第4話 『私の名前!?』


 私の奴隷としての身分の買い取りは、円満に行われた。


 奴隷商人様はちゃっかり愛玩奴隷として先日高額落札された奴隷の金額を提示したので、その3倍で私はフランシス様に引き取られることになった。


「この娘が引き取られた際の関係書類は残っているか?」


「ございます」


「そちらも全て引き取ろう……いくらだ?」


 さらにちゃっかり書類代までせしめた奴隷商人様は大変ご満悦だ。


「わかっていると思うが、この子は公爵令嬢だ余計な口出しは無用だ」


「はい、我々も命は惜しいですからね他言するようなことは致しません」


 取引き後追加料金を払い、私は奴隷の身分から解放された。


 奴隷が解放されるためには色々と手続きが必要らしく、その全てが終了すると微かに震えるフランシス様の手で私の首輪が外される。


 カチャリと小さな音を立てて首輪が外れたことでそれまで見え隠れしていた首元の痣が姿をみせる。


 薄紅色の薔薇の花を思わせる痣を、フランシス様が優しく撫でた。


 フランシス様は徐ろに自らの服に手を掛けて首元を晒すように寛げると、そこには私の首にある痣と似たような痣がくっきりと浮かんでいる。


「ご覧、これは我が公爵家の血筋に現れる痣なんだよ」     


「同じ痣?」


「そうだよ、おかえり私の愛娘」


 ギュッと抱き締められて、私は堪えきれずにフランシス様の腕の中で泣き続けた。 


 そこからは良く覚えていない。


 たぶん泣き疲れて寝てしまったのかもしれない、次に目が覚めたのは大きく立派なベッドの上だった。


 いい匂いがするシーツは高級品なのだろう、サラサラとした肌触りが気持ちいい。


 そして自分が寝ていたシーツが変色してしまっている事態に青くなった。


「汚したらお仕置きされちゃう!」


 なぜ奴隷の私がこんなところに寝ているの?


 慌ててベッドから転がり落ちたが、ベッドの下にも高そうな絨毯が敷いてあり、慌てて周囲を確認する。


 初めて目にする豪華絢爛な調度品の数々に恐怖が募る。


 なぜこのような部屋にいるのかわからないけれど、汚したり、……もし壊しでもしたら……


 なんとか周りに何もない部屋の隅に移動して、絨毯を汚してしまわないように捲りあげる。


 どうやらその下は白い石を滑らかに削り出したタイルが張られた床のようなのでそこに避難した。


 綺麗な壁を背中で汚してしまわないように膝を抱えるようにして座り込むと、お尻がひんやりと冷たくて気持ちいい……


 しばらくすると、ガチャリと私の右側にあった両開きの扉が静かに開いた。


「あら、お嬢様がいないわ!」


「えっ、そんな! たしかに寝て居られたはずよ……私、閣下へお知らせしてきます!」


 慌ただしく部屋へと入ってきてベッドを確認したりしはじめた。


 もうひとりは慌てた様子で、どこかへと走って行ったのか足音がだんだんと小さくなっていく。   


「そんな……どちらへ」


 オロオロと室内を見渡していた年配の女性と目があった。


 マズイ、ベッドや絨毯を汚してしまったのがバレた!

 

「もっ、申し訳ございませんでした!」


 その場に蹲り両手のひらを上に向けて謝罪する。


 これは世話焼き奴隷から習った謝罪方法だ。


 粗相をしてしまった際に蹲り両手のひらを上に向けて差し出すことで、全ての罰に従いますと言う意味になるのだそうだ。

    

 目を瞑りこちらへやってくる足音を聞きながら、お仕置きに備えて身体を丸める。


 すると目の前に来た年配の女性は私の両脇に腕を差し入れると、ひょいっと私を起こしてしまった。


「あぁ、本当に……こうして起きているとマルガレータ奥様とそっくりだわ……」 

 

 年配の女性の瞳に見る見る涙が浮かび、ぽろりと溢れる。


「マルガレータ?」


「えぇ、そうですよ? お嬢様の……亡くなったお母様のお名前です」


 そう言ってギュッと抱き締められた。


 昨日から抱き締められる事が増えたのは嬉しいが、目の前の女性の服が汚れてしまいそう怖い。


「申し遅れました、私はマルガレータ奥様の侍女をしておりましたパメラと申します」  


 後に聞いた話では、パメラはマルガレータがダロンド侯爵家からリンドブルクへ嫁ぐときに実家である侯爵家から連れてきた侍女なのだそうだ。


 マルガレータが今の私と同じくらいの時から仕えていたらしい。

 

