スパイのお仕事

ヒラギノ セツ

第1章

第1話


 大国、アルシリウスには有名な学園がある。

 その学園が掲げるのは”平等”である。学園内では身分など関係がない。実力主義なため、知識や学力など、何かに秀でた者であれば誰でも入学ができる場所だ。ただし、入学条件は非常に厳しい。この学園は入学をするだけで箔が付くと言われるだけあって、ハイレベルな試験や面接を乗り越えた者のみしか通学が許されない。

 アルシリウスの次代を生みだす機関。ここには、権力を持つ者の子らも多く通っている。

「……良いか、ユリシア。おまえはこの学園に通う権利を得た。アルシリウスの王太子も、おまえと同じ時期に通うことになるだろう」

 とある一室で、ユリシアは静かに男の話を聞いていた。

 ユリシアはまだ十六歳の少女である。しかしその雰囲気は落ち着いていて、男の話に動じることはない。腰ほどまでの黒髪と、切り揃えられた前髪から覗く翡翠の目が印象的だった。

 男は左脚を引きずりながら歩み寄り、ユリシアに一枚の写真を差し出す。

「それが王太子だ。……分かるな。アルシリウスの次代の要であるこの男に近づきなさい。内部から崩す」

「……分かりました」

「それが出来ない限りは国へ戻ることは許さない。生涯をかけ、この任務に挑みなさい」

 ユリシアはちらりと男を一瞥したが、特に興味もなさそうに「分かりました」ともう一度つぶやいた。

 

     *


 十六歳のユリシアは、名門、王立クラングラン学園の門をくぐってすぐ、これから七年間を過ごす学び舎を興味なさげに見上げた。

 ユリシアに課せられたのは、この学園に通う身分の高い人物に近づき情報を抜き取ることである。その情報の範囲は限られていない。大きなことから小さなことまで、とにかくなんでもいいから流すようにとのことだ。

 コンタクトは頻繁には取らない。期間も設けず、有益な情報が得られるまで。住居の提供もあり、生活費の補助もある。これまでの仕事のスタイルとは違いあまりに緩いため、ユリシアは始まる前からやや不安だった。

(……まあ、言われたことをこなすだけだけど)

 事前情報によると、この学園には王太子をはじめ、宰相の息子である双子や、陸軍元帥の息子、神官長の親戚も通うことになっているらしい。ユリシアにとってはやりやすいことこの上ない。餌がすべて同じ学園にいてくれるのなら、早い段階ですべてを終わらせられる可能性もある。

 ユリシアは冷静に一歩を踏み出した。

 すると、少し先に不審な動きをする男子生徒を見つけた。制服が新しい。ユリシアと同じ新入生だろう。男子生徒は少し歩いては立ち止まり、少し歩いては立ち止まり……挙句悩むように頭を抱えては足を引く始末。そんなにもためらうようなことがあるのだろうか。雰囲気からは何も分からないが、もしかしたらユリシアのように何処かから送り込まれた刺客なのかもしれない。この要人の子らが集まる学園にそういった存在が多いのは当たり前である。

 同じ穴のムジナか。

 察して、ユリシアは男子生徒に歩み寄る。

「ちょっとそこの怪しいきみ」

「う、わあ! なんだ!」

 背後から近寄ったユリシアを振り払うように、男子生徒が腕を振った。

 微かにユリシアの頬をかすめる。静電気が発生したが、気にしたのは男子生徒だけだった。

「っと、あぶな。きみ怪しすぎるよ。もっと普通にしてないと」

「……あ、怪しい? 俺が? 馬鹿を言うな、俺のどこが怪しいんだ」

「え……全部」

「良い医者を教えてやろうか?」

 周囲も彼を遠巻きに見ていたのだが、本人だけは気付いていないらしい。潜入の仕事は初めてなのだろうか。慣れていないというのに危険な橋を渡らされて……ユリシアはいっそ涙が出そうだ。

「何を泣きそうな顔をしている」

「きみがあまりにかわいそうで……」

「俺のどこがかわいそうなんだ」

「んー……全部」

「……俺が?」

 彼はやはり渋い顔をしていた。

「新入生だよね? 私もだから一緒に行こう。きみ一人で居るとあまりに怪しいよ」

「さっきから怪しい怪しいと失礼なやつだな……」

「だってこの学園、王太子様も通うんでしょ? あんまり怪しい動きをしてると目立つよ。大人しくしてないと」

 ユリシアが歩き出すと、彼も一歩遅れてそれに続く。

「……そうだな。王太子も通うもんな」

「そうそう。ところできみ、名前は?」

「知りたいならそちらが名乗れ。さっきから失礼だぞ」

「あ、そっか。そうだったね。私はユリシア・ユーフェミリア」

「……俺はアグドラ・シウォンだ」

「シウォンくんね。……シウォンくん、ちゃんと食べてる? 細すぎない?」

 潜入を任せるにはあまりにもひ弱で頼りない見た目だ。顔はすこぶる良いが、ハニートラップでもない限りは関係がない。腕前を買われたのだろうか。

 ユリシアからすれば心配をしての言葉だったのだが、彼にとっては違ったらしい。男のプライドを傷つけたらしく、馬鹿にされたと思ったアグドラは不愉快を隠さず眉を寄せた。

「そうやって調子に乗っていられるのも今のうちだからな……あと五年もすればおまえを見下ろすほどになる」

「よく分からないけど……あと五年ね。それまで私がここに居たらぜひ見下ろしてよ」

「? 何処かに行くのか?」

「いや? わからないけど」

「なんだそれは」

 ユリシアは笑うこともなく淡々と言葉を吐き出すだけで、感情がいまいち掴めない。アグドラはやはり眉を寄せ、ひとまずユリシアの後を追った。

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