第2話 中編

『私が誰か当てられたら、ここから出る方法を教えます』


 見知らぬ相手から、難問を出されてしまった。


 湿気を含んだ、真っ白な癖毛。光を映さない緑の瞳。焦げたような匂い。ゴツゴツした細っこい筋肉質の体。それを覆う貧相な平民の服と、手首に巻かれた千切れた縄。

 …誰だろう。私が倒した人たちの家族や、友人? 多すぎて覚えていない。基本的に、倒す相手のことは顔も性格も大体把握してるのに、記憶に擦りすらしない。

 じっと観察して、顔を覗き込む。彼は動じずに、真っ向から私を見つめ返した。


「…貴方は、私が怖くないの? 一応、死神とか、悪魔とか言われてるけど」

「同じ罪人でしょう? それに、君より私の方が強い」

「確かにそうだね。……あと、ごめんなさい、貴方のこと全然覚えてないや。殺していいよ」

「それではつまらない。もっと苦しんでみたらどうです? 人生とは、そういう美しいものですからね。例えば、私みたいに」

「……そっか。うん」


 少し引いた。


「あ、剣返すよ。ありがとう」

「あげますよ」

「ありがとう」


 一歩離れて、ドラゴンの肉を切り取って鱗で巻き、魔法で火をつける。簡易的な松明の完成だ。他の肉も切り取って、一部は口に放り込み、他は腰の紐にぶら下げておく。後は、拒絶反応が起きなければ、食料は確保できる。

 迷宮では、必ず入り口の穴から風が吹き込んでくる。その証拠に、松明の炎は微かに一定の方向に傾いている。この流れの風上へ行けば、出口が見えてくる。

 辺りは壁に埋め込まれた鉱石で明るい。


 私が出発すると、彼は後ろからついてきた。

 剣士と魔法使い。二人が揃った。




 絵本なら、これを冒険の始まりというんだろう。



ーーーー



 輝く洞窟を通り過ぎ、巨大な龍が跋扈する湖を渡り、水の崖を飛んで、宝箱の罠に引っかかりながら、私は進んだ。後ろにいた彼が、余裕そうなのが少し癪に触った。

 洞窟は入り組んでいて、何の特性か自然のトラップが多い。危険度の高い遊具みたいで面白かった。なら、遊ぶのは10年ぶりだ。

 彼は、無言で私を見ていた。お父さんの視線とは違うけれど、優しかった。


 醜い魔物が、奇声をあげて倒される。握った剣に黒い液体がついた。彼の表情が歪む。

 魔物を見つめる。毛のない兎と犬の口を合わせたような不気味な体を痙攣させて、こちらを見ている。切り付けたのは私なのに、何故かこちらに助けを求めているように見えた。

 歪な瞳の上で、光が泳ぐ。

 光の魚は次第に死んで、神様の失敗作のような体は、溶けて消えてしまった。

 私が消した光だ。


 ぽたりと、冷や汗が流れた。喉が急に締め付けられたような息苦しさに襲われる。


「シーラ?」


 カラリと、剣先が地面につく。

 景色が拡大していく。音に呼応して、吐き気とともに戦火の影が脳裏をよぎった。


 満天の星が輝く空は、爆弾によって赤く燃え上がり、戦火の影がチラついた。

 祭りから戦場へ一変し、逃げ惑う人々。叫び声が至る所から響き、私はその声を頼りに、人を倒していた。空には爆弾が咲いて、小さな花火が降り注ぐ。私はその間を駆け抜けて、一人ずつ刺した。魔法で、剣で、拳で、牙で。他に仲間はいない。泣き叫ぶ赤ん坊や子供を無視して、大人を倒した。

 協力者たちは、自分の国で安全にバカな采配を振るう。敵国に潜入して大立ち回りをしたのは私一人。私だけが、大犯罪者。5年をかけて暴れ回ったけど、倒した人口は国の一割にも満たなかった。

