第37話 防壁
ラウブ人を撃退したのち、俺は現シュタイオン集落の外側に位置する旧シュタイオン防壁を確認することにした。
「ふむ、元はかなり立派な防壁だったようだな…」
旧防壁は一つ一つが数トンはありそうな、大きな石材を積み上げて作られている。
高さは川沿いで4m程度、西側の陸地に面した個所は5m程度の高さがあり、厚みも2m以上あって防壁上の通路を歩いてすれ違うことも可能だ。
ところどころに防壁上に登る階段が設けられ、外側に向けては弓狭間となる胸壁を備えている。
直線を連ねた32角形の防壁で疑似円形を形成しており、角度を変えるポイントには防壁よりさらに2mほど高い物見塔が建っている。
防壁の長さで言えば現在でも80%程度は無事なのだが、外敵の侵入を拒むことが目的である以上は穴が開いていては80%でも90%でも意味がないのだ。
うーん、人口拡大に備えていずれはこの防壁を修復したいんだが、でも今すぐ修復したとしてもこの防壁の長さを現在の人的リソースで守るのは負担が大きいな。
これも来年以後の課題にするとして、その前に確認しておきたい疑問がある。
「ヴィルマー。この防壁に使われている石材は、どこから調達されたのだ?」
俺が防壁を視察するということで、工務大臣のヴィルマーが同伴している。
しかしヴィルマーは真鍮器の制作で忙しいところでもあるし、建設も工業も担当するとなると職掌範囲が広すぎるな。
「へい。1昼夜ほど川をさかのぼって東の山に入りやすと、昔の石切り場跡がありやす」
「そこは、今でも石切りが可能か?」
「たぶんできやすが…。エルフたちに話をつけないといけやせん。それにこんな大きな石を運ぶにゃあ、今のシュタイオンじゃとても人手が足りやせん」
まずここが疑問だ。
だってこの防壁に使われてる特徴的な灰白色の石材、これ大理石だよね?
いや、大理石ってことは石灰岩じゃん。
どうしてそのまま切り出して、そのまま積み上げるんだい?
砕いて焼成してセメントにするなり、海砂を混ぜてコンクリートにするなりした方が、輸送も建築も楽じゃないの?
焼成の技術を知らないってことはあり得ないよね。
だって、君たち建築に漆喰を使ってるじゃん。
消石灰を使ってるじゃん。
いやいや、よく考えるともっと疑問だぞ。
シュタイオンの地は麦作に向かない土壌だとか言って野菜を育ててたけど、それってつまり土壌が酸性ってことだよな?
なんで消石灰を畑に撒かないの?
撒けばいいじゃん、水酸化カルシウムだよ?
肥料にもなるし土壌をアルカリ化させるから、好アルカリ性の麦を育てるのにバッチリな土壌改良じゃん。
そりゃまあ、地球の歴史でも消石灰を農業に利用するのは近世からだから、この世界では知られていないということも…?
いやいやいや、斎藤さんがいたじゃん。
近世どころか現代日本人の斎藤さんがいたのに、どうして石灰岩の焼成が利用されていないんだ?
ここに来て、斎藤さん化学の成績ポンコツだった疑惑が…?
