第47話 闘争
春のシュタイオンは、昨年に続き、大規模な開墾ブームの真っただ中にある。
昨年の秋に播いた麦は青々と育って出穂を待っているが、この春はさらに新たな開墾で農地を広げている。
この新農地には初夏に行われる冬小麦収穫に合わせて、シュタイオンで長年主力作物の地位にあったソバを植える計画である。
ソバは非常に成長の早い作物なので、初夏から秋までの生育で収穫することができる。
そして秋から翌年の初夏までは、同じ農地で冬小麦を生育する二毛作に移行するのである。
このソバ小麦輪作計画には複数の狙いがある。
一つ目はもちろん、主食を年に2回収穫できることだ。
ソバは栄養価の高い作物なので、一年を通して豊富な食料自給を実現することができるだろう。
あと、美味しいしね。
二つ目の目的は土壌改良である。
ソバの根は地中の土壌を深くまで緩める性質があるので、秋からの小麦生育に良い効果が望める。
現実の三圃制に倣えば、豆類による地中への窒素固定効果やカバークロップによる緑肥を行うべきのだが、それらの種子が十分に入手できていない。
畑の一角ではそれらの作付けも行う予定なので、地道に数を増やして行こう。
また現状ではランダーバーグ王国からの移民事業を何よりも優先したい。
そこでより収穫量が望めてシュタイオンの食文化に根付いているソバがよいと判断した。
将来の持続可能性は置いておいて、まずは食べられるものを全力で増産したいのだ。
あと、おやき美味しいからね。
三つ目の目的は、連作障害の防止だ。
同一の作物を同じ農地で連作すると、特定の害虫や病原菌が農地に繁殖・蓄積してしまう。
交互に作物を入れ替えることで、この悪循環を断ち切るのである。
これだけのメリットがあって、さらに美味しいソバを植えない理由があるだろうか、いやない(反語)
外壁内の土地はすでに冬小麦に埋め尽くされているので、現在はシュタイオン三角州内を海に向けて中ほどまで開墾を行っている。
これ以上海に近づくと土が塩気を帯びるので、さらなる開墾は三角州を出ることになるだろう。
「アレクシスどの、お願いしますぞ」
「皆、離れろ。…いでよ、神兵よ!」
農務大臣フォルクマーの指示で『傀儡の神器』に魔力を注いでいるのは、ディアーダ王国宮廷魔術師長のアレクシスである。
なお、宮廷魔術師長などと言いつつも、この部署の所属はアレクシス一人なのだが。
アレクシスが神器を掲げると地面から土くれの巨人が出現し、その足元には深さ1mほどの穴が開いた。
立ち上がった土くれ巨人は海岸を目指して歩みを進め、やがてこんもりと土が積もっているあたりで崩れ去る。
これは何をしているかというと、新規開墾地への灌漑水路を掘削しているのだ。
土くれ人形を作ることが目的ではなく、地面から土を除けるのが目的なわけだ。
さらに、海岸線に沿って農地を守る土塁を並行して造成している。
これは防衛目的というよりは、海から上がって来る潮風を防止する目的だな。
真鍮製のスコップを持った作業員たちが、アレクシスが空けた穴を成形していく。
その光景の向こうを見ると、地面に真鍮製の鋤を突き立てて掘り起こし、消石灰を混ぜ込んでいく一団も見える。
この数か月の間にすっかり真鍮製の農具が普及したな。
各家庭でも真鍮の鍛冶が行われているので、シュタイオンでは国民総鍛冶屋状態で猛烈な勢いで金属製品増産が行われているのである。
「見事な麦畑に、これまた見事な農具。ディアーダ王国がこれほど豊穣の地であるとは、私の見識が足りませんでした」
「今日は農地の視察か、意欲的なことだ」
俺に声をかけてきたのは、ランダーバーグ王国大使のカスパーだ。
特に行動の制限は課していないので、彼は連日シュタイオンのあちこちを見て回ったり、各大臣達と交易交渉を行ったりと精力的に動き回っている。
まあ、何かを秘匿しようにも全然そんな体制を整備してないしな。
旧ディアーダ王国の防諜組織は内務大臣の管轄だったそうだが、現在は宰相のモーリッツが兼任しているし部下もいない。
単純な軍事力と違って、ひとたびノウハウの失われた防諜組織を再建するのは前途多難だなぁ。
まあ、俺が生きている間は『虚偽看破』があるので、スパイも何もあったもんじゃないだろうけど。
「そうか、石灰岩が枯渇するか」
「へい、新農地に撒く分は足りやすが、フレムド防壁を作るには今ある分では…」
この報告は工務大臣ヴィルマーによるものだ。
うーん、去年に採掘した時点では当分使い切らないだろうと思っていたんだがなぁ。
シュタイオンでのモルタル建築ラッシュやら、農地への消石灰散布やら、フレムド人居留区の防壁建造やら、さらには橋の建設まで予定しているので、あっという間に枯渇しそうなのである。
仕方ない、またちょっくら採掘に行こう。
エルフ族への通達はするが、もう場所は分かっているので案内は必要ない。
採石場の辺りは森の外縁部なので、エルフ氏族の主な縄張りにも含まれていないのでそうそう問題はないだろう。
「陛下、変事にございます! エルフどもが王国の猟師を攻撃しました!」
なにがそうそう問題はないだ!
