第三章 2年目のハートフルなスローライフを構築します

第44話 雪解け

「わあ、雪が溶けたよ、ご主人様!」


「やっと春か。長い冬だったなぁ」


 ミンが寝室の窓を開け放つと、屋敷の中庭に積もっていた雪がかなり嵩を減らしているのが見えた。

 夜のうちに降った雨が、中庭の雪を溶かしたんだろう。


 俺のしみじみと述べた感想の通り、北辺の地の冬は長かった。

 およそ100日間ものあいだ、シュタイオンは雪に閉ざされていたのだ。


「外の様子も見てみようよ!」


「まてまて、まだ寒いからな。ちゃんとコートを着なさい」


 部屋から飛び出して行きそうになるミンを捕獲し、鹿の毛皮で出来たコートを着せる。

 俺もコートを着込むと、ミンと二人で朝の散歩に出た。




 屋敷を出ると街中の雪もずいぶん少なくなっていて、街道は雪解けの水でひどくぬかるんでる。

 雪も溶けたことだし、シュタイオンの主要な街路は舗装を始めたいな。


「ご主君。あまり道を良くしますと、城下に入った敵が動きやすくなりますぞ」


「そうならんために、外防壁を直したのだ。それに街に歩くのは敵よりも、日々の民の方がはるかに多い」


 バルカの懸念は俺からすると的外れに感じちゃうけど、まあこれがこの世界の人々の一般的な考えなんだよね。

 だから街道は舗装されないし、川には橋が架けられない。


 ところで話に出てきた外防壁だけど、これは旧ディアーダ王国時代に建造されたシュタイオン防壁のことだ。


 春以後に補修を行う予定でいたんだけど、石炭の入手により消石灰の量産体制ができたから予定を前倒して冬の間に完成させてしまった。

 作業内容は単純で、防壁が崩れ破損している個所をモルタルで塗り固めている。


 当初はモルタルに骨材を入れてコンクリートにするつもりだったんだけどね。

 でもよく考えてみると、この世界の防壁は大砲で撃たれるわけでもないので、モルタルの強度で十分だと思い直した。


 この手抜きのおかげで、一冬で外防壁の補修を完了できたというわけだ。

 モルタルは消石灰に海砂と粘土を混ぜるだけで量産できるからな。


 ちなみに、外防壁に対して現在のシュタイオンの居住区を取り囲む柵は内防壁と呼ばれている。

 こちらも徐々にモルタル防壁化する予定だが、まだ手が回っていない。


「見て見て、大漁だよ!」


 内防壁を出て桟橋に足を向けると、早朝の漁を終えた漁船が次々と水揚げを行っているのが見えた。

 ミンの言葉の通り、どの船も溢れんばかりの青魚を積載している。


 ここには、冬の間の成果が二つ見て取れるな。


 一つ目の成果はもちろん桟橋で、5mほどの長さの桟橋が川面に2本突き出している。

 海に出て漁を行った漁民たちは、河口からシュタイオンまで遡って来てこの桟橋で水揚げを行うのがすっかり一般的になった。


 桟橋は軍用と民生用に1本ずつ建造され、片方の桟橋にはバリタ船が2隻係留されている。

 まあ、軍用と言ってもこの2隻のバリタ船も、この冬はたびたび漁に動員されていたんだけどね。


 冬の間は開墾作業がストップするので、バリタ人奴隷たちの手が空くので漁業に転用したんだ。


 二つ目の成果は、この大漁の原動力にある。


 俺の『銃召喚』で呼び出した銃弾から、黒色火薬と薬莢と弾頭が得られるのは以前説明した通りだ。


 ご存じの通り、黒色火薬くんからは硝石と硫黄が農業に、木炭が燃料にと余すところなく活用されている。

 いっぽうで薬莢は、現在のシュタイオンの主力産業である真鍮製品に加工されている。


 そして課題だったのは弾頭に使用されている鉛。

 工務大臣のヴィルマーに鉛の活用方法を丸投げしていたんだけど、これが二つ目の成果に結びついたんだ。


 ヴィルマーは自身の本職が大工だし、担当する範囲が多すぎて忙しかったので、弟で鍛冶屋のバルドゥルに課題をさらに丸投げした。

 バルドゥルはいくつか鉛利用案を持ってきたが、そのひとつに漁網の錘(おもり)があったんだ。


 聞いてみると、これまでのシュタイオン漁民たちは石を漁網の錘にしていたらしい。

 それを鉛の錘にすると聞いて俺は正直ピンと来ていなかったのだが、これが大当たりで漁獲量は爆増することとなった。


 どういうことかと言うと、この世界の漁網は定置網や底引き網ではなく投網だ。

 石の錘では漁網の沈み込みが遅くて魚が逃げてしまうし、漁網の口を締めるのも錘まかせなので石では軽すぎて、せっかく網に入った魚もその多くに逃げられていたらしい。


