第51話 豊穣の秘薬
会見場に指定された天幕に入ると、そこにはおよそ半年ぶりに見るトビアス・デルリーンの姿があった。
周囲に諸侯と思しき豪奢な軍装の人物を数人つき従えて、いまや王国北方の最重要人物たるに相応しい立場を見せている。
「よう旦那、変わらなそうで良かったぜ。さっそく助太刀してもらって悪いな」
「トビアス、お前も変わらな…いや、少し痩せたか?」
俺の目の前にいる青年は、態度こそ以前と変わらぬ飄々としたチンピラのままであるが、しかし頬がこけて顔色もいくぶん悪く見えた。
もっと良くも悪くも活力に満ちた人物だったと記憶していたが。
「…そうかな? いや、俺ぁいいんだ。んなことより、今回は助太刀だけじゃなくて、旦那には折り入って頼みてえことがあるんだ」
「ふむ…」
これは分かっている。
カスパーがシュタイオンで目撃した万能肥料『豊穣の秘薬』または農薬の硫黄を輸入したいということだろう。
かねてより打診を受けてはいるが、戦略物資であるこれらを輸出することは出来ないというのが、俺の結論だ。
カスパーにはすでに拒絶を伝えていることだが、こうして顔を合わせた以上はトビアスに直接断りを入れて決着としよう。
まあ今後の関係性もあることだから、代わりに真鍮器や余剰の鉛を優先して回すことで満足してもらいたい。
「トビアス、そのことだが…」
「旦那、どうかこの通りだ!」
トビアスの突然の行動を受けて、周囲の諸侯たちが驚愕の声を漏らした。
それもそうだろう、今やランダーバーグ王国北部の軍権を一手に握るVIPが、自分たちの軍事行動の盟主が、天幕の絨毯に額を擦り付けて平伏しているのだ。
俺もこれには唖然としてしまって言葉が出ない。
お前、王都のチンピラの手打ち式じゃないんだからさ(呆れ)
「トビアス、よせ。今のお前の立場ですべきことではない」
「いいや! 俺ぁ土下座してでも、旦那のケツを舐めてでも『豊穣の秘薬』を分けてもらわなくちゃなんねえんだ!」
ええい、気色悪いことを言うな!
というか、諸侯たちが仰天してる中じゃ話にくくてしょうがないだろ。椅子に座れ椅子に!
ようやく椅子に座って話したトビアスによると、どうしても『豊穣の秘薬』が必要だという理由はこうだ。
曰く、昨年の北部教都崩壊に始まる各地の教会領騒乱は、前将軍トラウト卿勢力による軍事行動を活発化させた。
各地の教会領の制圧に動いたトラウト卿は、同時に元々の自分の縁戚や旧派閥の諸侯を味方に引き戻すために、彼らに教会領の押領を認める文書を盛んに発したのだとか。
もちろん現体制であるギュンターとコンラートが認める物ではないのだが、欲望に駆られた諸侯たちはこれに飛びついて、王国北部中に戦火が広まってしまったということである。
うーん、この領地獲得となると大義名分もへったくれもないケーキバイキング諸侯ども。
まあ、各地の教会領に騒乱が起きたことには、俺もちょっぴり関わりが無くも無い。
だからこうして共同作戦で手を貸してやるわけだが…、それと『豊穣の秘薬』は関係あるか?
「トラウト卿に唆された連中は、どいつもこいつも、去年の作付けの分まで教会領を略奪しやがったんだ。だからよ、このままじゃ喰えねえ村が山ほどあって、みんなこっちに流れて来るんだよ」
うーん、ひどい(絶句)
俺は今まで、諸侯どもは自身の統治領域を拡大したいから戦争をしてるのだと思ってたが、どうやら実態はもっとシンプルに略奪優先らしい。
これならまだバリタ人やラウブ人の方が、略奪が終わったら帰っていくだけ理解しやすいぞ。
以前「交易のついでに略奪もする」というヴィーク人について理解しがたいと感じたが、諸侯どもの「略奪のついでに統治もする」という考えには一歩も二歩も及ばんな。
いや、なんの勝負なんだよ!
