#10 -2



「疲れてない?もう2時間半も動きっぱなしだろうけど」


 待ちに待ったゴール目掛けて我武者羅に走る少年の横顔に、画面越しに語りかけてくれる優しい声。直接の関わりはまだ比較的少ないものの、ルーシーは個性豊かな組織の人員の中でも一際他者への慈しみが深いということは聞いていた。


「ありがとよ、でもまだまだぁっ!!」


 恩人との対峙から熱が冷めず不安定だったニロは、たった一言の気遣いによって笑顔を取り戻した。

 そして彼女を決して失望させまいと、既に速かったペースを更に加速させた。


「おい待てニ・・・もう!!」


「ふふふ、元気でいいわね」


 見る見る距離を離して行くニロを引き留めようとするも追いつかないタロー、2人の様子を眺めて微笑むルーシー。ヤマト達との急な分離に戸惑い警戒心を強めていた彼女らだったが、この場をもって雰囲気は和んだ。

 アジトへの帰途に入ったことに気付き、自身の仕事の終わりが近付いていることにニロは口角を上げていた。そして知っている建物が幾つも見えて来る中で、胸騒ぎが徐々に音量を上げて行った。

 薄汚れた階段を駆け下り扉に手を掛けた。しかし、そこで彼が見たものは。


「話せルナ!!俺達はここで争うべきじゃない、お互い敵は同じなはずだろ!!!」


 軽快に見送ってくれたケイトの姿が、扉の前でまた帰還を出迎えてくれるものだと思っていた。

 目の前の現実で彼女は何者かに馬乗りにされており、その後ろ姿は明らかに保安官制服を着た何者かであった。


「ケイト!!!」


 予想外の敵の襲来に声は抑えられなかった。慎重な彼らがアジトへの足跡を保安局に知らせてしまう筈が無く、場所が既に特定されていたとしてもこの機に襲撃されるなんて想像もしてなかった。

 敵はアジトの待機が1人になるのを把握していたのか、それとも偶然そうなっただけなのか。どちらにせよ、このまま思い通りにさせて無事に帰らせるわけにはいかないと、瞬時に判断したニロであった。

 助けてくれたケイトを今度は自分が助ける番だと、その恩返しを強く願った。


(この声は・・・!?!?)


 首を絞められ必死の思いでルナに要求していたオリバーだったが、背後に現れた彼女の仲間の帰還を知らせる合図に気を取られる。しかしその音の波形は、日頃よく聞いていたあの声と恐ろしいほどに合致していた。

 まさかと思って振り返ったその時、見覚えのある高さの背丈の仮面を被った者が、こちらに突進して右足を突き出す準備に入っていた。


(待ってニロ!彼は君の・・・)


 彼の足が振り上げられる様子を見て叫んだつもりだったが、その叫びは音を成さず、ケイトの心の中だけに留まってしまった。

 数秒後、彼女の右手とオリバーの首で繋がっていた2人の体は大きく突き飛ばされ、彼女の左手にあった瓶は支えを失っていた。


(クソっ!!!)


 直前で僅かな希望を取り戻したばかりなのに、劇薬入りの瓶が振り上げられた様子を眺めて、オリバーは歪な体勢で宙を舞いながら歯を食いしばった。

 瓶の中身を知らぬニロ以外の2人が絶望を表情に浮かべるのも束の間、それまでやり取りの主導権を意味していた硝子の器は床に砕け散り、中から液体が溢れ出した。

 忽ち上り詰めて来る煙、その表面積は見る見る拡大の一途を辿り、部屋の全てを覆い尽くす勢いに達していた。


(は?なんだこれ・・・もしかしてオレ、やっちまった・・・??)


