蒼のセカイを君と共に

銀野 沙波/ギンノ イサナ

〈01〉――蒼の異変

 波の音が心地よい。

「ふゎ・・・」

 小さな欠伸を一つ。

 時計塔の中の、暖かなベッドの上で、僕は目を覚ました。


 床に足を下ろし、大きく伸びをする。

 手作りの蒸留器がポコポコと音を立てており、蒸留器から伸びた管が、水桶に透明な水を落とす。夜中の間ずっと動かしていたので、水桶の縁辺りまで、たっぷりと溜まっていた。

「よし、水は溜まってるな」

 僕は水桶からコップいっぱいの水を汲み、恐る恐ると口に含んだ。

 じんわりと、口いっぱいに優しい甘さが広がる。

 元が海水とは思えないほど美味しい水は、蒸留器の成功を意味した。

「よっし!」

 これで、もう水には困らないだろう。

 ただ、今度は燃料が必要になってくる。幸いにも、水没した倉庫の中には石炭があるのだが、いつまで持つかわからない。

 なにか燃料になりそうなものを探さなければ。

 僕は、テーブルの上のタスクノートに、「燃料探し」と書き込んだ。


 急な階段を登って、吹きさらしの鐘の間に出る。鐘の間と言っても、少し前に鐘は撤去してしまって、今は畑や作業場として使っているのだが・・・。

 僕がその吹きさらしの空間にひょいと顔を出すと、爽やかな朝の潮風が僕の頬をサラリと撫でて行く。真っ青なセカイがそこに広がる。

 沢山の作物の葉は、風に揺られてサラサラと音を立て、収穫時期に入った赤いビーツは、緑の葉を茂らせている。

 試しに、一つビーツを引き抜いてみると、丸々と大きく、まさに食べ頃と言った感じである。

 よし、今日は蒸留器の完成も兼ねて、晩ご飯は少し豪華にしよう。


 ビーツを一通り収穫し終え、僕は時計塔の中に戻る。ビーツは一旦木箱の中にしまい込み、服を脱ぎ捨てる。

 脱ぎ捨てた服はベッドの上へ投げ、僕は網と縄梯子を脇に抱え込み、壁に立てかけた手製の木槍を手に取った。

 さて、僕はあの吹きさらしの鐘の間に出ると、足場の縁から下に縄梯子を垂らした。長い縄梯子は、下の方で“じゃぶん”と音を立てる。縄梯子を四角の柱の一つにしっかりと固定したのを確認すると、僕は助走をつけて、勢いよく飛び出した。

