第61話 成婚の儀

 この日、シュタイオンは朝から祝賀ムードに満ちていた。

 どの家も軒先にディアーダ王国旗を掲げ、辻々では貴重な酒樽を開けて赤ら顔で談笑する男たちも見える。


 急速に発展するシュタイオンではあるが、いまだに都市内で生産されない数々の物品の一つに酒類もあるのだ。


 なにしろ、ながらくシュタイオンでは麦作が行われていなかったからな。

 ランダーバーグ王国では麦芽を発酵させたビールが普及しているが、ここシュタイオンでは全てが輸入品なのだ。


 それから果樹類もほとんど植えられていないので、当然ワインも無い…というか、農作物はすべて住民のカロリーを賄うことに向けられていたので、嗜好品の類が壊滅的に存在してないのである。


 現在は圧倒的な真鍮製品の輸出価値によりあらゆる雑貨や嗜好品を輸入しているが、まあこのへんの歪さも時間と共に解消していくと思いたい。



「陛下、妃殿下のお召し物が整いました」


「…ああ、では出ようか」


 典礼大臣で恰幅の良い中年女性、エルネスタに促されて俺はマントの裾を払って立ち上がる。


 このシュタイオンの祝賀ムードは、もちろん国王である俺と正妃ミンの婚礼を祝うものである。

 これから俺とミンは、シュタイオン城壁内を練り歩いて国民に成婚を披露するのだ。


 周囲に流されるままにミンとのこの日を迎えた俺ではあるが…まあ、後悔しているかというと…。



「ご主人様、お待たせ!」



 元気溢れる声に振り向くとそこには、純白のドレスに身を包んだミンの姿がある。

 

 およそ一年半前にランダーバーグ王国東部で出会った時には、性別が分からないほどに煤まみれだった少女は今や、いつの間にかすっかり女性らしい健康的な肉付きを得て…。


 通りを歩けば誰もが振り返るような容貌は、これまたいつの間にか少女と女性の端境期にある危うい魅力の揺蕩いを見せていて…。


 …うん、まあ。

 何と言うか。



「…美しい」


「えっ!? え、うへへ…」



 思わず心音を漏らしてしまった俺に対して、ミンは頬を染めはにかんだ笑顔を見せた後に…、誇らしげに鼻孔を拡げてムフーと力強く息を吐き出す。


 一瞬、絶世の美女が現れてドキッとしてしまった俺ではあるが、ミンのいつもの鼻息を浴びている内に笑いがこみあげて来てしまう。

 艶っぽい雰囲気はどこへやら消し飛んでしまったな。


 …うん、まあ。

 嫌ではないか…全然。


 …いやいや、俺は誰に対して誤魔化しているのか。


 嫌でないどころか、これからもミンを伴侶として生きていくことを考えると心愉しく…幸せである。



「おきさきさま〜」


「はわ〜…キレイ」


「アタシも結婚する〜!」 



 エルフ幼姫たちの中でも年少組の三人が部屋に入ってくるといっぺんに騒がしい。


 残りの三人はどうしたかと思って目を上げると、彼女たちはミンの美しさに感動してか無言で手を取り合いキラキラと瞳を輝かせていた。


 …どうだ、我が妻は美しいだろう。


 さあ、お披露目に向かうとしよう。









 俺たちと共に長旅をして来た要塞馬車が豪奢な幕に覆われ、その上に立つ俺とミンそしてバルカに向けて人々の歓声が上がり続ける。


 バルカも正装のサーコートが長身に映えて相変わらずの凛々しさだな。


 近衛軍の先導で征く馬車の後ろには多数の男女ペアが連なっていて、実は彼ら彼女らも新郎新婦である。


 今回の成婚の儀は数ヶ月前から予告されていたのだが、それに合わせてかシュタイオンの未婚女性は残らずという勢いでこのタイミングに結婚してしまうらしいのだ。


 うーん、住民の婚姻が進むことは喜ばしいのだが、社会政策によるものでないのはなんというか…いや、指導者の婚姻もまた社会政策の一種ではあるのか。


 とはいえ、移民が急増していると言ってもそれは健脚の男性に比率が偏っているわけで、シュタイオンは現在男余りの状況が進んでいる。


 近衛軍も独身男性が多いので、いずれランダーバーグ王国の村落を巡るお見合いツアーでも企画してやろうかな…?



「ほら、あなた! シャンとなさって!」


「あ、ああ…」



 ふと見ると男女のペアの中には宮廷魔術師長アレクシスと、その妻ヴェローニカの姿も列の中にある。


 彼らも今年に入って結ばれた夫婦の一組なので、俺から参加を要請したのだ。


 いやぁ、この二人も絶世の美男美女夫妻でとても華やかでいいな…アレクシスが妙にやつれ果てている事は見なかったものとして。


 …なんでもヴェローニカは『血液魔法』を操る魔法使いであるとか。


 そしてアレクシスが涙ながらに訴えるには、彼女は血液のみならず人体のあらゆる体液を搾り取る…いや、忘れよう。


 正当な夫婦が行うことに俺は関与しないのである。

 いつ見てもアレクシスの足腰がフラフラとしていても…いや、そんなことは預かり知らないのである。




 行列がシュタイオン防壁の南門に差し掛かると、今度はフレムド人たちの群衆から歓声が挙がる。


 彼らも複数の男女が正装して手を取り合っているな…。


 ランダーバーグ王国の動乱を背景に、日に日に数を増す彼らであるが、ここに安住の地を見つけたのならばそれは、喜ばしい。


 どうやら、俺が血と硝煙に塗れながらしていることも、ほんの少しは…。


「…ご主人様、ミンしあわせ!」


 俺に飛びかかってアンニュイ思索を打ち消すミンに、俺はまた幸甚の想いを深めていく。


 …そうだな。


 この地に、俺とミンと…未来の者たちのために、ハートフルなスローライフを創り上げていこう。


















「陛下! 海上に船団が見ゆるとのこと!」



 …あのさぁ。


 明らかに第三部を〆る流れだったよね、今…?


 

 けたたましく打ち鳴らされる半鐘の音に、人々は右往左往した後にそれぞれの持ち場へと駆けていく。

 

 シュタイオン住民は全員が現役の国防軍でもあるからな。

 こうした非常時には槍を取って城壁に上がる義務があるのだ。


 さて、何者か知らんが成婚の祝いに来たのならば先触れを立てるべきだろう。


 周辺の指導者たちや名代を招いての披露宴は後日の予定であるし、招かれざる者らが暴虐を求めて来襲したならば…。


 …歓迎してやろう。



「ミン、バルカ、俺たちも行くぞ!」


「うんっ!」


「承知!」



 要塞馬車を曳く馬たちがいななくと、ガラガラと音を立て海岸に面する城壁を目指してスピードを上げた。


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