 蹴り飛ばした保安官の顔を確認することも叶わず、鼻腔から侵入した謎の成分によって咳が止まらず、状況が何一つ読めていなかったニロ。しかし自分の行動が起因してこの結果があり、更に良くない事態に発展していそうな雰囲気があった。

 煙の勢いに負けて仮面を外し大いにくしゃみをしたが、心に伸し掛った重圧は異物のようには吹き飛ばせなかった。

 同じく咳を続けていたオリバーだったが、左腕で口を覆いながら、声の正体を一目見ようと煙を右手で掻き分けた。予感が的中していたことを悟り、中毒死を覚悟して大きく口を開いた。


「ニロ!!!」


 必死で煙から身を守る努力をしていたが、耳に馴染んだ声で呼ばれた自分の名前に驚きを隠せなかった。

 引き寄せられる絆のままに煙を無視して前方に突き進んだところ、なんとか体勢を取り戻しつつあるケイトの後ろに、普段は厳しく少し煩わしい存在だと思っていたが、いざと言う時に大いに頼りになるその姿が見えた。


「オリバー!?!?」


 その瞬間は驚きを通り越して唖然としていた。作戦前にもしもの場合について話した覚えはあったが、こんな形でそれが実現するとは。それも謎の物質に生き死にを支配されているかもしれないこんな状況で。

 再会に対する喜びも感動も未だ感じられないまま、ニロの足は一歩一歩オリバーの元へ近付いて行く。しかしそんな中で、オリバーは別のとあることにまず目を向けるのだった。


「・・・あれ、止まった」


 気が付けば煙はうっすらと消え去り、自分達の咳の発作は終わっているようであった。

 劇薬と恐れられていたあの液体は単なる突発性の薬品に過ぎず、ここまで時間を稼ぐための脅し文句にしか過ぎなかったということらしい。つまらない手に騙されてしまった。

 トリックが暴かれ仕事を終えたケイトは、死んだ振りで下を向いていたところで徐々に笑い声を上げて行き、顔を振り上げた時にはその笑顔は天晴であった。


「アーーッハッハッハッ!!ドッキリ大成こーーーう!!」


 あくまで保安局と敵対している事実を演出する為、ニロの言う"仲間"との接触があっても、事態が次のステージに進展する寸前まで闇を演じるようにと、ニロの提言からヤマトが加えた新たな作戦を大いに実行していただけなのだった。

 またしても演技の才能を発揮して満足に耽っていたケイトは、大志抱いた少年のような朗らかな表情を見せるのだった。

 敵対していた謎多き女が見せた素の顔にただただ困惑するオリバー。キョロキョロと目線を慌ただしく動かす彼に、ニロは苦笑いを送って宥めた。と言うのも彼もつい先程まで仲間とバッタリ出会ってしまった時の対処法を忘れ去っていた訳だが。

 緊迫した雰囲気が打ち解けた中、全開だった扉の周りにはいつしか人集りが出来上がっていた。


「騒がしいな」


 先程並走していたタローとルーシーに加え、1度別行動となっていたリビアとテト、そしてヤマトも合流して戻って来ていたのだ。

 急な隊分離に一時は一気に不安に襲われたが、彼らへの信頼感が成就して無事な姿を再び見ることが出来た。

 しかし彼らの背後には計画関係者に加わっていない格好の2人が感じられた。少し覗き込んでみると保安官制服を着用しており、何やら2人とも両手を縛られているようだ。

 そしてその素顔が映った時には、度重なる衝撃に心が破裂しそうになった。


「トチにミナミ!?!?なんでお前らヤマト達と・・・!!」


「・・・ニロ!」


「ニロ君・・・」


 入れ違いでケイトと対峙していたオリバーに加え、分離したヤマト達はこの2人と接触していたらしい。

 しかしこうも都合よく、それもここ数ヶ月で1番忙しかったこの日に班の全員が揃うことなどあるのだろうか。

 いや、彼ら"仲間"達との約束に込められた絆が、この広い宇宙の片隅に引き寄せられるような化学反応を起こしていただけなのかもしれない。


「まさか留守中に入られてるとはな・・・まあいい、一先ずお前ら3人は俺と圧迫面接だ。一応ニロとの情報共有は禁止にしておく」


 敵対勢力を意味する保安官制服がもう1人分突っ立っていることに少々狼狽えながらも、ヤマトは状況を冷静に掴み取って指示を出した。お得意のあれに関しては圧迫面接の自覚はあるらしい。

 待ちかねた仲間との再会を喜ぶ暇は僅かであり、トチとミナミは拘束のまま渋々ヤマトの背に着いて行った。警戒心を解き切ったばかりのオリバーも、リビアとテトに肩を強く掴まれて眉をしかめた。

 アジトの奥へと足を進める中で、彼らは少し振り返ってニロに目線を送った。


(大丈夫だ、きっと信じてもらえる・・・!)


