喰われていく。


「最初は憎しみ合いました。けれども、どうしようもない事をお互い理解して、身の上話をするようになりましたよ。話してみると、意外と馬が合いましてね。

 気の遠くなるほど長い年月をかけて、私たちはようやく友達になれた。

 呪いのせいで、私たちはダンジョンから出ることもできなければ、自殺もできない。精神が限界に達したアイツは、いつしか深い眠りにつきました。

 『もし、人間が落ちてきたら、ダンジョンを案内してやってくれ』と、優しいことを呟いてね」


 杖の頭部から小さな蛍が生まれて、鈴のような産声をあげながら空へ登る。「アイツが最初に教えてくれた、人間の魔法です」とハイリゲは寂しそうに見つめた。


「そして、何百年経った後で、君が落ちてきた」


 蛍が弾ける。

 陽の光が降り注ぎ、静まり返った大地が砕けて、中から小さな花々が顔を出した。


「綺麗…」


 赤、青、黄、緑、橙、白、淡い色、濃い色、とろけた蜂蜜のように混ざった色。たくさんの色が、辺りを埋め尽くした。涼やかな風に吹かれて、凛と揺れている。


「触れてもいいの?」

「勿論」


 しゃがんで、恐る恐る突く。可愛らしい香りが鼻をくすぐった。

 少女の目に光が宿る。笑みこそないが、破顔しているのは明らかだった。

 なんだか心が暖かくなったハイリゲは、無邪気な笑みを浮かべる。


「美しいでしょう?」

「うん。貴方よりも、綺麗」

「それはそれで傷つきますね…」


 春の花畑で、日向ぼっこをしているみたいだ。苦笑いのハイリゲを置いて、私はささくれ立った木の靴を脱いだ。

 花畑の中を歩く。子供らしく走り回ることはできなかったが、草の感触が心地良かった。


「ねえ」

「何でしょう?」

「この子たちは、一体何? ハイリゲが魔法で出したの?」

「いいえ。嵐で木片の中に隠れていたのを、発掘しただけですよ」

「そっか」


 木の靴が、剣先で揺れている。なんだか踊りたい気分だったから、転ぶふりをしてくるりと回った。分からないままにステップを踏んで、鼻歌を口ずさむ。

 人を殺した感触を癒すように、私は花畑を進んだ。


「この先を真っ直ぐ行けば、出口です」


 最初の約束、ハイリゲの正体を当てたら帰り道を教えてくれるというのは、嘘ではなかったようだ。真っ直ぐ行けば着くなんて、安直すぎるとも思ったが。

 振り返って、柔和な表情の彼に投げかける。


「そんなに簡単な事で良かったの?」

「勿論。そんな簡単なことだったんですよ」


 ハイリゲは、にこやかに頷いた。




ーーーーーー




 雨の気配がする。洞窟のゴツゴツした岩を登ると、柳の隙間から、露に湿った葉の匂いと、微かな雨音がした。

 小雨だ。


「さ、雨が強くなる前に、行きなさい。その剣は、記念として君にあげましょう」

「ありがとう」

「冒険の終わりに、もう一つ君に贈り物をしましょうか」

「…何?」


 隣を見るとハイリゲはおらず、私の後ろで微笑んでいた。


「死刑囚シーラは、ダンジョンに落ちて死刑となりました。今の君を縛るものは、何もありませんよ」


 目を見開く。不意に、鼻の奥がツンとした。


「ありがとう。……貴方のお友達、目が覚めるといいね。少しだけでも」

「どうでしょう。アイツは寝坊助ですからね」


 茶目っ気を含んだ笑顔で、手を差し出したハイリゲ。私は頷いて、力強く握手する。青年の大きな手は、意外とゴツゴツしていた。


「また来るよ」

「是非とも。話し相手がいなくて、退屈しているので」

「うん」


 握った手から、ハイリゲの笑みから離れていく。

 私は彼から貰った剣を握り直し、曇天の空の下へ踏み出した。

 ーーまたのお越しを。

 ふと、人の気配がなくなって振り返る。

 それまであった人の形が、急に失せたようだった。


「ハイリゲ…?」


 「何でしょう?」と興味津々に尋ね返すハイリゲはいない。

 水気を含んだ風が体の隙間を通り抜けて、柳を小さく揺らす。





 その奥に、一輪の翡翠の花が見えた気がした。


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死刑少女とダンジョンの花 かんたけ @boukennsagashi

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