「ひゃっほーい!」

 空を切って落ちて行き、青い海面が迫る。視界はどんどん青くなって、どっぼーんと大音を立てるやいなや、真っ白の気泡郡が僕を包み込む。

「ぷはっ」

 海面に顔を出して大きく息を吸い、僕はそのまま海の世界へ潜り込んだ。

 陽光の揺れる海の下には沈んだ街。海に沈んだ、時計塔の入り口付近には、よく貝がへばりついている。

 槍の穂先を上手く使って貝を掻き落とし、網に入れる。大ぶりな貝を五匹ほど捕まえて、息を吸いにまた顔を出す。

「結構調子いいかな?」

 そしてもう一度、深く潜り込むと、近くに魚群を見つけた。よし、今度は槍で魚を仕留めよう。


 昼下がり頃、僕はようやっと狩りを終えて、吹きさらしの間に戻った。

 長時間潜った甲斐あって、相当な量の魚と貝が取れた。半分ほどは燻製にして、残りは今日の晩に使おう。

 いつものビーツスープに、たっぷりの海鮮を足そう。きっとうまいに違いない。先月採ったジャガイモの余りも、芽が出る前に使ってしまおう。

 そういえば、蒸留器で飲水を作るときに出た塩も、良い調味料になるだろう。

 んふふ、こうも使える食材が多いと、調理するときのワクワクが止まらないや。

 そして僕は、ガラスのナイフを手に取った。

 コトコトとスープが煮立つ、暖かな白霧の昇り、燻製のいい香りが立ち込める。

 僕はスープを試しに一口。うん、美味しい。

 山吹色の光が、時計の文字盤から差し込む。もう夕飯の準備はバッチリ。鍋を火からおろして、蓋をしておく。

 燻製器の蓋をこっそり開けて中を覗く。うん、いい感じ。

 よし、あとはもう自由時間にしよう。今日はつかれた。そうやって僕はベッドの上に体を投げ込んだ。

 僕は気づけば眠りについていた。


 ふと、奇妙な音に目を覚ました。

 海が荒れているのか、ざぶん、ざぶん、と波が蠢く音がはっきりと聞こえる。

 ランタンを灯し忘れた部屋は、ほのかに差す月光で不気味な薄暗さを保っていた。

 僕は、ベッドから飛び降りると、すぐさま燻製器の残り火から蝋燭に火を灯し、ランタンへ入れた。ランタンの淡いオレンジの光が部屋を照らす。

 ・・・暖かなランタンの光には、不思議と安心感を覚えるものだ。

 ざぱぁん。

 大きな波の音と同時に、どーん、と大きく塔が揺れた。

「うわぁっ?!波、結構強い!嵐が来るんなら、準備しなくちゃ」

 僕はもう一つのランタンに火を移すと、片方のランタンは壁にかけ、もう一つは僕が持って、上へ向かった。

 ぎい、と戸を開けると、風は止んでいた。「嵐の前の静けさ」という奴だろうか。

 ひとまず、プランターは全部下に持ってかないと。塩の被害を受けたら、本当にマズいから。

 作物がまだ残っているプランターから優先的に下へ送ろう。僕はランタンを口に咥えて、ジャガイモのプランターを両脇に抱えた。

 階段は急だが、もう慣れたものだ。軽やかにタタタっと降りてしまうと、階段の裏側にジャガイモを避難させた。

 さて、上にはまだまだプランターが残っている。この作業が終わったら夕食にしよう。


 えっほ、えっほ、と作業を進めていると、下の方に何かが蠢くのが見えた。はじめはただの波だと勘違いしていたのだが、よくよく見るとなにか浮いている。

 あれが塔にぶつかって、大きく揺れたのだろう・・・。あれは・・・クジラの死骸だろうか?だとすれば便利だ。鯨骨はなにかと色々使える物だし、鯨油は魚蝋製の蝋燭よりも、良質な蝋燭が作れる。肉も、食おうと思えば食えるだろうし。

 一旦、ここに収まるかどうかは分からないが、引き上げるだけ引き上げてみよう。僕は最後のプランターを避難させたあと、例の縄梯子と長いロープを持って吹きさらしの間に出た。

 例の如く、縄梯子を柱にしっかりと固定し、ロープを抱えて梯子を降りる。

 直ぐ側まで来ると、僕はその漂流物に目をやった。

「あれ、クジラじゃ・・・ない?」

 其処にあったのは、クジラではない、なにか他の大きな生き物の背であった。

 僕は一旦、ロープを掛けることにした。クジラではないにしろ、これだけ大きな生き物だ。何かしらの役には立つだろう。

 縄梯子をしっかりと掴んだまま、僕はそれの背に降りた。波が荒いこともあり安定しないが、問題はない。慣れているから。

 僕は試しに触れてみた。それの背は、まだほんのり温かく、微かに脈動も感じられる。生きているらしい。ただ、なにか他の生物にやられたのか、傷だらけで降りたところの直ぐ側には血が赤く滲んでいた。

「・・・すぐ楽にしてやりたいけど、生憎君を仕留められそうな武器は持ち合わせていないんだ。ごめんよ」

 僕はそう言って、ソイツの背を撫でた。

 すると、ソイツは目を覚ましたのか、急に動き出した。

「うわぁっ?!」

 僕は足をすべらせた。幸いにも縄梯子を掴んでいたおかげで、溺れずには済んだが、波が強くて梯子が揺れる。タイミング悪く、遠くで遠雷が鳴り、風が吹き始める。マズい、嵐が来る。

 早く上がらなくては。僕はロープを肩にかけ直し、次の段へ手を伸ばした。

 しかし、波で手が滑る。嗚呼、掴めない。

 落ちてゆく。

 荒波がこちらに手を伸ばす。

 捕まってしまえば、お終い。

 成す術は、無い。

 僕は諦めて目を閉じた。




 ―――ドサッ。




 僕は違和感を覚えた。

 冷たい風が頬を刺すのが分かるからだ。

 朦朧とした視界がはっきりしてくると、そこは吹きさらしの間の屋根の下であることが分かった。

 あれ、僕は海に落ちたはず・・・


 体を起こした僕の直ぐ側には、白色の竜がぐったりと倒れていた。

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