「パメラ様……あの、ここはどこですか?」


「私に様付けは必要ありません、パメラと呼んでくださいませお嬢様……ここはリンドブルク公爵家のお屋敷です」

 

「リンドブルク?」

 

「はい、リンドブルク公爵家、聞いたことはございますか?」


「ううん……」 


 きっとこれ程大きなお屋敷だ、こうしゃくけがどれ程偉いかは私には分からないけれど、奴隷や平民が逆らってはいけないお貴族様なのだけはわかる。


「では後でゆっくり説明いたしますわ、湯浴みとお召し替えをいたしましょう?」 

 

 それから私は、パメラに室内履きというふわふわした履物を穿かされて、続き部屋に案内された。


 これまで履物なんて奴隷の私は履かせてはもらえなかったので戸惑ったし、綺麗な履物に汚れた足を入れて汚してしまうのが怖い……


「汚してしまっても大丈夫ですよ? お洗濯すれば綺麗になります。 なんなら浴室までこのままでも構いません」


 パメラは汚れた素足のまま絨毯を歩いて移動してもいいと言ってくれた。


 しかし既にベッドからここまで素足で移動してしまっていても、これ以上この豪華な絨毯を汚したくない。

 

 洗濯のしやすそうな履物を履かせてもらった。


「パメラ侍女長、お嬢様は見つかりましたか?」


 どうやら先ほど出ていった女性が戻ってきたようで、ひょっこりと部屋へ顔を出した。


「ええ、お嬢様はご無事です。 慣れない環境に驚かれてしまったようです、旦那様と若様にお知らせして来て頂戴、きっと心配して屋敷中を探し回っているでしょうから」


「はい、わかりました」   

 

 それから私はパメラに手伝って貰い浴室で身体を清めることになった。

 

 案内された浴室には白いタイルが床一面に貼られその上に金色の猫の足のような装飾が施された足のついた白磁の浴槽が用意されている。


 浴槽の中には熱めのお湯がたっぷりと用意され、それを薄めるための水瓶が沢山用意されている。


 平民であっても盥一杯のお湯で身体を清めるくらいがせいぜいで、奴隷だった頃は冷たい井戸水をかぶるくらいしか出来なかった。


 これだけの量の水を井戸から滑車で組み上げるのも、お湯を沸かすにも沢山の薪と人手がかかるのだ……あまりの贅沢に眩暈がする。


 先ほど人がいなかったのは、このお湯を用意していたからかもしれない。


「さぁ、服を脱ぎましょうか」 


「はい」


 簡素とすら言って良いのかわからないボロ布を脱ぎ捨てれば、まるで骨に辛うじて皮が張り付いているかのような肉のない細く見苦しい自分の手足が目に入る。


 力仕事であちらこちらに身体をぶつけてしまうせいで青紫に変色してしまっているのもいつもの事だけど、どうやらパメラにとっては衝撃的だったらしい。


「……痛くはありませんか?」


「大丈夫です慣れていますから」


 適温に加水された水を足元から掛けられてゆっくりと頭まで濡らされていく。


 自分の身体から流れ落ちる水の色に改めて自分の汚れ具合を再確認して寒くもないのに身体が震える。


「身体が冷えてしまいましたね、先に湯船に浸かりましょうか」

 

「えっ、でもお湯を汚してしまいませんか?」


「また追加しますからゆっくり浸かりましょう?」


 高さのある浴槽に登るためだろう補助階段を登り覚悟を決めて浴槽に浸かる。

 

「そのままで良いですからね」


 浸かりながら良い香りの石鹸で頭を洗われる。


 何度か洗髪を繰り返したあと湯船から外へ出ると身体も丁寧に洗ってもらえた。


 何度か追加のお湯を侍女らしき女性達が浴室に運び込んでくる。


「汚れが落ちたら金糸のような美しい髪になりましたね、旦那様のお色とそっくりですわ」 


 洗い上がり水気を拭き取った髪と身体は香り高い香油が塗られしっとりと潤っている。


 長さがバラバラで薄汚れていた髪の毛がキラキラと金色に輝いている。


「少し長さを整えましょうか」


 長さが違う髪をパメラが切り揃えてくれ、ふわふわとした布地のガウンを羽織って色とりどりのドレスが掛けられたドレスルームへ移動する。


 いったいいつの間に用意したのだろう、肌触りのいい美しい下着と豪華なドレスを着付けられ、先ほど履いた室内履きではない新しい靴に言われるままに足を入れた。


 多少ドレスが大きいがパメラがお針子を呼んでいたらしく、素早くサイズ調整がなされて不格好には見えないように直される。

 