などと俺が脳内セルフツッコミに勤しんでいると、いつの間にか椅子から立ち上がっていたトビアスが眼前まで来ていた。
あ、これはまたやる気だな。
「旦那、この通りだ! こっちでもよ、豆でも芋でも、食えるもんは何でも植えて凌ごうとはしてんだ! けどよ、毎日毎日、やせっぽちになった奴らが、助けてくれってんで大勢来るんだよ!」
トビアスが再びの土下座で額を地に擦り付けると、今度は周囲の諸侯のうち年若い者の何人かが意を決してそれに追随した。
彼らは俺の眼前で床に額を押し付けて必死の懇願をするトビアスに寄り添い、同様に平伏を始める。
しかし、悲壮感に包まれたトビアスとは対照的に、若い諸侯たちは彼らの盟主の振る舞いが誇らしいかのように頬を上気させていて、まるで物語の英雄に憧れる少年のようですらある。
よくもまあ、こんな短期間でシンパを集めたもんだなぁ…(関心)
もしこいつを王都のスラムに放っておいていたら、いずれ歴史的な大ギャングスターになっていたんじゃなかろうか。
こういう人材を得たことも、ギュンターやコンラートの運の巡りだろうかね。
…あいつらの行き当たりばったり作戦を褒めるようで癪ではあるが。
「頼む! このままじゃあ、何人も冬を越せずに死んじまう! 旦那、後生だ!」
はぁ~、仕方ない。
それにしても、こいつの痩せ細った顔貌の理由はこれか、どうせこいつのことだから文字通り寝食を忘れて奔走しているんだろう。
やれやれ、泣く子と誠実な統治者には敵わんな。
もう分かったからミンは猛烈に袖を引っ張るのをやめなさい。伸びちゃうから。
「条件がある。『豊穣の秘薬』は全量を今年の作付けで使い切ること。これはお前が監視して徹底させろ」
「…! ありがてえ、俺の命に代えても約束は守るぜ!」
馬鹿め、お前が死んだらランダーバーグ王国北部がメチャクチャなるだろうが。
少なくとも俺がディアーダ王国を統治する間は、こいつには働いてもらわんとな。
「それともう一つ、シュタイア人の移住をもっと早めろ。一年分の食料はもう要らん。最低限の食料だけを持たせて、ドンドン送れ」
「そ、そりゃあ、ありがたいけどよ、いいのか? そっちの食料が足りなくなるんじゃねえのか」
「構わん。それこそが『豊穣の秘薬』の力だ」
俺の自信満々の言葉に、トビアスのみならず諸侯たちも固唾を飲んでいる。
まあ大見栄を切ってしまったが、足りない分はシュタイオンを挙げて漁業に繰り出せばなんとかなるだろ(行き当たりばったり)
それよりも飢饉の恐れのあるランダーバーグ王国北部から、少しでもシュタイアの民を脱出させたい。
それと交易で食料を輸入することに期待していたが、こりゃ当面は禁止させないとだな。
この世界における金属器の価値を考えると、下手をすると飢餓輸出が起こる恐れすらある。
まあ交易方針の見直しはシュタイオンに帰ってからやるとして、今は目の前の仕事を片付けるとしよう。
「ではさっそく、樽でも袋でも容器をかき集めて持って来い」
「…はぇ?」
トビアスがあちこちに指示を飛ばしてかき集めた樽や麻袋に、俺は次々と『豊穣の秘薬』こと硝酸カリウムくんを詰め込んでいく。
どうやらトビアスは俺がシュタイオンから『豊穣の秘薬』を取り寄せることを想像していたらしいが、そんな悠長なことをする気はさらさら無い。
カスパーの報告で『豊穣の秘薬』は俺が魔力で生み出すものであるという認識が伝わっているだろうし、実は『収納』から取り出していることは見た目では区別がつくまい。
連日届く樽や麻袋の山への詰め込み作業は5日間にも及んだが、これでトビアスが影響下に置く諸領への配分は見通しが立った。
陣中に俄かに降ってわいた『豊穣の秘薬』の配分やら、各領での流民の割当量やらを調整する仕事で、トビアスはますます寝食を忘れて幽鬼のように働いている。
…これからさらに戦争もしようって言うのだから、さすがに過労ではなかろうか?
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