第2話 『負けてたまるか! 私は、奴隷!』
「働けないお前に生きる価値はない!」
空腹と疲れに鉱石を山と積んだ台車を倒してしまった私に奴隷商人様が振り上げた乗馬用の鞭を振り下ろす。
朦朧とした意識の中で背中に走る痛みだけは鮮明で、頭を庇うように身体を丸めてただ耐えることしか出来ない。
お仕置きで気絶した私が放り込まれたのは、むき出しのタイルが敷き詰められた牢獄のような奴隷部屋だ。
黴臭い湿気った臭いと汚物を流すための水が流れている側溝から漂う汚物の残り香、何日も身体を清めることができないため汗臭い……家畜のような臭いにも慣れるしかない。
同じような年頃の……まだ愛玩奴隷には出来ない子供達が纏めて放り込まれているこの鉄格子が嵌まった奴隷部屋と、仕事場である鉱山で大人の奴隷達が削りだした鉱石混じりの岩屑を台車に積んで、坑道の外へ運び出すのが私……百三番の仕事だ。
私は物心がつく頃には既にこの奴隷商館にいた。
両親がどんな人だったのかなんて見たことも聞いたこともない。
奴隷仲間の中には、親に売られた者、犯罪や借金から奴隷になった者、奴隷商館にいる奴隷から産まれた子供奴隷も居るため、私みたいな子供奴隷は珍しくない。
老若男女、何百人いるかわからない奴隷の中で私が百三番なんて若い数字を与えられているのも、多分前任の百三番が死んだか売られるかして居なくなったからだろう。
首にガッチリと嵌められた金属製の首輪が重く幼い頃は体力も力もなくて、失敗しては奴隷商人様からお仕置きされることが多かった。
それでも愛玩奴隷として人気が高い金髪碧眼、それなりに整った顔や身体には傷跡が残るようなお仕置きはなかった。
今思えば女の私は成長すれば奴隷として他の使い道があると判断されていたのだろう。
少量の穀物を溶かした具がほとんど入っていないスープと、たまに見つけることができる坑道の壁に張り付いたトカゲ等の生き物は、私達奴隷にとって貴重なご馳走だった。
奴隷商人様に罵倒され、いつか絶対にこの地獄のような奴隷生活から逃げ出してやるんだと決意を固めてからと言うもの、逃げ出すときの為に私は自分に出来ることを捜して、奴隷商人様の信頼を得られるように顔色を窺い愛想を振りまき、そして奴隷商館の警備の配置や逃走経路の確認などに注力してきた。
ある日奴隷商人様が私よりも歳上の容姿の良い少年少女達を選び、次々と川へ引きずり出すと、川の水で身体を清めるように命令をだしはじめた。
日中の力仕事でクタクタだが、笑顔を貼り付けて率先して奴隷商人様の手伝いを買って出る。
奴隷商人様の部下が引き出されてきた奴隷達の服を剥ぎ取っていく。
地面に投げ捨てられる脱がされた服であっただろう悪臭を放つボロ布を回収しては、川の下流で洗っていく。
子供の奴隷は成長するに従ってすぐに着ている服のサイズが合わなくなり、着ることが難しくなるため、例えボロ布だとしても私を含めた更に小さな子供の奴隷達へ再分配されていくのだ。
身体を清められ質素だが清潔な衣類を着せられて、次々と娼館や貴族や富豪の愛玩奴隷として仲の良かった奴隷が競売に掛けられていく。
少しでも彼らが良い主人に買ってもらえて幸せになれば良いなと願いながら、それを望んでいない私は着々と脱走の成功率を上げるために、罵倒されようが折檻されようが奴隷商人様に従順な態度で接し続けた。
十二歳頃になると同じくらいの歳回りの子供の奴隷が、男女別に奴隷部屋を分けられ愛玩奴隷の選定を受け始めた。
これはいい加減そろそろ逃げ出さなければならないかもしれない。