「まあまあ、こうしてドレスに身を包むと本当にマルガレータ奥様が生き返って来られたようですわ」


 大きな姿見に写る自分はあまりにも今までの奴隷の姿からかけ離れていて、未だにこれが夢なのではないかと不安になり頬をギュッと抓る。


「まぁいきなりどうなさったのですか!?」


「痛いれす……これは夢では無いのですか?」


「夢ではありません、お嬢様はリンドブルク公爵家へ無事に帰ってこられたのですから、おかえりなさいませお嬢様」


 改めてパメラに抱き締められてまた泣いた、あぁ昨日から泣いてばかりだな私……


 いつ死ぬかもわからない不安を抱えながら生きていかなくても良いのだと言う安堵感が胸いっぱいに押し寄せる。   


「さぁ泣き止んでくださいませ、旦那様と若様がお嬢様と一緒に夕食を取るのだとお嬢様がいらっしゃるのを首を長くしてお待ちですよ?」


「はい、パメラ」


 先導するパメラの後に従って長く踏みそうなドレスを鷲掴む。


 自分で身の回りのことをする必要がない身分の高い人は裾や袖など衣服に使用する布地が長くなるらしい。


 これまで太腿の半分までしか長さがなく、二の腕を隠す袖も無い奴隷服しか来たことがなかった私には転ばないように歩くだけでも一苦労だ。


 ドレスルームから部屋へと移動すれば既にベッドのシーツは交換されたらしく、皺のない新しい物へと取り替えられていた。


 部屋の中に設えられた長椅子にフランシス様の姿があり、驚いて止まるとパメラが呆れた様子でフランシス様へ声を掛ける。


「まぁフランシス様、お嬢様を待ちきれずに迎えにいらっしゃったのですか?」


「やっと再会出来た愛娘の姿が見えないと、侍女が執務室へ駆け込んできたんだぞ? また目を離したすきに消えてしまうのではないかと心配なのだ」


 さも当たり前のように部屋で、寛ぐフランシス様は私の姿を見つけるなり嬉しそうに相好を崩した。


 長椅子から優雅に立ち上がるとまたたく間に距離を詰められて、ヒョイッと腕の上にお尻を置く形で抱き上げられる。

  

「あぁそうしていると君は本当に可愛い、マルガレータにそっくりだ」 


 満面の笑みで初めて可愛いと褒められてどう反応していいのかわからずにいると、パメラがうんうんと肯定するように顔を上下に振っている。


「あの……おかっ、マルガレータ……様はそんなに私に似ているのですか?」


「あぁ、髪や瞳の色は私に似たようだが、容姿や髪の癖とがマルガレータにそっくりだ」


 私を通してマルガレータ様を思い出しているのか、髪の毛を優しく撫でる。

 