 これから訪れる未来に少しの不安を抱いているような目つきを見て、彼は心の中で呟いた。

 ヤマトが拷問官のような真似をしないことは分かり切っているが、それでも立場上あれこれと答えたくない質問が来るのは間違いないだろう。

 それでも3人が誰よりも素直で正直なことは1年間共に過ごしてきた自分が1番分かってることであり、何事も無く終わる可能性の方が高い。

 しかしそれでも尚、また離れ離れにされてしまう現状には、瞳がうるうると歪んでしまうのだった。


「良い子じゃん。3人とも君みたいに目が澄んでた」


 激動を次々と乗り越えたばかりの疲れ切ったニロの背中を悟り、大笑いから平生に戻ったケイトは優しく囁いた。

 自分はずっと抱いていた彼らの好印象だったが、先程まであのうちの1人と銃口を向き合っていた筈の彼女の目にさえ、そのオーラは覆ることはなかったようだ。

 私利私欲と偏見差別が混じり合うこの社会の中でも、オレの仲間達はずっと輝き続けている。


「・・・だろ、一緒に夢を見つけて叶えるって約束したんだ」


 宇宙の謎が一つ残らず解決される未来は程遠く、バッツに想いを託された日から何一つ進歩していないようにも思える。

 しかし違う心を持つ人々とぶつかり合い、願いは違えど思いを寄せて一丸となり、時にまた別の人々と激しく衝突し、そうしてこの数ヶ月で吸収していった多くのものは、無力無知だった少年に小さな一歩を、されど大きな一歩を踏み出す機会を与えた。

 人生の中で最も濃度の高い時間を過ごし、恐怖や後悔が無いとは言い切れない現状だが、それでも自分で選んだ道で、自分が信じ抜いた数々の触媒達と共に、"爪痕"を残す日は近いのかもしれないと、僅かに希望を描けた。

 そんな経験の重さを深く噛み締めていると、1日で使い切ったエナジーの代償として疲労感が一気に押し寄せ、ニロは倒れ込むようにしてそのままソファに寝転がった。鼾が確認出来るまでは数秒と無かった。


「とんでもないもん連れて来るんじゃないよ、バッツ」


 仲間が作戦の後片付けに向かう中、ケイトは豪快に眠り込んだニロのあどけない寝顔を眺めて静かに呟いた。

 彼が死と引き換えに自分達に渡そうとしたものがこの情熱と信念の種なのだとすれば、置き土産にしては重すぎるものだった。咲かせ方も飾り方も知らない自分達は、この煌びやかな星の化身とどう向き合えばいいのかさっぱりだ。例えそう切実に訴え続けても、どうせ君はやれるとこまでやってみろなどと無責任な言葉を飛ばして来るのだろう。

 亡き友人に思いを馳せながら、彼女も一気に眠気を感じてしまった。ニロが占領するソファの端に頭をずっしりと載せ、そのまま夢の世界に入る準備を始めた。

 しかし、脱力した右手が触れた左脇腹が小さな悲鳴を上げ、ある大事なことを思い出したのだった。


「・・・あ、のこといつ言おっかな」






 アジト最奥の薄暗い空間で、目の前に3人の少年少女が壁に拘束されながら、男は佇んでいた。


(案外従順じゃねぇか)


 危険性を最小限に抑える為、捕虜の如く捕らえたこの保安官達に様々な問いを投げかけ、その結果から判断して処罰を検討しようと考えていたヤマトだったが、思いの外彼らが素直に返答してくれて心外だった。

