第6話 そこには失ったものが確かにあった
その郊外の邸は、白い外壁のこじんまりとした家だった。
門から玄関アプローチまでの小路には花が植えられ、きれいに整えられている。
丁寧にお世話されているんだなぁと、感心しながら門番のいない門を開けて中に入っていく。
わたし達一行の先頭は護衛の騎士。母と専属侍女、それから兄とわたし。最後尾にメイドともう一人の護衛騎士が続いた。
つまり、移動の魔導車に、騎士と侍女とメイドが同乗していたんです。
スゴイのよ、空気に徹していたから。
もう一人の騎士は運転してたの。騎士なのに運転手。変なのって思ってたんだけど、今回は王宮に向かうから敢えてそうしていたらしい。
いつもは専属運転手がいますよ。魔導車の運転には資格が必要だからね。
つまりあの騎士、運転免許資格を取ったんだな。
こんなに魔法と魔導具で便利な国なのに、騎士もちゃんといるのよね。国の騎士団と、各貴族家が所有する騎士団(小規模)があるそうな。
貴族家の騎士の主な仕事は主家を守る事と、魔獣の駆除をする事。
王国騎士団は、王族の守護と、王宮警護。国境の砦では監視と魔獣討伐が主な任務。
ここ数十年、戦争がないから、功績を上げるとすれば魔獣討伐になるらしい。
騎士は貴族家出身者で、後継者じゃない次男三男とかが多いのは、功績を上げて騎士爵を受爵するのが目的だったりするらしいわよ。
片や街の治安維持を担っているのは『警備隊』。
日本で言えば警察官、というかお巡りさん的な存在よ。こちらは平民出身者が多いらしいわ。
街の各所に詰め所が在って、何か困りごとがあればそこに駆け込むことになっているの。軽犯罪取り締まりから酔っ払いのケンカまで仲裁する。
もしかしなくても、日本人の転生者が『交番システム』を導入させたんでしょうねぇ。
さて、騎士が玄関で訪問を告げると、何やら慌てた様に中年男性が飛び出してきたわ。
執事のお仕着せを着ているから執事なんだろうけど、ウチでは見たことない人だなぁ。
もしかして、この別宅の専属執事かな。
「なっ!……おく……いえ、エリザベス様、こちらにいらっしゃるのは初めてかと存じますが、本日はどのようなご用件でございますか? 生憎とご主人様は留守でございますが」
挙動不審!
まあね、本妻が
しかし、母の顔は知っていたみたいだけど、わたしと兄にもちらちらと視線をくれる。
「あら、皆さんでお出かけですの? 困りましたわ。至急、王妃様からの親書を手渡さなければなりませんの。あなた、旦那様に連絡を取って頂ける?」
「おっ、王妃様!? それは……少しお待ちいただけるでしょうか」
視線をウロウロ。めっちゃ挙動不審。この人、本当に執事なの?
本邸の壮年の家令や執事はもうね、顔面が固定化されてんじゃないのってくらい表情を出さないのよねー。それと比べるとあんまりにも拙いっていうかさー。
そしてあろうことか、当主の正妻を玄関の外に立たせたまま、挙動不審執事は邸の中に早足で戻っていったのよ!
おおーい、これ、完全にアウトだろ! せめて玄関ホールに招き入れるくらいするんじゃないの?
騎士や侍女たちも唖然としてるよ。
「……ありえません。奥様方をこんな外でお待たせするなんて!」
侍女が怒り出したけど、母は溜息一つ吐いただけ。
ダメダメ執事は留守だって言ったけど、実はいるんじゃないのぉ? あの挙動不審ぶりは怪しいって。
という事で、ちょっと周辺を探索し始めた。騎士がね!
少しして戻ってきた騎士が、若干気まずそうに報告して来た。
「若奥様、庭の方においでになりました」
ビンゴか。
「そう。では参りましょうか。逃げられても面倒ですわ」
逃げられるって。
母は腹を括っているみたいね。目が据わってるわ。
邸の角を折れ、少し奥に行くと、複数人の明るい笑い声が聞こえてきた。
あ、そうか。“家族”揃っているのかも。
そして本当に、
……あの、声を出して笑っている笑顔の男……もしかしてクソ親父!?
無表情以外見たことがなかったからさ、ちょっとよく似た他人かと思っちゃったよ。
えー、笑えるんじゃないのぉ。表情筋は生きてたんだなぁ。
んでぇ、クソ親父の隣にいるブルネットの女が、例の内縁の妻かぁ。まぁ、そこそこ美人だねぇ。
膝の上に金髪の子供を座らせて、何やら食べさせている。
父を挟んで反対側にいるブルネットをツインテールにした少女は、わたしと同い年の娘かぁ。
なんか知らんけど楽しそうにクソ親父が少女の頭を撫でていて、「もう、髪型が乱れちゃうわ」とか文句を言っている。あらあら、微笑ましい事。
テーブルを挟んだ向かい側には、これまたブルネットの、兄と同じ年頃の少年がいて、口いっぱいに何かをモグモグ食べている最中。
食べながら何かを喋っているみたい。まぁ、行儀が悪いわねぇ。
そんな何の変哲もない、ありふれた普通の仲の良い家族の風景。
前世の我が家もあんな感じだったかなぁ。
――失って、二度と戻らない光景が、いま目の前にあった。
そんな感傷に浸っていたら、握られた手にぎゅっと力が入った。
あれ? いつの間に手を繋いでいたん?
