第2話
ユリシアとアグドラは同じクラスだった。
二人は教室に着くまで何かと言い合いをしていたからか、入学式で緊張した雰囲気には少々目立っている。アグドラが目立つ容姿をしているということもあるのだろう。ユリシアは興味もなくて触れなかったが、アグドラは将来有望な美少年だ。金髪碧眼で風貌は美しく、ユリシアはひ弱だと思ったが、スタイルが悪いわけではない。その証拠に、男女問わずアグドラを見て頬を染めている。
しかしユリシアにはアグドラの容姿など関係がないものだから、席も前後と近かったこともあり、結局座ってからも言い合いは続いた。
「おまえの礼儀のなさには呆れるな。いいか、二度と俺が小さいとは口に出すなよ」
「ずっと引っ張って言い続けてるのはそっちなのに」
「あのなあ……!」
アグドラが噛みつこうとしたところで、教室が突然ざわめいた。クラス中の目が廊下を歩く人物に釘付けである。そちらに目を移したユリシアは、しっかりとその光景を焼き付ける。
王太子であるシオン・アルフォンス・アルシリウスが、婚約者であるリナリア・アックスフォードと共に歩いていた。
容姿はすでに確認済みだ。ユリシアはその二人のターゲットに真っ先に取り入ることに決めていた。
「……おい、どうした?」
廊下を見て動かなくなったユリシアをおかしいと思ったのか、アグドラが訝しげな声を出す。アグドラは王太子に興味もないらしく、そちらをちらりと見て終わった。
「王太子様はやっぱり格好いいなって思って」
「……なんだおまえ、ああいうのが好みなのか?」
「え、女の子はみんな好きなんじゃない? 王子様系っていうの? 穏やかで大人っぽくて、優しくて誠実で、」
「女はすぐに理想を押し付けるな」
「婚約者を大切にしてる人が誠実じゃないわけないでしょ。……あ、そっか。シウォンくんは王太子様の身長が高いから面白くないんだ」
図星だったのか、アグドラは悔しそうに眉を揺らしたが、何かを言い返してくることはなかった。
ユリシアにとって、アグドラは「自身が怪しく見えないための宿り木」だ。誰かと共にあることで、年相応の子どもに見られるだろう。おそらく同業である彼と出会えたのはとんだ僥倖だった。アグドラにとってもそうなるだろうと踏んで、ユリシアは一人、心の中で共闘することを誓った。
しかしアグドラは、ユリシアの想像を遥かに超えて、あまりにも密偵行為に慣れていない。密偵は誰かと親密になるべきではない。それというのに、授業の合間には絶対に振り返ってユリシアにちょっかいをかけるし、お昼ご飯も共にとるほどである。
そして、何回かに一回の休憩時間には、アグドラはそそくさとどこかに消える。ユリシアには何も言わない。休み時間の間中戻ってこないこともある。彼の雇い主に何かの報告でもしているのだろう。戻ってきても何も言わないから、ユリシアも何も聞かなかった。
「専攻科目、何にするか決めたのか?」
とある休憩時間、やはり振り返ったアグドラが問いかけた。興味もないくせによく聞くなと、ユリシアにはそのちぐはぐさが少し面白い。つい笑ってしまったのだが、アグドラは気付かなかったようだ。
「うん。騎士学にしようかなって」
「騎士学……? 座学はともかく、あれは実技もあるんだぞ? 女子生徒のほとんどが薬草学やら魔術師学やらを選ぶ中でおまえ……」
「一番合理的だと思うよ。実践的だし。身につける知識を選ぶなら、騎士学が一番じゃない?」
ユリシアは薬草学にも魔術師学にも興味はない。「素質持ち」でもないため、少なくとも魔術師学は選択できなかった。
――魔術には「素質」が必要だ。詠唱やら魔術陣やらで自然と調和し、魔術を展開する。「魔力持ち」と呼ばれる魔法を使う者も居るが、こちらは数える程度のものだ。とはいえ「素質持ち」も相対的に見ればまだまだ少ない。ちなみに、魔術をもっとも極めているのが神官長とされている。
「……怪我をするぞ?」
「シウォンくん、怪我が怖いの? 可愛いこと言うね」
「俺の話じゃないだろ。……はぁ。おまえと話しているとペースが狂う」
「たまにはいいんじゃない? 気を抜くことも必要だよ」
「気を抜く?」
「そう、気を抜く」
ユリシアたちのような存在は常に気を張っているから、特に上手に気を抜かなければストレスにもなる。ユリシアはお姉さん的な立場として遠回しに助言をした。
しかし、アグドラにはどう伝わったのか。
考えるように眉を寄せ、小さく「気を抜く……」とつぶやく。
「……俺には『気を抜く』ということがよく分からないんだが……あまりしたこともなくてな」
「だろうね」
真面目そうだし、ガス抜き下手そうだもんね。
ユリシアは続く言葉をのみこんだ。アグドラが意外そうに目をまん丸にしていたからだ。
「俺が、気を抜けない人間であると?」
「え? なに? なんで分かったかって? なんていうか、全部に全力でぶつかってそうだったから……できる人っていい意味で上手なサボり方を知ってる人だと思うんだけど、シウォンくんは真逆そうだよね」
「? そうではなく……いや、そうか。俺はそう見えるのか……」
腑に落ちない顔をしたアグドラは、それでも言われたことを理解してさらに唸る。
「おい。今俺ができない人間だと言ったのか」
「バレたか」
「おまえは……!」
何かを言いかけたアグドラは、しかしすぐに口を閉じる。何を言っても無駄と踏んだのだろう。入学してから早二週間。ユリシアがどのような人間かを見定めるには充分である。
「シウォンくんは専攻決めた?」
「俺は薬草学だな」
「怪我するから?」
「断じて違う」
よほど屈辱的だったのか、アグドラはまたしても不機嫌そうに顔を歪めた。
ユリシアの言葉に他意はない。アグドラのターゲットが薬草学に居るのだろうと予想をつけただけだから、何も本気でアグドラが怯えたと思ったわけではなかった。
「次は移動だ、早く行くぞ」
「移動ばっかりなのにどうして教室があるんだろうね」
「知るか。気にしたこともない」
「シウォンくんてつまんないよねえ」
「なんだと?」
クラスメイトたちも各々の教室へと移動を始めたようで、ユリシアたちが出る頃には、教室には生徒がちらほらと残っているだけだった。
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