 純粋の塊であるニロが率いていた仲間達なのだから、敵対している相手にも嘘一つ零していなさそうな姿勢にそこまで違和感は無かった。

 しかし、彼らの基本情報に落とし穴は無さそうだと言えたとしても、まだ懸念点が残っていることを思い出した。


「そう言えばそのイーグルなんたらってやつ、位置情報も筒抜けらしいじゃねぇか。ここの座標も漏れてるってことか?」


 自分達が情報共有用に採用した手作りトランシーバーの完全な上位互換で、それ以外にも防護目的で使用されるというイーグルスアイ。

 内通者だったケイトからの密告によれば、保安官の現在地は常にそのシステムに監視されており、電源のオンオフ問わず続けられるんだとか。

 彼らの班員は全てここに集っているので恐れることは無いが、それが敵の本丸である上層部に確認されるとなると事態は急変せざるを得ない。


「幸いこの辺りは保安局の電波は通ってないからその心配は無さそうね」


 するとトチが返答。貧困層のコミュニティが形成されているこの町は行政区外であり、政府による各種インフラは何一つ整備されていない。よってイーグルスアイの高度な機能に必要とされる複雑な電波は無く、そのシステムは働くことが無いそうだ。

 これを聞いてホッと一息つくヤマト。縛られていた3人は尋問中の彼の表情を何よりも冷たいものと認識していた為、人間らしい一面に少し心惹かれるのだった。

 しかし、これは彼の思考の中から最優先の回避すべき事項が姿を消しただけであり、他の不安が未だ腰を下ろしたままであった。


(あと危惧すべきなのはこのトチとかいう女の端末にニロの記録がまだ残ってたことか・・・。やっぱり情報制御室なんて嘘っぱちで、本当はもっと内部で管理してたんじゃねぇのか・・・?)


 ニロから新たな作戦の草案を告げられた時、そのような都合のいい話が本当にあるのかと内心では疑っていたが、第一の目的である保安局に混乱を巻き起こすことが達成出来る内容であることと、追い詰められた彼らに焦りの選択肢しか残されていなかったことから、その条件を呑む他に何も見つからなかった。

 しかし後になって考えてみれば、この宇宙で最も重要なものの一つである国家機関の機密情報を、民間が突破できる程の体制で保管などするだろうか。仮に重大な事案が発生してその対処に多くの人材が割かれたとして、機密情報の警備に1人として残らず去っても良いのだろうか。

 そもそも一般の保安官にその存在が知れ渡っている時点で疑的極まりないし、何より情報の抹消や奪取を目論んでいたのは我々だけではない筈。

 外部からの攻撃によって保安局の情報が漏洩した事例は数件だけ耳にしたことがあるが、そのどれもが取るに足らない規模に過ぎず、連中は短期間で名誉を回復していた。

 では奴らは、我々がこのような突発的な行動に出ることを見越して、我々が無駄に動くように仕向けていたということなのか・・・?

 考えれば考えるほどに、自信満々に考案した0141作戦の抜け穴の多さや、もう少しだけでも現実的に考えられなかった過去の自分への自責、保安局の守りの堅さから考えられる筈だった反例の存在など、悔しさ募る言葉ばかりが脳内で拡がって行った。

 ヤマトが自分達の蚊帳の外で思考し続ける中、オリバーは尋問の緊張感のまま黙りこくっていた。自分を挟んで左右に縛られたままのトチとミナミも、苦しそうに口を閉じたままだった。

 すると、両目と尋問官の真剣な顔つきとの間を隔てていたイーグルスアイの透明なゴーグルの、その殺風景なデスクトップの右上に、通達の到着を知らせる動きが見えた。


「・・・おい、マジかよ」


 軽い気持ちで開いてみたものの、その書面は驚かざるを得ない容貌を見せていた。彼の率直な反応で通達の存在に気付いた後の2人も、それを開いては言葉を失った。


「どうしたんだ」


 常に顎を手に置いて考えていたヤマトは、彼らの様子が一変していたことに暫く経って気が付いた。

 敵には知られたくないであろう深部の情報を問うた時にも表情を変えなかった彼らが、余りに呆気に取られて画面を見詰めていたのだ。気にならないわけがない。

 想像していたものと違っていたキャサリン・ルナの人物像や、彼らが自分達と同等レベルにニロを想っていることが見て取れたアジトの雰囲気から、オリバーは組織の行動に否定的にはなりたくないと思っていた。

 しかし訪れた現実は彼らを更に追い詰めるものであり、ここまで包み隠さず話して来たのだから、未来に戦きながらも伝えない選択肢はなかった。


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