そんなある日、奴隷商人様がマント姿の男を案内して私の住処になっている奴隷部屋の前へやってきたのだ。
黒い高級そうなマントで身を隠しているが、マントの隙間から見える衣服は見たことがない程に細かな装飾に彩られ、その酒樽のような腹部を覆い隠している。
肉詰めのような指には大小様々な色の宝石が埋め込まれた指輪を全ての指に装着しているため、きっと貴族なのだろう。
「こちらが愛玩奴隷として売り出せる最年少の者達の奴隷部屋となります」
「ふむ、儂としてはもっと幼い者が好みなのだがな」
「残念ながら、国王陛下から下されたご命令により奴隷商館で商品として取り扱うことができるのは、十二歳以上とする決まりなのです」
「仕方あるまい、この中で選ぶとしよう」
「お前たちお客様の前に並べ!」
格子越しにお客様だろう貴族と奴隷商人様の前に並ぶ。
貴族に愛玩奴隷として買ってもらい寵愛を受けられれば、奴隷から解放され愛妾として贅沢に暮らせることもあるらしい。
そんな愛妾の座を狙う子達がわらわらと格子の前に押し寄せていく。
幼い者を希望していると言っていたのでこの中で、一番身体の小さな私は見つかれば変態貴族の餌食になりかねないが、奴隷商人様に並べと言われてしまっては並ばないわけにはいかない。
なるべく変態貴族の視界から外れるように死角となる場所に小さくなっていると、奴隷部屋の中を確認した奴隷商人様が声を荒げる。
「背が小さい者を前に連れてこい! 千五十三番、百三番、千九百八十二番!」
番号で指定された中には私の番号があり渋々と前へ出る。
奴隷商人様が呼び出したのは私も含めて皆身体が小さくて、鉱山では亀裂があると有毒ガスの有無の確認に行かされていた子供たちばかりだった。
「この三人などいかがでしょうか? 少しばかり汚れておりますが皆清めれば高級娼館へ出せる器量でございます、皆競売前でございますから金貨100枚からになりますがいつも当商館をお引き立てくださるお客様ですので、三人おまとめ購入であれば値引きすることも可能ですよ」
「ふむ、ではこの三人を貰おうか」
金貨百枚は平民の十年分の年収に匹敵する金額だ。
競売に掛けて貰えれば愛玩奴隷の場合金貨百枚が最低落札価格となる。
しかし、犯罪奴隷や愛玩奴隷に向かない労働奴隷は百枚を切るし、働けなくなった廃棄奴隷などは捨て値もいいところだ。
ニヤリといやらしい笑みを浮かべて頷いた。
「お買い上げありがとうございます! それでは商談室へご案内致します」
貴族を連れて上機嫌に去っていく奴隷商人様の背中を見送る。
「ねぇあれって確かブロン男爵よね」
「えぇ毎年数人の子供の奴隷ばかりを買っていくらしいわ」
「私も他の奴隷商人様に聞いたんだけど、子供の奴隷を愛で終わると森に放って猟犬に食べさせるらしいわよ」
「えっ、そんな怖い貴族だったの……」
最悪だ……
同室の子供たちの話に一緒に買われることになった二人が絶望に泣き始めた。
「千五十三番、百三番、千九百八十二番! お前たちの御主人様が決まった! 奴隷部屋から出なさい!」
「いゃぁぁあ!」
「行きたくない! 犬の餌になんてなりたくないのぉ!」
泣き喚く二人を力ずくで商人様が所有している世話焼き奴隷が引きずり出していく。
「百三番」
「はい……」
粛々と奴隷部屋から外に出る、この日のために逃げ出す準備は続けてきた。
世話焼き奴隷は泣きわめき暴れる二人の奴隷に気を取られていて私に気がついていない。
今なら……逃げられる!
