第6話


 授業が終わると、シオンが速やかに席を立つ。ウィシュアとユリシアににこやかに挨拶をし、そそくさと教室を去った。

 シオンは婚約者を大切にしている。ユリシアと居ることで誤解をされたくないのかもしれない。なにせ相手はあのリナリア・アックスフォードだ。少し会話をしただけで相手を蹴散らす猛者である。シオンの軽率な行動が可哀想な被害者を生むことになると思えば、納得のいく行動である。

 シオンが居なくなると、ウィシュアもすぐさま席を立つ。ユリシアと二人で居ても話すこともないのだろう。あからさまな態度ではあったが、ユリシアがすかさず呼び止めた。

「ウィシュア、待ってよ。私も戻る」

「……一緒に戻らなくてもいいだろ」

「どうして? 一緒に行こうよ」

 やや驚いた表情でウィシュアが振り返る。しかしすぐに平静を装うように前を向き、教材を引っ掴んだ。

「……クランに近づきたいならオレに言っても無駄だぞ。あいつはそうやって近づいてくる女が嫌いなんだ」

「別にクランには興味ないよ。ウィシュアとお友達になりたいの」

 ウィシュアはやはりユリシアを見なかったが、耳が赤くなっているから作戦は幸先の良いスタートを切ったということだろう。

(この国の人、チョロい人しかいないのかも)

 リナリアといいウィシュアといい、まだ十三歳ということもあり、騙されることにまったく免疫がない。騙されるという可能性がそもそも頭に浮かんでいないのかもしれない。

 密偵は警戒するくせにそういったガードは甘いのかと、ユリシアは笑ってしまいそうだった。

「次の騎士学も一緒に受けようね」

 次は実技のオリエンテーションである。

 にこやかなユリシアに対し、ウィシュアは終始渋顔だったが、耳だけはずっと赤く染まっていた。


「騎士学、どうだった?」

 ユリシアが教室に戻ると、先にアグドラが席に着いていた。クラスメイトたちも専攻科目の話で盛り上がっている。ユリシアはアグドラに見守られながら椅子に座り、教科書を片付ける。

「どうって……普通だった。次は実技のオリエンテーションだって。薬草学はどうだったの?」

「…………眠たかったな」

「なにそれ?」

 授業の内容が「眠たかった」とは、アグドラが豪胆なのか、はたまた変わり者なのか。不真面目ではないと知っているだけに、ユリシアにとっては不思議な返答である。

「……そういえばさっきウィシュア・ストレイグと居たが、仲良くなったのか?」

「ん? うん。今日の授業、一緒に受けてたの」

「珍しいな。ウィシュア・ストレイグが兄以外と居るところはあまり見ないが」

「嫌がられてはいたけどね。私が勝手に一緒に居ただけ」

 ユリシアは自身を観察するアグドラの目に、ことりと一つ首を傾げる。

「なに?」

「なにも」

「シウォンくんてほんとつまんないよね。言いたいことの半分も言わない感じ」

「それの何がつまらないんだよ」

「会話続かないじゃん。無駄な時間過ごしてるなって思う」

「ああ、俺も思う」

 けれどもユリシアにとってはその「無駄な時間」が存外救いであったりもする。だから止めないのだが、それだけは絶対に言ってはやらない。

「でも無駄なことが必要だと思えるときもあるだろ?」

「あるね。ああそっか、シウォンくんもたまには無駄なことしたいよねえ」

「…………おまえは本当に、時折素晴らしく鋭いことを言うな」

 何が鋭いものか。アグドラは気付いていないのかもしれないが、ユリシアはもうアグドラが誰かの雇った密偵であることを知っている。

「そうだ。薬草学の授業のとき、リナリア・アックスフォードがおまえとまた昼食をとりたいと言っていた。よくあんなのに気に入られたな」

「あんなのって……」

「噂は知ってるだろ?」

「噂はね。でもアックスフォードさん、間違ったことは言ってないよ。言葉を選んでないだけっていうか……申し訳ないけど、言われてる女の子たちに原因があるのは本当だしね」

 さらりとリナリアと話していたという暴露をされたユリシアは、「そういうところが詰めが甘いんだよ」とは言わなかった。ユリシアでなければスルーされず気まずい空気になるのだろう。

「なるほど、気に入られるわけだ」

「でもそっか、ご飯食べたいって言ってくれてるんなら、今度お昼誘いに行ってみようかな」

「教室で食べないのか?」

「アックスフォードさん、天気が良い日は外に出るんだと思う。この間もそうだったし」

「……単に、教室に居ることが苦痛なんじゃないか? あんな性格でろくな噂もない。友人も居ないようだしな」

 アグドラは感情の読めない表情を浮かべていたが、ユリシアの視線に気付くと「なんだよ」と訝しげに眉を寄せた。

 アグドラの態度にかすかに違和感を覚えた。どこか信頼を感じるそれが、雇用主に対するものには思えなかったからだ。

 もしかしたらアグドラは、リナリアに雇用主以上の感情を抱いているのだろうか。

(いいね、青春っぽい。立場を超えたロマンスってやつ?)

 恋情であれ別のものであれ、雇用主に踏み込んだ感情を抱くことは良いことではない。アグドラはつくづく密偵に向いていないなと、ユリシアは出来の悪い弟を心配する姉のような気持ちだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る