微かなあなた(2)

 翌日から私は彼女に名前についての情報を集め始めた。まずネットで事件に関係する記事や当時の報道を調べてみたが、これといった手掛かりになるものはなさそうだった。そうなると他に探すべきは図書室になるだろう。放課後になってから図書室へ向かった。


 こう何日も図書室を訪れるのはいつぶりだろう。本は小学生の時によく読んでいたけど、中学、高校と経ていくうちにあまり読まなくなった。でも図書室自体は好きだ。というよりも本があるということ自体が好きなのかもしれない。かすみは本が好きなのかな。


 一個目の質問が決まったのと同時に彼女の所に着いた。昨日よりもまだ時間があるから、落ち着いて会話ができる。そう思って本を開くと真っ白な栞が目に映った。


「あれ……。何も書いてない?」

 

 もしかして昨日慌てて本を閉じたからどこかに傷をつけてしまったのかもしれない。それなら怒るのは当然だ。私は急いで昨日のことを謝る文章を書いて、本を閉じた。その時、わずかに本が震えたような気がした。栞を見てみると、そこには綺麗な字でこう書かれていた。

 

『千葉さんおはようございます。恥ずかしながら今まで寝ていました。あなたに触れられてようやく起きたところです。今日も来てくれてありがとうございます。ところでこの謝罪の言葉は一体?』


 幽霊も眠るんだ。それにもう夕方だし……。役に立つのか分からない謎知識を手に入れたところで、彼女に返事を送る。


 『ごめん。てっきり昨日本を傷つけちゃったと思って。だから謝ろうと思ったの。まさか寝てたなんて。栞に何も書いてないから本当にびっくりしたよ。』

 『実は時折眠くなることがあるのです。普段はずっと起きているのですが、眠ることは生前のときと同じようにできます。でも栞が真っ白になることは私も初めて知りました。幽霊になってからもう長い時間を過ごしましたが、まだまだ知らないことがあったのですね』


 実際に会話をしているわけではないけれど、この文章の彼女はいつもより嬉しそうに見えた。同時に、昨日の夜勝手に同情していた自分が情けなく思えた。かすみは自分が幽霊になったことを悲観せず、前向きに捉えている。


「私かすみのことを誤解していたよ。ずっと図書室で一人きりだから寂しいんだって思ってた。でもね、違う。あなたは前向きで強い人だよ。」


 口に出した言葉を改めて彼女に送ろうと栞を見ると、すでに返事が書かれていた。


『意外に思われるかもしれませんが、私運動が好きなんです。これでも部活動に熱中していたんですよ。だから、前向きに物事を考えるのは私の得意なことです。今は幽霊になってしまいましたが、室内を自在に飛び回れるのはこの体の特権です。』


 意外な彼女の一面を知ったところで、違和感に気づく。そういえば栞を書いていない。


 「もしかしてだけど、私の声聞こえてる?」


 その質問に答えるように本が勝手に閉じて再度開かれる。


 『実は言おうと思っていたのですが。千葉さんの声自体は栞を介さなくても聞こえます。はじめに探している本がわかったのはあなたの独り言が聞こえたからです。』


 それって結構大事なことでは!?ていうか独り言聞かれていたのはだいぶ恥ずかしい。誰もいないと思って完全に油断してた。


 「それならこれから栞に書かなくてもやり取りはできるってこと?」

 『そういうことになります。ただ、私は今幽霊です。実体がなく自分の存在があやふやな。だからでしょうか。同じ言葉でも音声は私の体を通り抜けて、消えてしまうような感覚があります。でも文字は確かな言葉として掴める気がするんです。』

『これからは私に対して話しかけてもらえば大丈夫です。でも何か大事な話の時や……私が千葉さんの言葉が欲しいと思った時に、また栞を書いてくれませんか。』


 「もちろん。」

 『これからもかすみのために栞を書くよ。』


 ちょうどその時下校の時間が迫っていることに気がついた。今日は慌てることなく帰る支度を済ませる。去り際に私が今読んでいる小説に使っていた栞を本に挟んでいった。色とりどりの花の模様があしらわれている。気に入ってくれるといいな。


 明日はまず栞の感想を聞こうと思い、私は図書室を後にした。


 



 


 

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図書室、放課後の微かなあなた のりまきもち @norimakimochi

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