奴隷部屋が有る建物から外に出るための出口で首輪に鎖をつけられる前に、私は前を歩く世話焼き奴隷に体当たりをくらわせると猛然と走り始めた。
「まて! 百三番が逃げた!」
緊急事態を知らせる鐘が鳴らされる。
この叩き方は奴隷の脱走を知らせる鐘の音だ。
本当ならばもっと静かに逃げるはずだったのに、次々と世話焼き奴隷達が飛び出してくる。
小回りの効く小さな身体を活かして建物一角を曲がり、この日のために目をつけていた場所へと向かう。
奴隷商館は四方を木よりも高い壁に囲まれており、よじ登って逃げることは出来ない。
出口は奴隷商館の厳重に警備された正門だけ。
しかし私は知っているのだ。奴隷商館と商館を囲う壁の隙間、大人の体では入り込めない一角に穴が空いているのを……
隣の土地の家主が奴隷商人様を嫌っており、穴が空いていることを教えていない事も確認済みだ。
身体を縮めて頭を穴に通して肩が抜けば、後は何とか抜けられる。
ボロ布が穴に引っ掛かってビリビリと嫌な音を立てたけれど、気にせずに走り出す。
この穴が見つかればすぐにでも追手がかかる。
抜けた、抜け出せた! 私は自由だ!
必死に走り出した私が街道に飛び出した所で、待ち受けていたらしい奴隷商人様と世話焼き奴隷に捕まってしまった。
「全く、やってくれますね百三番、まさか貴女がこのようなことをするとは思っていませんでしたよ」
「はなせ! はなしてよ!」
両腕を背中で拘束され、無理やり地面へ跪かされる。
キッと目の前に立つ奴隷商人様を睨み上げる。
「ほう、なんですかその目は、どうやら教育が足りなかったようですねっ」
世話焼き奴隷が振り上げられた調教用の鞭に、身体が反射的に強張った。
「なんの騒ぎだ……」
いつまでも訪れない痛みに目を開ければ、シンプルなフード付きマントを被った人物が、振り上げられた世話焼き奴隷の腕を掴み捻り上げる。
どれほど強く力を込めたのか、世話焼き奴隷の手からポトリと持っていた鞭が地面へと落ちた。
「我々は逃げた奴隷を追いかけてきただけでございます騎士様」
見上げるとそこには端正に整った容姿の青年がいた。
鍛え上げられた引き締まった身体で、世話焼き奴隷を軽々といなしている。
美形よりは美丈夫と言ったほうが良いだろうか、彫りの深いくっきりとした顔立ちだが何より目を引くのは、きりりとつり上がった赤い瞳だろうか……
どこか野生の狼を彷彿とさせる、黒髪の青年が鋭く奴隷商人様を睨んでいる。
「いくら奴隷とはいえ、こんな子供へ暴力を振るうのは感心しないな」
「暴力? 人聞きが悪いですね、教育の一貫ですよ」
「教育だと?」
「えぇそこの娘……百三番は先程お客様にお買い上げ頂いており、これからご主人さまの為に身体を清める予定だったところを逃げ出したのです」
逃亡奴隷に課せられる罰は苛烈だ、年齢や性別など考慮されないし、身体に傷が残った奴隷は愛玩奴隷にはなれないのだ。
カタカタと逃亡奴隷の末路を思い出して、恐怖から無意識に目の前にあった青年のマントの端を両手で握りしめる。
「テオドールそこに居るのか?」
振り返った青年の動きで、この青年がテオドールと言う名前なのだと理解した。
私の背後からこれまで感じたことがないような威圧感を感じる。
恐る恐る顔を上げて視線を向ければ、とてもそんな威圧感を放っているとは思えない……優しそうな容姿をした若い男性が立っていた。
金糸のような髪を緩いオールバックに撫で付け、やや垂れ下がった瞳には宝石を嵌め込んだような碧眼が見え隠れしている。
「フランシス様、申し訳ございません、子供が追われていたためつい……」
「困った子だねテオドールは、奴隷は奴隷商人の所有物だからね、主人でない我々は基本的に手を出してはいけない……」
「助けてください!」
私は持っていたマントを離して、フランシスと呼ばれた男性に詰め寄り懇願する。
「掃除も洗濯も力仕事だって何でもします! 犬の餌になるのは嫌なのです! お願いします!」
男性を見ながら涙ながらに懸命にすがりつき懇願を繰り返す、私に出来ることはそれだけだ。
「!? マルガレータっ!」
「えっ?」
私の顔を確認したフランシスが、私を抱き上げたのだった。
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