隣を見上げると、歪んだ兄が見えた。何故歪んでいる!?
「ベティ、泣くな」
えっ、わたし泣いてるの? と思う間もなく、目元にグイグイとハンカチを押し付けられた。痛いってば。
でも、ありがたく頂戴しておいた。本当に頬が濡れていたし。
お礼を言おうと思って見上げたら、歪みのない兄の泣き顔が見えた。
「お兄様だって泣いているわ」
「泣いてない!」
兄も言われて気づいたのか、上着の袖で目元を擦るから、ポケットからわたしのハンカチを取り出して押し付けた。
「駄目ですよ、そんなに擦っちゃ」
男の子ってなんで袖で擦っちゃうのかねぇ。目元の薄い皮膚が赤くなるし、袖だって涙や鼻水でカピカピになるんだぞ!
兄が泣いている理由は恐らくわたしとは違うでしょう。ただ、何となく理由は分かる気がする。
晩餐の席ではほぼ話をせず、無表情を貫いていた父が、ここでは声を上げて笑い、子供たちに優しく話しかけているのだ。
我が家とはあまりにも違う光景で、わたし達の存在を全否定されているかのように感じるもの。
ついさっき内縁の妻や庶子の子供たちの事を聞かされた兄には、かなりショックだったんじゃないかしらね。
百聞は一見に如かずっていうじゃない。
そんなわたし達のやり取りを尻目に、母がわざと足音を立ててクソ親父たちに近づいて行く。
幸せな家族の団らんにヒビを入れるかのように。
こちらに気づいたクソ親父たち。と、同時に駆け付けたダメダメ執事が、目を見開いて固まってしまった。
「えっ!? なんで……」
ここにいるのかって? それはアンタがちゃんと玄関ホールに招き入れなかったせいだし、足が遅いからだよ!
母はこの執事を無視する事にしたらしい。まっすぐクソ親父に向かっている。
慌てて立ち上がるクソ親父。眉を吊り上げてお怒りのようだわ。
「――ここはお前たちのような者が来る場所じゃない!!」
来たくて来たんじゃねぇよ!
怒鳴るクソ親父の行動を見てか、内縁の妻とその娘が、こっちを見ながらふっと嘲るような笑みを見せた。
あーあー、マウント取りたい女の嫌ぁな顔そのものだわ。性格悪いんじゃないのぉ?
「私だって、来たくて来た訳ではございませんわ。緊急の要件に付き致し方ありませんでしたの」
母は気づいたかどうか分からないけれど、そちらには一顧だにせず、手提げポーチから親書を取り出すと、両手で捧げてみせた。
「王妃様からの直筆の親書ですわ。直接、旦那様に手渡すよう指示されましたの」
「王妃様から?」
めっちゃ怪訝な顔しとるわクソ親父。あんたが原因なんだからな。
王家の封蝋を確認し、テーブルにあったナイフで開封する。っておい!? なんて雑な扱いするの! ちょっと信じらんないんですけどー!
そう思っているのはわたしだけではない。侍女やメイド、騎士から「ひゅっ」と息を呑む微かな音が聞こえたわよ。
友達からの手紙じゃないんだよ!? 王家の、王妃様からの親書だよ!?
わたし達の表情に気づきもせず、中の便せんを取り出し読み始めるクソ親父。
読み進めている内に、わなわなと震え出したわ。何書いてあったんだろうねぇ。
「……なんだと……そんな…………こ、こんなもの!」
くわっと目を見開いたかと思ったら、手に持った手紙を両手で破ろうとしたわこのクソ親父! 何しやがる!?
「なんて事を……お止め下さい!!」
余りの愚行に呆気に取られた母が我に返り、親書を取り返そうと手を伸ばす。
されまいと、身を翻すクソ親父。
「あなた、どうしたの?」
「お父様、何が書いてあったの?」
とか言ってるあちらの家族はこの際放置して、わたしは通信機を取り出す。
「聞こえますか、お祖父様」
別宅に着いて何かあったら連絡をするように言われていたのよ。
そういう訳で実況中継。
「お父様に王妃様の親書を手渡して読んでもらったのですが、逆上したお父様があろうことか王妃様の親書を破ろうとしています」
『――なんだと!?』
「大事なお手紙には大抵保護魔法が掛けられていますもの。しかも今回は王妃様の直筆、破れる筈がございませんわ。あっ」
『どうした!?』
破れないからヒートアップしたのか、クソ親父が手紙を落して踏み付けようとしたまさにその時、
「お止めになって!!」
と叫んだ母が、ドンと父を突き飛ばした!
突き飛ばされたクソ親父は地面を平行移動し、生け垣にずぼっと突き刺さったよ!?
ありゃあ、母よ、身体強化掛けていたわね。
それをおじいちゃんに伝えると、低~い唸り声が聞こえてきた。
『もう駄目だ。我慢ならん! 今すぐ行く!』
「えっ!? お祖父様!?」
今すぐって言ったって。通話が切れた通信機をつい眺めてしまう。
「ベティ、どうした?」
「えーと、お祖父様がすぐ来ると言ってました」
「ああ、それは……」
兄が言いかけた時、女の金切り声が響いた。
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