英雄の愛娘に転生しましたが、お父様の死亡フラグが折れてくれない!?

紅葉ももな

第1話『処刑台』

 ピチャリ……ピチャリ……


 王城の地下に作られた重罪人を閉じ込めておくための薄暗く寒い牢屋の中で、冷たい石の床に膝を抱えながら座り込む少女がいた。


 歳の頃は十六から二十と言ったところか。


 社交界で美しいと称賛された金色の長い髪は、汚れて絡まり、青く自信に溢れていたその瞳には暗い影が落ちている。


 この狭く寒い牢屋へと入れられて、どれだけの時間がたっただろうか。


 この牢屋から助けてくれたかもしれない、唯一の味方は自分の両腕の中で血を吐き苦しみながら死んでしまった。


 明かり取りと換気のために開けられた横長の通気口は、腕が一本通るくらいの高さしかなく脱獄は難しいだろう。


 それでも雨が降れば雨水が牢屋へと壁を伝って流れ込むし、寒さの厳しい日には雪が牢屋の中へ吹き込むことも珍しくはない。


 通気口のない壁に背中を預けて座り込む少女、……グレタ・リンドブルク公爵令嬢は、もう何日も着替えておらず、汚れや悪臭が染み付いてボロボロになってしまったドレスのスカートをギュッと摑んだ。


 かつては国を救った英雄の娘、しかも高位貴族の令嬢として……王女の親友として社交界に華々しくデビューを果たしたグレタは、認めたくない自分の過去……


 奴隷だった事実を振り払おうと、次第に自分よりも立場が低い者へ傲慢に振る舞うようになっていった。


「グレタ……」


 牢屋の格子越しに聞こえてきた声に、グレタは恨みにギラギラと光る鋭い視線を向ける。


「テオドール、この裏切り者!」


 格子の向こう側に佇む青年……グレタの血の繋がらない義理の兄に襲い掛かる勢いで両手を伸ばすが、堅固な格子によってその両手は空を切る。


「グレタ……なぜ義父上を殺した! あんなに愛されていたのに、一体何が不満だったんだ!」


 フランシス・リンドブルク公爵は、テオドールからみても亡き妻に似たグレタを溺愛していたと言うのに……

 

「愛されていた? わたしがどんな問題を起こしても関心すら示さなかったのに? 私は……お父様に愛されていた貴方が憎い」


 絞り出すように告げられた言葉にテオドールが狼狽する。


「お父様は実の娘である私ではなく、お前をリンドブルク公爵家の跡取りに選んだ」


 リンドブルク家は武門の名家で、フランシスは身重の愛妻をひとりリンドブルクの邸に残して、他国からの侵略から国を守る為に遠征せざるを得なかった。


 そして自らの命に代えて娘を産み落とした愛妻の死に立ち会う事も叶わず、悲しむ暇もなく産まれたばかりの娘を、使用人たちに任せて戦場へ戻るしかなかった。


 リンドブルク公爵家に賊が入り、幼いグレタが消息不明になったあの日から、テオドールはフランシスがどれほどグレタを捜し回っていたのか……一緒に捜し続けたから知っている。


「いくらお父様が実の娘だと主張したところで……綺麗なドレスで着飾った所で、奴隷であった証は……消えないのよ!」   


 食いしばる様に……絞り出された言葉は、何年もグレタが心の中で抱え続けてきた闇だ。


「日々、養子にすら見下される奴隷上がりの……平民以下の公爵令嬢(ハリボテれいじょう)と陰口を叩かれる私の気持ちがわかる!? わからないでしょう?」


 テオドールは、辛い虐待ばかりの私生児としての生活から、救い出して義息子として受け入れてくれたフランシスを支えたいと懸命に努力を重ねてきた。


 グレタには話していなかったが、体調を崩し戦地へ赴けなくなったフランシスの代わりにテオドールが戦地へ出征する前日に、フランシスの寝室へと呼び出された。

 

 病床からフランシスはテオドールに、グレタと婚約してリンドブルク公爵家を継いでもらえないかと打診をされたのは事実だ。


 フランシスは……愛娘のグレタを他家に嫁がせるつもりなどさらさらなかった。


「グレタ……だから義父上を殺したのか? 俺に罪を擦り付けてまで」


「殺してないわ! 陛下が父様の為に特別に取り寄せた回復薬を持たせてくださったから飲ませただけよ! 私は……毒薬だなんて知らなかった!」


 ボロボロと涙を流すグレタから目を背け、背後に控えた牢屋番に指示を出して牢屋を開けると、牢屋の中からグレタの身体を引き摺り出した。


「罪人を引き摺り出し断頭台へ連れてゆけ!」


 王都の広場には沢山の民衆が群をなし、長い間自分たちを苦しめてきた王族達が、断頭台へ引き出されてくるのを今か今かと待ち構えていた。


 異様な熱気に包まれた広場に急造された断頭台は、民たちから見やすいように高い場所に設置されている。


 豪雨のように容赦なく降り注ぐ悪意と罵詈雑言。


「罪人を断頭台へ!」


 乱暴に、投げ捨てられるようにして断頭台へ転がる。


 既に何人もの処刑が執行された後なのだろう、屋外であるにも関わらず、咽返る程の血臭が纏わり付く。


 ヌルついた台に首を固定され、ガタガタと恐怖に震える歯を食いしばる。


 唯一の救いは、落ちてくるであろう巨大な刃を見なくて済む事かもしれない。


「グレタ・リンドブルクの処刑を執行する!」


 ………………………………

 

「おら! いつまで寝てやがる! さっさと起きやがれ103番!」


 全身に容赦なく掛けられたのは、まだ雪解け水のために冷たい川の水だ。


 全身を濡らす冷水が体温を奪ってしまったのか、はたまた夢見が悪かったからか、百三番と呼ばれた奴隷の少女は震えが止まらない華奢を通り越して枯れ木のように細い自分の両腕を必死に摩る。


「夢……?」


 思わず触れた細く筋ばった首は、夢の中で首を落とされた感覚が蘇ってくるようだ。


「奴隷ども! さっさと移動しろ!」


 他の奴隷を起こす為に廊下を進んでいった男の声がゆっくりと戻ってくる。


「急いで移動しなきゃ」


 震えて力が入らない両太ももを叱咤して、少女……百三番はほぼ水と変わらない様なスープを貰うために部屋を出た。


「あの夢は……なんだったんだろう」


 夢に見た手とは明らかに大きさが違う自分の傷だらけ、節ばった硬い手のひらを見つめる。


「はっ、早く食事を貰わないと!」


 対処できないことで悩んでいる暇なんて百三番にはないのだから……

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