第7話 内縁さんちの家族はお花畑の住人達だった

 

「きゃあ、お父様ー!!」


「酷いわ! 何するのよ!!」


 母親が大声を上げたせいか、腕の中の幼児がびっくりして泣き出したわ。


「何をしたか分かっておりませんの!? 事もあろうに王家の親書を踏み付けようとしたのですよ!! これは王家に仇なす所業なのです!!」


 母がしゃがみ込んで封筒と便せんを回収した。

 踏まれてはいないけれど、地面に落とすこと自体非常にまずい。外部の人間の目があったらと思うと血の気が引くわ!


「そんな紙切れ一枚で大げさな!」


 内縁の妻と娘は、眉を吊り上げて母に食って掛かる。

 因みに長男は父親を救助に向かったようね。


「大げさなどではありません! 王家の! 王妃様の! 直筆なのですよ!!

 保護魔法が掛けられているので破れる事はありませんが、もし追跡魔法も付与されていたら……ああっ」


 二度目はないって。

 追跡魔法? そこまで念入りにするかな。いやいや? 既にやらかしてるからもしかしたら……。


 追跡魔法って、まさしく対象がどう動いているか分かる魔法。一般的には人に対して掛けられ、見失わないようにするための魔法。

 だけど、大事な手紙などにも、紛失しないよう、行方を追えるよう付与される時もあるそうだ。


 えーと、万が一魔法が掛けられていても、この家に届いたって事は分かるだろうけど、破こうとしたとか地面に落とした事までは分からないよね? そんな機能まではないよね?

 と、期待を込めて兄を見上げたが、青白い顔で硬直していて目が合わなかった。


 母の元には侍女が駆け寄り、その傍には護衛騎士が一人付いている。

 彼は、侯爵家当主である父を助けに向かう素振りもなかった。わたし達の後ろに控える騎士も同様。おやぁ?

 わたしの疑問にあちらさんも気づいたようで、じろりと睨みつけた。


「騎士のあなた方、どうして主人を助けないのですか!?」


 内縁の妻の金切り声に、幼児の泣き声が不協和音を奏でる。


「我々は若奥様と、ご嫡子お二人を守るよう命じられている。その仕事をしているだけだ」


 多分その命令、おじいちゃんが出したんだろう。もうあの父は、守るに値しないと判断されているのねぇ。


「どうして? お父様は侯爵なのよ!?」


 ツインテール娘の質問に騎士たちが答える前に、いきなり地面にブォンと魔法陣が出現した。咄嗟に後ろの騎士がわたしと兄の前に出る。


 警戒を余所に、魔法陣の上にはおじいちゃんが姿を現した。騎士四人も連れて。


「え? 転移魔法!?」


「そう、『今すぐ行く』と言っていたのは、転移魔法のスクロールを使うという事だよ」


 なるほど。

 わたしの疑問に答えてくれた兄はほっと息を吐いたが、騎士たちは緊張し、すかさず敬礼したわ。


 しかしこの転移魔法のスクロール、片道使い捨てのくせに金貨一枚(日本円で約十万円)もするのよ!

 お金持ちであろうと、ホイホイと使えないわ。本当に緊急の場合だけに使用するのが常識。

 つまり、今は緊急事態という訳ね。何がって、ポンコツ親父の所業のせいよね。


 おじいちゃんは御年五十八歳。だけど当主を引退するような年でもないだろうし、実際見えないんだよねぇ。

 若い時は騎士だったからか、上背があり肩幅も広く胸板も暑い。

 おじいちゃんのお父さんは昔、騎士団長だったそうで、おじいちゃんの亡くなったお兄さんも騎士だったそうだ。

 つまり、ヴァルモア家は武門の家って事だね。


 クソ親父は優男風で、全然鍛えていないっぽい。

 何しろ身体強化をしていたとはいえ、ハイヒールを履いた母にぶっ飛ばされるくらいだもん。


 おじいちゃんはぐるりと一瞥し、ようやく生け垣から助け起こされたクソ親父を発見した。


「レイモンド!!!」


 その大きな声に、泣く子も黙ったよ。空気がびりびりしているから威圧もかかっていると思う。

 よろよろと立ち上がった所を、胸倉を掴まれて吊り上げられるクソ親父。てゆーか、おじいちゃんスゲー。


 傍に居た異母兄が勢いに弾かれたのか、尻もち着いて転んでいる。そして更に、じりじりとお尻で後退って行ってるわ。

 おじいちゃんがよっぽど怖いのね。


「貴様には失望した。当主を継がせるにあたって出した最低条件さえ守れん上に、王家に虚偽の報告をしただと!? しかも王妃様の親書を破ろうなどと正気とは思えん!! 即刻当主の座から降りてもらうぞ! 貴様に任せていたらヴァルモア家が終わる」


「……うっ、くっ……最低、条件は、守っている、」


「エリザベスを尊重しろと言っただろうが! 無理を言って嫁いでもらったというのに貴様は冷遇し、バルディオスとベアトリスも蔑ろにしている。

 週に最低三日は食事を共にしろと言ったのは、それ以上を共にし、正妻と子供たちに誠実に向き合えという意味だ!