「ヴィルマー。お前たちは、漆喰の材料をどこから得ている?」
「漆喰ですかい? そりゃあ、貝の殻を焼いて、砕いて石灰(いしばい)にしやす」
「この防壁に使っているような、白い石を焼いて使おうとは、思わないのか?」
俺が防壁を指さして問いかけると、ヴィルマーは意外なことを聞かれたようなキョトンとした表情をしている。
「そりゃまあ…、それでも出来るかも知れやせんが。貝殻よりずっと分厚いですし、炭がいくらあっても足りやせんぜ」
なるほど、燃料問題か。
たしかに言われて見ると、この世界の主力燃料は木炭だ。
石灰岩を焼成するほどの温度を木炭で出そうと思うと、大量投入の上にふいごで風を送るたたら方式になるだろう。
たたら方式は山林を丸裸にするほど木炭を消費してしまうしな。
そしてここからは想像だが…、たぶんこの世界の住人は木炭エネルギーの投入先を製鉄に、もっと言うと武器の生産に全振りしているんだろう(確信)
「それで、畑に撒くほどの石灰ができないということか」
「畑に撒くと何かあるんですかい?」
はい、斎藤さんポンコツ確定です。
なお斎藤さんに化学を教えた教師も同罪とします(連座)
しかし石灰岩の入手見通しがあるのはいいぞ。
当面は南方向を優先する方針だからすぐにとはいかないが、いずれ東側にも勢力圏を伸長させて安定的な採石を実現しよう。
「ふーむ…」
「ご主人様、そっちコゲちゃうよ?」
館に戻った俺は、リビングの真ん中に置かれた火鉢でミンと一緒に謎穀物焼きを焼いている。
俺が考え事をしている間に焦がしそうになったので、ミンが手際よくナイフでひっくり返してくれた。
火鉢の中には、ベンヤミンたちが試作中の海藻つなぎによる炭団が投入されている。
適当に赤い海藻を使用しているようだが、割ともう不満が無いくらい完成系の炭団になっている気がする。
これは非常に順調だな。
あと謎穀物焼きとずっと呼んできたが、実はもう謎ではない。
これはダスボートと呼ばれる料理で、なんと小麦粉とそば粉を混ぜて焼いたものである。
まあつまり”おやき”だね。
この世界ではソバも盛んに栽培されていて、畑に向かない斜面などによく植えられている。
ここシュタイオンでも、麦作に向かない土壌から主力食料として活躍しているのだ。
俺たちは小麦粉を混ぜておやきにしているが、そば粉のみでガレットというか蕎麦がきみたいな焼き物もよく食べられているようだ。
それはさておき。
「どこかに、これが沢山ないかなってさ」
「それなーに?」
俺が掌の上で弄んでいる暗緑色の物体は、魔法触媒としてたくさん贈られた鉱石の一つだ。
『鑑定』。
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瀝青炭
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はい、石炭です。
ちょこちょこ色んなところで褐炭や瀝青炭を贈られて来たので、この世界にも石炭が分布していることは間違いないだろう。
石炭を安定的に確保できれば金属加工の効率が上がるし、木材を木炭に加工する割合を抑えられるので建材の確保にもメリットがある。
うーん、真剣に探してみるか、石炭?
「陛下、黒緑石をご所望でございますか?」
もう一つの火鉢をバルカと囲んでいたアレクシスが、懐から瀝青炭を取り出して俺に献上しようとする。
そうそう、アレクシスが使っている魔法触媒の一つでもあるんだよね。
「いや、手で持てるほどの量が欲しいわけではない。蔵を埋めるほどの量が欲しいのだ」
「なるほど、蔵を…。ではデンネムンクへ、兵を進めることになりましょうか」
え、あるの? 石炭。
デンネムンクというとシュタイオンの北の半島か。
聞いてみると、アレクシスが使っている瀝青炭はデンネムンク半島で採取されたもので、現地では地表によく転がっているらしい。
むむむ、当面は北方向は放置する予定だったが、石炭が採掘できるというならいっぺんに魅力的になってきたぞ。
なにしろ地表に石炭が転がっているというなら、露天掘りが出来るような炭田にも期待できるじゃないか。
こりゃ新生ディアーダ王国の将来の産業見通しが、一気に開ける可能性が出てきた。
困ったな、南も東も北も拡張したくて堪らなくなってきた。
いやまあ、いきなり3方向は無理だし一つ一つやるしか無いんだが。もどかしい。
こうなりゃ一刻も早く人口を増やして…、いやその為には結局南方をどうにかしろということになるのか。
「はい、焼けたよ! ご主人様は、お肉挟む?」
お、いい匂いだな。
食欲を誘う香ばしいにおいが漂ってきて、俺の迷走しがちな思考は寸断された。
ミンから受け取ったおやきをそのまま一口食べると、うっすら炭の香りも移っていてこれも悪くない風味だ。
日本で食べても異世界で食べても、おやきはおやきというわけか。
いや、ミンと一緒に焼いた分だけ、こっちの方が旨いな。
肉や魚を挟んでも旨いし、豆をすり潰したペーストを塗っても旨い。
ハフハフとおやきを頬張るミンを眺めながら、地道にやっていけばいいのだと、俺は心を落ち着かせた。
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