10秒と持たないじゃないか、いい加減にしろ!
「どれほどの被害だ?」
俺は報告してきた軍務大臣、兼国防軍司令官のフリッツに詳細を問い質す。
フリッツは息を整えた後、神妙な顔つきで凶報を告げた。
「それが…、大けがをして戻ったものが1人で、2人は帰らず。戻ったものによると、2人は殺されたとのこと」
…そうか。
エルフ氏族と争うことは本意ではないが、ディアーダ王国の民を手にかけたからには、ただでは置けない。
「ユリアンを呼べ、森に征くぞ。 下手人どもを討ち取る」
「ははっ!」
どういういきさつがあったかは知らない。
あるいは、こちらにも何らかの非があるのかも知れん。
しかし、如何なる主張であれディアーダ王国民の命を代償にする者は、なんぴとたりとも許さん。
剣を持って臨む者には、剣を持って応えるのみだ。
まあ、銃も使うがね。
ユリアン率いる近衛軍100名を従え、俺は東の森の外縁に到着した。
目の前にはエルフ族の戦士が3名、軍勢を恐れぬ堂々たる態度で演説をしている。
「ディアーダ王よ、此度の遺恨を闘争で晴らさんという意思、確かに受け取った。ナイア族はこの闘争を、祖先の霊に捧げようぞ!」
エルフ族の戦士どもは興奮した面持ちで、なにやら意味の分からん世紀末理論を提唱している。
「なんでも構わん。下手人を引き渡す気は、無いのだな?」
「無論だ。闘争をもって、勝ち取るがよい」
付き合いきれん連中だ。
シュタイオンの猟師と狩りの獲物を巡る諍いがあったようだが、どうしてそんな理由で命を奪う。
長い冬を越えて、新たな収穫と未来への希望を喜ぶ家族から、そんな理由で父親を奪ったのか?
遺恨を抱えて殺し合うことの、何がそんなに嬉しいんだ?
…こいつらが望む通り、一人残らず祖先の霊とやらの元に送り届けてやろうか。
俺はふつふつと湧き上がる怒りに、我を忘れそうになる。
と、そこで俺の手をぎゅっと握るミンに現実世界に引き戻された。
チラリとミンを見やると、眉根を寄せて心配そうに俺を見上げている。
…俺がミンにこの顔をさせているのか。
「ソーマ。コッチェン族はナイア族とディアーダ王国の尋常な闘争に異は無いよ。でも、遺恨を上回る殺戮は許容しないからね」
今回の折衝の仲立ちをした、コッチェン族長のラウラがたしなめる様に俺を見ている。
ああ、俺がキレ散らかすもんだから、周囲に心配をかけているようだな。
「ご主君、戦とは義において成すもの。血を求めてはなりません」
バルカのお説教も喰らってしまった。
アレクシスは相変わらずなんかハアハア言ってるが、体調不良でも俺に尽くしてくれることに感謝している。
冷静にならねば。
これは責務であって、俺の私戦じゃない。
「ナイア族の戦士よ、我が言葉を持ち帰るがよい。ディアーダ王ソーマ・タイラーは、遺恨によってナイア族と戦する。遺恨の当事者を引き渡すならば、いつでも降伏することができる」
「たしかに受け取った! そちらも、ディアーダ王の首級をもって、いつでも闘争の終結を求めることが出来るぞ!」
こいつら俺を挑発する天才か(沸騰)
ミンとラウラが俺の両手を握っていなければ、今すぐ撃ち殺してしまいそうだ。
やがてナイア族の戦士たちは、踵を返して森に消えて行った。
二人とも、もう手を離していいよ。
特にラウラは力が強すぎて痛いです。
俺は近衛軍の将兵たちを振り返り、その一人一人の顔を見て、戦意に燃える200の瞳の輝きを確認した。
大きく息を吸い込む。
「…いくぞ!」
「おおおおおおおおおお!」
俺が進発を告げると、近衛軍は森の木々を揺るがす鬨の声をあげた。
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