 仕事もしない、出来ない、邸にもいない。貴様が当主である意味があるのか!?」


 うっ、改めて聞くと酷いなこれ。

 こんなんで、なんで今まで当主に就けていたの? おじいちゃん。




 ***




 いやもう凄かった。

 立ち退きの強制執行を見ているようだったわぁ。


 おじいちゃんと騎士たち四人に続き、おばあちゃんと使用人たちが転移してきたのよ。

 そして邸から家財道具を次々と運び出し、いつの間に呼び寄せていたのか、大型の魔導車の荷台に積み込んでいくという荒業。

 空間収納機能のある大形の箱には、衣類や小物などがどんどん入れられていく。


 わたし達でさえ呆気に取られていたんだから、この邸の住人たちは放心状態で、やっと我に返ったら、今度はぎゃんぎゃんと喚き出したわ。

 いやー、うん、何も聞いてなかったらそうなるよね。


「わたし達の家よ! 勝手な事をしないで!!」


「止めて! どこに持っていくの!? それはお友達からのプレゼントなのよ!」


「止めろー!! 何の権利があってこんなことをするんだ!!」


 内縁の妻、娘、長男の発言です。本当はもっと叫んでます、はい。


「まあ、ほほほ、“権利”ですって? もちろんありますよ。

 この家はヴァルモア家所有の土地と邸で、レイモンド個人には所有権がありません。あくまでも、内縁の妻と暮らす場所として貸し与えているだけですよ。

 エミリアさん、最初にちゃんと説明したはずよね?」


 おばあちゃん、淑女の微笑みでいながら目が氷のようってすごいな。

 あ、エミリアっていうのが内縁の妻の名前らしい。


 おばあちゃんは白髪交じりのストロベリーブロンドに碧眼の熟女。御年ろ……げふんげふん。若々しく、まだまだ美しい小柄な女性ですよ、はい。

 因みにおじいちゃんは金髪で、瞳はクソ親父と同じ黄緑色。あら、三代に渡って男子に受け継がれているのねぇ。


「でも……」


「あなた方家族には私の実家の領地に引っ越してもらいます。もちろん、レイモンドも一緒だから嬉しいでしょう?」


 なんででしょうか、背景に吹雪が見える気がするわ。


「え? でも、オズは侯爵なのに……」


 おず? オズって誰? 話の流れ的にはクソ親父の事だよね。ミドルネームかな。

 ははは、無関心が過ぎて父親のフルネームも覚えてないわ。


「レイモンドはヴァルモア家より除籍します。当主は私の夫が返り咲きますので心配ご無用ですよ」


「え? え? 待ってください! それではオズは貴族ではなくなるの!?」


「そうですよ。これで晴れてあなたと正式な夫婦になれます。良かったわね?」


 おお、おばあちゃん、嫌味炸裂!

 一人息子と縁を切る哀しさより、今は怒りの方が強いみたいねぇ。


 エミリアさんは呆然としてしまった。

 これから平民の夫婦としてやっていくなら、地に足を付けて働かないとねぇ。

 今までみたいに、ヴァルモア家からの援助で楽して暮らす事は出来ないぞ。というか、あのクソ親父、平民として働けるのかしら。


「え? わたし、じゃなくなるの?」


 おやおや、頓珍漢発言をかましてきたな、ツインテール娘め。


「何を言っているのかしらねこの娘は。あなたは元々平民ですよ」


「ええ!?」


 おばあちゃんは呆れながらも説明してあげるみたい。


「内縁の妻の子、庶子には父親側の貴族としての権利は何一つ与えられません。継承権がないのですもの、庶子は平民、そう法律で決まっています。

 エミリアさん、あなた、ご自分の子にちゃんと教育してあげなさい」


 分かっているのならね――ていう嫌味だろうな。

 これまでのやり取りを聞いていると、恐らくこのエミリアさん自身、勘違いをしていたようだ。何しろクソ親父がポンコツだしな。案の定――


「わたしは準男爵家の娘です! そして侯爵のオズと結婚したから、貴族の扱いになるって、そうオズが言っていたもの!」


 口の利き方も悪いが、内容も酷いな。おばあちゃんは、これ見よがしに大きなため息を吐いたわ。


「準男爵は個人の爵位です。父親が準男爵でも、娘のあなたは平民なの。貴族と平民は結婚できない決まり。だからあなたは“正妻”ではなく“内縁の妻”になったのだし、夫が貴族でも特権を享受出来ないあなたは平民のまま。だから平民のあなたが産んだ、あなたの子供たちも皆平民です。これは自明の理ね。

 レイモンドが知らなかったはずはないのだけど……都合の良いように勘違いしていたのかしら。以前はもう少しまともだったのに……」


「え……と、つまり、本当に貴族ではないっていう事?」


 おばあちゃんがさっきより丁寧に説明してくれたのに、エミリアさんはまだちゃんと理解していないっぽい。首を傾げている。おいおい。


「酷い、どうして!? わたしが侯爵令嬢じゃなくなるなんて! お兄様だってヴァルモア侯爵家の長男なんだから、後継ぎになるんだってお父様が言ってたのに!!」


 うぉい! ツインテール娘がより酷い事を言ってるぞ!

 あんのクソ親父!! テキトーな事、知識のない子供に言い聞かせてんじゃないよ!!


「はぁ、何故そんな思い込みをしているのかしらねぇ。

 先ほども言いましたが、庶子には継承権がありません! 庶子は平民!

 大体、既に嫡子が二人もいるのに、何故平民の庶子を迎えなければならないの? こちらが聞きたいですわ」


 額に片手を当てたおばあちゃん。頭、イタイよね。


「なぜって、あの子たちが可愛くないからだってお父様が言ってたわ!」


 ツインテール娘がわたしと兄に指を突き付けて、なんでかドヤ顔で言い切ったよ。

 繋がれた手にぎゅっと力が入る。


「可愛い、可愛くないで後継が務まるか!!」


 ついにお兄ちゃんがキレた。


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