 そういう約束、命令だった。 

 楽しくはなかった。

 モヤモヤが消えることもなかった。


「…ねえ」

「何でしょう?」

「死んだら、どうなるの?」


 誰かの顔を見たくて振り返る。何故聞いたかは分からないけど、私にとって大事なことだと思った。

 ハイリゲは、初めて悩むそぶりを見せた。


「……私は、一応魔法を極めているので、死ぬのは当分先になりますが…」


 彼はしゃがんで、地面に咲いた花を撫でた。


「人は、死んだら花になります」

「……花?」


 墓石に花束が添えられるからだろうか。それとも、土に帰った人を糧にして、花が咲くからだろうか。

 聞こうと思ったけど、ハイリゲの様子を見てやめた。


「ええ。花になる。どんな悪人も、必ず」


 望郷を感じる、切ない顔だった。でも、暖かい声だった。


「……私も、なれる? 汚くても、花になれる?」

「君はまだそんな年じゃないでしょう?」

「…そっか」

「素晴らしい考えでしょう? この距離、声、タイミング。全てが完璧です」


 とても素敵だね、と言おうとしてやめた。折角の雰囲気が台無しだ。こういうのを、残念というのだろう。

 洞窟には夜がない。体力はまだまだ有り余ってる。

 私たちは、また歩き始めた。




ーーーーーーーーー




 その少女は、少しずつ私に心を開いていった。

 今まで事務的なこと以外は口に出さなかった彼女が、初めて自分のことを語った。


「…貴方も知っているだろうけど、この世界は、最初は魔王に支配されていた。それを倒したのが勇者、聖女、僧侶の三人。彼らは多大な犠牲を払って、世界を解放した。

 私のお父さんとお母さんは、聖女の子孫だった」


 光の苔が包み込む広大な空間に、透明な橋が複雑に絡み合っている。下には白い沼があり、彼女の足が弾いた小石を飲み込んだ。

 怖くないのか、彼女は松明をかざして淡々と進む。

 布はしが千切れ、薄汚れたワンピースは、元は美しい白色だったのだろう。貧相な傷だらけの小さな体に、腰の剣が不相応に揺れていた。


「ちょうど私が10歳だった頃に、国で病が流行ったの。お父さんとお母さんは、聖女の子孫として各地を奔走した。けどね、病に犯された国は一行に回復しなくて、皆困ってた」


 話の内容に反して、景色は皮肉なほどに幻想的だ。

 橋が動き始め、光がオーロラに交差する。真下の沼地が泡立ち、羽の形を模しては羽ばたかずに消えていく。甘い匂いは、幻覚作用のあるものだった。

 私はすぐに杖を取り出し、自身と彼女に【魔法の守り】をかける。

 少女の「ありがとう」に、にこやかに笑って続きを促した。

 暇つぶし以外の何物でもなかったけれど、彼女の話を聞きたかった。


「…私の国には、古くから受け継がれる妙薬があった。聖女が生きていた時代よりも、もっと前から、王家に代々伝わるものだった。その薬なら、病を治せるかもしれないって言われたほどなの」

「ええ」

「薬の材料、何だと思う?」

「数千年に一度咲く、特殊な花とかですか?」



「私の、お父さんとお母さん」



 息を呑む。独り言には重すぎるほどの事実が、塊となって腹の奥に落ちていくようだった。

 いつの間にか、少女は振り返っていた。

 松明の火の粉が落ち、沼に引火し、水紋の如く瞬く間に広がる。

 橋がオレンジ色に染まり、火の泡がバチバチと弾けた。

 彼女の琥珀色の瞳に、炎が過ぎる。


「…妙薬はすぐに作られ、国中の人が飲んだ。あの人たちが…国の偉い人たちが、飲むのを推奨した。病の発生を抑える効果もあったからだと思う。私は、まだ幼かったのと、女だったから、見逃された」


 冷徹な声に、煮え切らない憎悪が見え隠れする。


「幼馴染も、その薬を飲んだ。病気でもなかったのに、ちょっと考えればおかしいことは分かっただろうに、親に言われて躊躇いもなく飲んだ」


 炎が吹き出し、橋を捕食する。入り口に続く道が溶けて消滅してしまった。出口は赤い粘土に早変わりし、ドロドロと流れていく。

 アレでは、温度が高すぎて到底渡れない。


「こっち」


 少女が私の手を引いて走り、高く飛んだ。彼女の足があった場所には亀裂が走り、私たちは火柱の立つ空中を浮遊する。


「だから、倒そうと思ったの。妙薬を飲んだ人全員。それから、妙薬を作った人も、その作り方を伝えていた人も、全部。そしたら、すっきりすると思った」

「それで、どうでした? すっきりしましたか?」

「ううん」


 寂しそうに首を横に振る。彼女の髪が宙で解けた。

 炎門をくぐり、私たちは地面に受け身を取る。肘を大きく打った私に対して、彼女は涼しげに足を躍らせた。


「貴方は、穴の上にいた人たち、見た?」

「ええ。あの、首に火傷痕のついた二人ですね」

「私の幼馴染なの。暴れ回ってたら、双剣の勇者って呼ばれた彼らに倒された。多分、家族の復讐だと思う」

「後悔はありませんでしたか?」

「全然。先に手を出したのはあっちだから、おあいこだと思う」


 尻すぼみになるのは、彼女の中に懺悔の意思があるからだろうか。

 ここに来てから、彼女は一回も泣いていない。達観と諦観の入り混じったような顔で、洞窟を歩いている。

 死んでもいいと、言っているような態度だ。けれども、襲い掛かる魔物を打ち倒しているのは、彼女の生存本能によるものだろう。


 1000年以上経っても尚、私が死んでいないのと、同じ原理だ。

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