第60話 猫

 目の前に広がる崖面にはザラザラとした質感の岩石が露出している。

 俺はその一つを手に取って確かめた。


-----------------------------------------------------

花崗岩:

石英、長石、黒雲母

-----------------------------------------------------


 やはりな、思った通りだ。


 ここは3日間に渡る共同作戦でオークどもを駆逐した松林、その奥地にある岩場がヴェルド戦士たちの武器に使用する黒曜石の産出現場である。


 黒曜石が産出することから予想はついていたが、『鑑定』による分析ではこれらの岩石は案の定いわゆる火成岩であり、つまりザックリ言うとマグマが冷えて固まった物である。


 俺は東の山岳は石灰石を産出することから、てっきり全層が堆積岩で構成されているものと考えていたのだが…どうやら火山活動により海底が隆起して出来ているため、マグマ由来の火成岩も混在しているようである。


 要するに地球におけるアルプス山脈のような地質ということだろう。


 ふーむ、こりゃあよくよく探し歩けば、もしかすると鉄鉱や銅鉱石の鉱脈を発見できるかも知れんぞ。


 火山活動、しかもマグマが地表に現れているということは地下深くの金属をマグマが溶解させて運んでいるはずで、特に玄武岩質の岩場を探せば可能性が高まるはずだ。

 鉛や金銀もあるかもな。


 これは未来のシュタイオンにとって重要な金属資源となる可能性があるので、これからも時間を見つけて調査を進めていこう。


 しかし、金属資源もそうだがそれ以前に…。


「なんだい、ソーマも黒石が欲しいのかい?」


 地面にしゃがみこんでは岩石を調べている俺を見て、ラウラが不思議そうに問いかけてくる。


「…いや、黒石ではなく。この粒石を交易して欲しい」


 眼前にいくらでも転がる石塊を欲しがると聞いて、ラウラはますます不思議そうにしているが…、ディアーダ王国では武器としての黒曜石に需要はないからな。


 それよりもむしろこの花崗岩だ。

 これは代表的な火成岩でシリカ類…つまり石英などのケイ素を豊富に含んでいる。

 さらに好都合なことに長石も含有するため、これ一つでガラスの原料になり得るのだ。


 ガラス製造にはさらにソーダ灰(炭酸ナトリウム)も必要になってくるのだが、これまた好都合なことにシュタイオンではこの面も容易に調達可能だ。


 だって、海岸線を歩けば腐るほど昆布(ケルプ)が打ち上がってるからね。

 昆布を焼けば簡単にソーダ灰の出来上がりである。

 

 してみると、シュタイオンは都市の近郊でガラス原料が完璧に供給できるわけで、ガラス工芸都市として高いポテンシャルを秘めていることになるぞ。


 ふーむ、こりゃ俺がいなくなった後のシュタイオンの展望についても大きく変わってくるな。

 これまでは俺はバリタニエン島とランダーバーグ王国の中継貿易都市としての生存を主眼に考えていたが…自前の輸出工芸品があるならばより完璧である。


 こりゃさっそく帰ったらヴィルマーと相談してみるか。


 まあ、今のところ俺の供給する真鍮の生産性が高すぎるので自然に業種転換する職人は現れないだろうから…当面は国営で技術開発していくしかないか。










「ニャ~」


「にゃ~ん ♪」


「レナちゃんまって~!」


「あ~ん、ふたりともまって~!」


「お待ちください! 廊下を走ってはいけませんよ!」


 えー、俺の館の廊下をドタバタとしている女たちの様子を列の先頭から順に説明すると、猫、ヴェルド族幼姫のレナ、ナイア族幼姫のエスター、コッチェン族幼姫のシベル、そして彼女たちの侍女を勤める3氏族の女性エルフたちである。