 これが鉛の錘になったことで素早く沈み込み、網口もよく締まって魚を逃がさないというわけだ。


「こりゃあ、陛下。妃殿下。おかげさまで今日も大漁でさあ! のちほど、いいところをお館にお持ちしやすぜ!」


「やったぁ! ミン、お魚大好き!」


 水揚げ作業を行う漁民たちは、みな表情が明るい。

 この漁業改革のおかげで、シュタイオンの食料事情は大幅に改善されたからな。


 冬の間に消費される食料をカバーしてもなお余るので、魚の一部は油を搾ったのちに乾燥させて魚肥を生産しているくらいだ。


 そして、魚肥の生産体制ができたのも何気に重要だ。

 いくら硝酸カリウムくんが優秀な肥料とは言っても、同じ農地で繰り返し麦作を行えば土中の希少成分が枯渇していくのは避けられないだろう。


 まあ、いわゆる連作障害だね。

 これに対して魚肥くんはこれまた近世までの超主力有機肥料なので、地力の向上と言う面では実績十分の大ベテランなのだ。


 春になったら新規に開墾する農地は、消石灰での土壌改良、魚肥での地力向上、硝酸カリウムでの施肥の3本柱で、農務大臣のフォルクマーと計画を立てている。


 ちょっと逸れたけど、鉛の意外な有効活用に成功したという話だ。

 まあそれでも鉛は余ってしまうので、他にも建物の屋根瓦に使ったり、将来的には下水管に使用する案も検討中である。


 農地では溶けた雪の下から青々とした麦が顔をのぞかせており、ランダーバーグ王国中部域に対してもひけをとらない生育状況を見せていた。


 食糧方面での好況は、俺へのシュタイオンの民からの声望をいや増している。


 うーん、収穫前から気が早いのは国民性なんだろうか?

 まあ不満が渦巻くよりはいいか。




 朝の散歩を終えた俺たちがシュタイオンの内市に戻って来ると、あちこちの家から真鍮を叩く金属音が聞こえて来る。

 

 これも冬の間に進めた政策で、俺が召喚する弾薬の空薬莢をシュタイアの各家庭に配布しているのだ。

 ちなみに配布した空薬莢の半分はこちらが指定した製品を納品させていて、もう半分は各家庭が好きに使っていいという条件にして奨励してみた。


 結果、この政策も大当たりだった。

 まあこの世界では庶民の家庭に金属がほとんど存在しないわけで、半分も好きに使っていいと言うのだから、そりゃあみんな飛びついて当たり前だよね。


 そして真鍮は展延性に優れる、つまり槌で叩いて延ばしやすいので加工が難しくない。

 しかも融点が鉄よりもはるかに低いため、各家庭で即席に作った炉に配給の石炭を投入するだけで加工できる。

 このへんも大当たりの要因だろう。


 各家庭では輸出用の皿や鍋をメインに作成させてるけど、もう一つの主力生産品は矢じりだ。

 これは国防軍の主兵装をクロスボウに転換する計画のためで、クロスボウ本体も木材と真鍮部品による生産を進めてるところだ。


 もちろん、本来真鍮は矢じりを含む武器類には向いてない。

 鉄よりも柔らかいので命中時に先端が変形してしまい、矢の貫徹力が期待できないのだ。

 クロスボウ本体も、鉄部品製より耐用年数がずっと短くなってしまうだろう。


 それでも現状では鉄資源が貴重だし、タダに等しい真鍮の方が大量生産に向くので国防軍向けの兵装は真鍮製での配備計画を進めている。


 国防軍用の防具として、真鍮の小札を縫い付けたコートも少数ながら生産を始めている。

 でもこれは手間がかかり過ぎるので本格配備にはまだ遠い感じだが。


 ちなみに近衛軍は全員に鎖帷子か、または鋼の小札を縫い付けた小札鎧の配備が完了している。

 これで装備面では、この世界において完全に上の部類の軍勢となっただろう。


 まあ近衛軍は今年も忙しくなるからな、装備は良いものを取り揃えてやりたい(やりがい搾取)



「お帰りなさいませ。朝食の支度が済んでございます」


 館に戻ると、侍従と侍女たちが並んで一斉に頭を下げて来る。

 それに対して俺は鷹揚に手を上げて返答した。


 …自分でも偉そうだとは思うんだけど、典礼大臣のエルネスタがこういう振る舞いを強く要求してくるから仕方ないんだ。

 そのうち、慣れると信じよう。


 その時、危急を知らせる半鐘の音が遠くから聞こえてきた。



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