「そのおかげでこうしてまたお前と再会することができた、神とマルガレータに感謝をしなければいけないな」  


 どうやらフランシス様にとってマルガレータ様は神様と同等らしい。


 どうやら貴族の家にはダイニングルームと呼ばれる部屋があるようで、晩餐はそちらに用意されているらしく、フランシス様に抱き上げられたまま移動することになった。


 私としては12歳になったのに誰かに抱き上げられて運ばれるのは……そのぅ、いささか恥ずかしい。


 しかし、嬉しそうに私を運び始めたフランシス様に自分で歩きたいと告げたらこの世の終わりのような表情をして落ち込んでしまったので……私が前言撤回した。


 ダイニングルームには、何人で使うのかわからないほど大きなテーブルが広い室内の中央に設置され、それを取り囲むように何脚もの椅子が並んでいる。


 テーブルを覆う一枚物の真っ白なテーブルクロスの上には、これまで見たことがない豪華な食事が並んでいて、良い香りにお腹が空腹を思い出してクゥと小さく鳴った。


 ダイニングルームの入口から奥の席には既にテオドール様が座っており、私たちが入室した事に気が付いたのか手を上げて出迎えてくれた。


「さあ夕食にしよう」


 ちょうどテオドール様とテーブルを挟んだ反対側に降ろされて、フランシス様の斜め隣の席に座らされる。


 色とりどりの野菜、美味しそうなスープや香ばしい焼き立てのパンの香り、大きな肉を焼いたものがこれでもかと目の前に並ぶ。


「ふふふ、気にせずにお腹がいっぱいになるまで食べていいよ」


 そう言われて何度かフランシス様と料理を見比べると、テーブルの上にずらりと並んだ銀色の柄がついたなにに使うのか分からないものを諦めて、パンに手を伸ばす。


 ふわふわの柔らかなパンにガブリと噛みつき口いっぱいに頬張る。


 カビ臭い訳でも噛みきれないほど硬い訳でもない柔らかなパンの初めて食べる味に、本当に奴隷から解放されたのだと実感がヒシヒシと涙と共に湧き上がって服の袖で目元を拭う。    


 木の器ではなく、薄い白磁の陶器に入ったスープを皿を口につけながら飲み干す。


 お肉を素手で掴もうとしたところで、目の前に一口大に切り分けられた肉が銀色の柄がついた何かに刺さった状態で差し出される。


「肉は熱いからね、火傷をしないようにこうしてフォークを使って食べるんだよ?」


 差し出された肉を頬張ると口の中に肉汁が溢れ出る。


 よく見れば目の前のテオドールは銀色のフォーク?や、また違った形の物を両手で器用に使いながら食事をしている。


「綺麗……」


 その仕草が美しくてつい見入ってしまう。


「私もできるようになるのかな……」


 おっかなびっくりフランシスの持っている銀色のフォークと同じ形のものを握り、野菜を食べてみるが距離感が測れずどうにも上手く口元へ運ぶことができない。


 四苦八苦しているとポンと頭上にフランシス様の手が置かれる。


「ゆっくり学べば良い、今は気にせずに沢山食べなさい」


 いつの間にか切り分けられていた肉が、フランシス様によって口元へ運ばれる。


「これは……親バカになりそうだな、そういえば名前はあるのか?」


 テオドール様が思い出したように聞いてくる。


「百三番です」


 もぐもぐと咀嚼しながら自分の奴隷識別番号を告げれば、ダイニングルーム内にいた全ての人が痛々しいような顔をしている。


 ……もしかして私何か失敗しちゃった?


「グレタ・リンドブルク」


 フランシス様が聞き覚えが無い名前を口にする。


「グレタ?」


 って誰?


「息子ならグレッグ、娘ならグレタ。 そう名付けようと、マルガレータと話していたお前の名前だ」


「私のな……まえ?」

   

 グレタ・リンドブルク……私の名前はグレタ……


 ズキッとこれまでに味わったことがない鋭い頭痛が襲ってくる。


「グレタ!?」


 フランシス様とテオドール様が席を立ち上がると、慌てた様子で私の側へやってくる。


「大丈夫かっ!?」 


 頭を押さえてテーブルに臥せっている私を心配そうに覗き込んでくる2人の容姿に、違う誰かの姿が重なる。


 違う、そうじゃないこれは二人の未来の姿だ……

  

 前世で三回も周回するほど大好きだったロールプレイングゲーム、「グラシアル英雄伝」の主人公テオドールとゲーム序盤で自身の娘で悪役令嬢のグレタに殺害され、命を落とすことになるテオドールの育ての親フランシス……

 

 どくんどくんと頭が脈打つように痛い。


 英雄伝で私は……グレタはどうなった?


 次々と断片的に流れ込んでくる知識の濁流に流されかけながら必死に英雄伝の内容を練り出す。


 あぁ……そうだ思い出した。


 私はフランシス様を死に追いやったことでテオドール様に殺されるのだ……


 やっと奴隷から逃れることが出来たのに、どうやら私の死亡フラグは折れてはいなかったらしい。


 そんな死亡フラグなんて認めてたまるか!


「絶対にへし折ってやるんだから!」

   

 フォークを握りしめたままテーブルに拳を叩きつけながらの私の決意表明は、頭痛も相まって口からダダ漏れていたらしい。


「いやフォークは折れないだろう」 

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