 どこから説明しようか…まあ、まずレナか。

 お察しの通り彼女は先日まで行われていた合同作戦で親交を得たヴェルド族から贈られた幼姫で、姉で小学3~4年生くらいのがクリスタ、妹で未就学児くらいのがレナだ。


 増えすぎた幼姫たちを見た目順でソートすると以下の通りである。


・小学3~4年生

エルヴィラ …コッチェン族出身、族長ラウラの姪。シベルの従姉妹。

クリスタ  …ヴェルド族出身、族長アメデオの娘。レナの異母姉。


・小学2~3年生

ニナ    …ナイア族出身、族長グレガーの娘。エスターの実姉。


・小学1~2年生

シベル   …コッチェン族出身、族長ラウラの姪。エルヴィラの従姉妹。


・未就学児

エスター  …ナイア族出身、族長グレガーの娘。ニナの実妹。

レナ    …ヴェルド族出身、族長アメデオの娘。クリスタの異母妹。



 …うーん、この託児所感よ。


 性格的特徴はそれぞれ多少ある…あったのだが、幼女たちを一つ所に置いているとあっという間に同質化するらしく、全員がまあ元気に毎日ワイワイと遊び回っている。


 そして夜は新メンバーを加えたお泊り会のお喋りが過熱しているらしく、ときおり夜半に急に始まる枕合戦のドタバタが俺の寝室まで聴こえてくることもあるくらいだ。


 こうして新たなエルフ氏族と友好を結ぶたびに託児所感が高まっていくわけだが…。

 それもこれもディアーダ王はエルフ幼姫をこよなく愛するという認識がエルフ側にあるせいで、要するに初代新王こと斎藤さんのせいである。


 まあみんな元気ならそれでいいよ(諦念)


 えーと、次はなんだっけ?

 ああ、猫か。


 近頃はシュタイオンの都市内に猫の姿を多く見かけるようになっているのだが、実はこれらの猫はランダーバーグ王国北部からの輸入品である。


 俺は今年の春から夏にかけて、ランダーバーグ王国北部の領袖であるトビアスに対して軍事支援に加えて『豊穣の秘薬』による農業生産支援まで行っている。


 その際にデルリーン領との有利な交易の約束を取り付けたりもしたが、まあハッキリ言ってディアーダ王国側の持ち出しが多すぎるので、バランスを取るために向こうにも手間を取らせることにした。


 それが、猫である。


 …いや、どういうことかと言うとね。


 どうもこの世界では10~20年に一度ほどの周期で大規模な疫病が流行するらしいのだが、その症状を聞くに「痛みを伴う腫れ」だの「黒ずむ皮膚」だの「数日で死に至る衰弱」だのと言うから…まあ、要するにこれはペストである可能性が高い。

 

 そしてこの疫病は多数の死者を生み出す通例の流行と、都市を丸ごと無人にしてしまうような致命的な流行との二種類に分かれるらしいのだ。

 これは前者が腺ペスト、後者が肺ペストにあたると考えると益々符合する。


 知っての通りペストとはノミから感染する疾病であるが、その繁殖は都市部のネズミに負うところが大きいとされる。


 これまでのシュタイオンは都市人口も少なく、穀物の貯蔵もほとんどなかったのでネズミの数も多くは無かったのだが…、これからは増加が懸念されるだろう。


 そこで猫である。

 俺は今回の出征の見返りとして、ランダーバーグ王国北部の各都市から猫を大量に輸入させ、これをもってネズミの繁殖対策として考えているのだ。


 この世界ではどこからペスト菌がやって来るのかは分からないが…、地球の歴史においては中央アジアからの人や家畜の移動、そして毛皮の流通により広まったと考えられている。


 そしてこの世界、特にランダーバーグ王国では諸侯であっても寝具や部屋の敷物には獣の毛皮を使うのだ。

 それに加えて石鹸を使用した入浴の習慣も無く、確かにペスト流行の条件を揃えた都市が多いと考えられる。


 ふーむ、可能であれば石鹸の普及も推し進めたいところなのだが…。

 家畜をほとんど飼育していないシュタイオンでは脂を安定して入手できない。


 菜種油を獲得するためにアブラナを栽培しても良いのだが、しかし急速な人口増加が続く現状ではまだ穀物の作付けを優先せざるを得ないのだ。


 …魚の油でも石鹸は造れるだろうか?

 消石灰で水酸化カルシウム溶液、昆布(ケルプ)灰で炭酸塩を抽出できるからなんとかなるだろうな。


 うーん、魚臭そうではあるが…都市衛生の為には止むを得んか。



「陛下、ここにいやしたか。ガラスちゅうのを試してみやすぜ。なんせ見たこともねえシロモンだからよ、陛下に見てもらわなきゃ進みやせんぜ」


「お、そうか。すぐにいく」


 工務大臣ヴィルマーの弟、バルドゥルが無遠慮に執務室に入って来る。

 すぐにミンがマントを持ってきたので、それに袖を通しながら俺は素朴なガラス製造行程を脳裏に描いていた。


 さてさて、この冬は工房に入りびたることになりそうかな…?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る