第7話


 数日後、アグドラへ宣言した通り、ユリシアは昼の休憩時間にリナリアを誘いに教室に出向いた。

 リナリアを呼んだ途端、クラス中が動きを止める。呼ばれたリナリアもまた、みんなと同じような顔をして固まっていた。

「? アックスフォードさーん、ご飯一緒に食べましょう」

「ま、まいりますわ。そのように大きな声を出さないでくださいませ!」

 そう言うリナリアもなかなか大きい声だった。

(……それにしても敬遠されすぎというか……)

 クラスはまだ静まり返っている。言葉を発そうものなら打ち首にでもされるような空気だ。

 じっくりと観察をしていると、少ししてリナリアがやってきた。その頬はどこか赤い。

「あなた、平民の分際でわたくしと昼食を共にしたいなど、身分を分かっていないのかしら。これだから平民は教養がなくて困りますわ。いくら学園内とはいえ、ご自分がどのような立場にあるのかをご理解くださいませ」

 などと言いながらも、リナリアはユリシアを引き連れるように前を歩く。

 最初は平民の感覚に戸惑っていたようだが、話してみればユリシアが案外邪魔にならなかったのだろうか。何にせよ、リナリアの攻略は早く済みそうだ。

 リナリアを落とせば王太子に繋がる情報も得られるだろう。そしてリナリアはこの国の筆頭貴族の娘であるため、家に行くだけでも価値がある。

「そういえばあなた、騎士学を専攻しているのですってね。平民の感覚は分かりませんわ。剣を持つなど、淑女にはあるまじき行為ですのに」

「アックスフォードさんは薬草学でしたっけ」

「ええ、少々興味がございますの。街にアックスフォード御用達の薬屋があるのですけれど、そこの薬が本当に効果が良くって」

「アックスフォードさんも病気になるんですか?」

「まあ、どういう意味かしら。わたくしは病弱ですのよ」

 強く見せているのは虚勢を張っているということか。少しでも弱いところを見せてしまうと、王太子の婚約者、ひいては筆頭貴族の娘として劣ると思われることを危惧しているのだろう。

「小さい頃からご病気なんですか?」

「ええ。ですが、わたくしの大切な方が……」

 そこまで言って、リナリアはハッと口を閉じる。

「? 大切な方? 王太子殿下ですか?」

「……なんでもございません。お忘れになって」

 リナリアは嘘がつけない。おそらく今、何かを誤魔化そうとしたがうまく言葉が見つからなかったのだろう。

 経験上、そういったときの言葉は忘れないほうが良い。ユリシアはリナリアの言葉を忘れないようにと、記憶の中にしっかりと刻む。

「アックスフォードさんも大変なんですね」

「……あら。まるであなたも大変とでも言いたげですわね」

 やってきた中庭には、すでにテーブルが用意されていた。バスケットの中にはサンドイッチがあり、紅茶は淹れたてで、周囲にはアックスフォード家の使用人が数人立っている。

 リナリアは慣れた仕草で用意された椅子に腰掛けた。

「そんなつもりは無かったんですが」

「……そうかしら」

 声はどこか訝しげに、リナリアの目はじっくりとユリシアを探る。

「言葉に少し訛りがありますもの。この国の育ちでないのは明らかですわ」

「少し前までクライバーン公国で暮らしていたんです。入学を機にアルシリウスに移りました」

「あらそう」

 リナリアに怪しまれるような動きをしたつもりはない。疑われているように思えるのが杞憂であれば良いのだが、どこかで何か失態をしてしまっただろうか。

「クライバーンといえば、我が国より貧相なところと認識しておりましたわ。まさか、この学園に入学できるだけの資産をお持ちの平民がいらっしゃるとは」

「それはほら、この学園は”実力主義”だったので」

 奨学金制度を利用したと察したのか、リナリアはそれ以上は何も言わなかった。

 ユリシアは本当はクライバーンの君主にこの学園に送り込まれたから、奨学金制度なんて利用していない。バレるのも時間の問題だが、そこまで調べられるということは逆に怪しまれていると言われているようなものである。

 おそらくリナリアはそこまで調べようとはしない。なぜかそんなふうに思い、ユリシアが焦ることはなかった。

「少し冷えますわね……ちょっとあなた、膝掛けを用意してちょうだい。気が利かないわね。寒くなってきたことが分からない?」

「申し訳ございません」

 リナリアにキツく言われた使用人が、慌ててブランケットを差し出す。リナリアはそれをやや乱暴に奪い取った。

「あなた、もう何年わたくしの側仕えをしておりますの? いつまで経っても使えない子ね。少しはその足りない能を補う努力をしてくださるかしら」

「は、はい」

 リナリアは尚もぶつくさと続ける。その度に使用人は俯き、怯えた様子を見せた。

「ねぇ、アレ」

「またやってる……アックスフォード様、お美しいのに残念よね。ちょっとくらい許してあげてもいいのに。使用人が可哀想だわ」

「無理よ。だってあの方は悪女だもの」

 リナリアに聞こえない程度の声で、ユリシアの背後から悪質な言葉が聞こえた。ユリシアに届いたのは、彼女が常日頃から周囲の動向に目や耳を傾けているからだろう。

 ユリシアが微かに振り向くと、聞こえていると分かったのか数人の女子生徒たちがその場を立ち去る。

 リナリア・アックスフォードは、誰から見ても生粋の悪女だ。彼女の態度、言葉遣い、振る舞いのすべてがそうであると肯定している。

 可哀想に。リナリアはこれからもそうして敬遠され、嫌われ続けていくのだろう。

「そうだわ、ユリシア。あなた騎士学でシオン様と共に授業を受けたと聞きましたわ」

「あ、はい。正確にはウィシュアと一緒に受けていたんですが……」

「あら、わたくしのシオン様があなたと一緒に勉学に励むことを望んだとでもおっしゃりたいのかしら?」

「そうじゃないですよ。分かってるくせに」

 リナリアの言葉には、他の女子生徒たちに対する棘は浮かんでいなかった。分かっている上で言っているのだろうと言い返せば、リナリアはふふんと鼻を鳴らす。

「……まあそうね。なんだかあなたは、異性に興味がなさそうだもの」

「その通りですよ」

「間違えましたわ。異性に、ではなく、他人にかしら」

 少し前に詰めてきたときとは違い、何気なく告げられた。他意はないのだろう。様子を伺うようなユリシアに、リナリアもくすりと微笑む。

「気にしないでちょうだい。あなたのそういうところが楽なのよ。……わたくしのことを悪女とも思っていらっしゃらない。怯えることもない。……すごく楽だわ」

「光栄です」

「ふふ。思ってもいないくせに」

 そう言いながらも、リナリアはどこか嬉しそうだった。

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