第3話
天帝に婿として見出されたために、彦星は家族と引き離されて、天界で今までとは違う生活を強いられることになった。
かわいそう。
当初の彦星に対する織姫の感情は、同情の一点であり、夫婦となっても形だけになるだろうと想像していた。
だから戸惑ったのだ。
『これが、これからあなたが着る服です。普段着、作業着、寝巻……下着は後で届けますので』
織姫は神々の衣服を織る職務についている。
婿となった彦星の服も、当然、織姫の手作りだ。
手渡された彦星は目を白黒させながら、渡された服と織姫を交互に見て口を開く。
『こんなすごい服を、貴女は毎日織っているのですか? この世に住んでいる神様すべてに?』
なぜ、彦星が驚いているのか不思議だった。
肯定の意味で首を縦に振ると、ますます驚いて手渡された服をぎゅっと抱きしめる。
『ありがとうこざいます。これから大切に使わせていただきます。ですので、手入れの仕方を教えてください』
『え、えっと……』
彦星に服を抱きしめられた時、まるで自分をまるごと抱きしめられたような気持ちになった。大切に使いたいという言葉に、胸の奥から震えるような感覚が走り、服を織りあげた時の達成感とは違う、蕩けるような甘い痛みが染料のように全身に染み渡っていった。
彦星は言葉通りに、織姫の服を大切に着てくれた。作業着の汚れた部分は、丁寧に染み抜きをした努力が見受けられ、食べカスがつかないように首元や膝布巾を置き、服はいつも丁寧に折りたたんでくれた。
それがなんだかとてもうれしくて。織姫自身ではないのに、彦星に大切にされているような、特別な存在に自分がなれた気がしたのだ。
「なんだか、オレが言うのもおかしいかもしれないけど、一度オレの寝巻を着て寝てみてくれないかい? 織姫の今着ている寝巻は、寝心地がすごく悪いと思う。体に良くないよ」
と、彦星にお願いされた。
なにも考えずに彦星の寝巻を着て
この時になって織姫は、初めて自分の織った服に対して、意識を持ち始めた。
――これが、わたしの織った服。
それが当たり前の光景だったのに、自分の服を身にまとった神々は、織姫の服をぞんざいに扱っているように見えた。汚れとほつれが嫌でも目に入り、色を指定して新しい服を着たいと強請る神、一方であっさりと織姫が織った服を捨てる神に怒りを覚えて拒絶するようになった。
『わたしはもう、必要最低限の服しか織らない』
織姫は宣言した。
彼女は天帝の娘だ。しかも
織姫は天帝の目論見通りに、自分を大切にするようになった。だがその一方で、彼女はまるで人間のように彦星に執着し、父である天帝よりも彦星に向けて上等な服を織るようになってしまった。
織るとしたら、彦星の服をずっと織り続けたい。
そして彼が牛よりも自分を目で追うように、魅惑的な服を作って自身を着飾りたい。
だから、
『オレは、貴女が好きなんだ。改めて、オレのお嫁さんになって下さい』
あの日、彦星が意を決して告白した時、織姫は涙が出るほどうれしかったことを覚えている。
世界に色が差した気がして、鮮やかな布地が広がるように、彼に対する気持ちが溢れ出した。
織姫は、あの瞬間を、真っすぐに彼女を見る彦星の瞳の強さを、永遠に忘れることはないだろう。
浮かれて黒歴史を量産したことも、彼女にとっては良い思い出であり、身勝手なのは承知だと思うが、周囲を顧みないゲロアマバカップルの日々に、また戻りたいと思ってしまう。
お互いの目をハートマークにして、毎日ラブライフ状態で、仕事そっちのけて身も心も充実させていた――あの日々を。
「彦星さん。わたしはあなたを愛しています」
「うん、知っている。だから、こんなやり方になってしまってごめんな」
「いいえ、謝らないでください。わたしは嬉しいのですから。ですから、連れて行ってください。もう二度と離れるなんてごめんです」
「――っ、反則じゃないか。そんな嬉しいことを言われたら、オレだって貴女をずっと」
彦星が言い終わらないうちに、織姫は彦星の抱きしめて、そのまま彼の分厚い唇を塞ぐ。彦星も織姫の小さな背中に手をまわし、身体を密着させて口づけを深くすると、織姫は脱力したように恋人に体をあずけて、口づけの合間に甘い息を吐いた。
「足りません。七夕の一日だけじゃ、ずっとずっと足りませんでした」
織姫は必死に、自分の気持ちを彦星へ伝えようとした。
どんなに自分がこの男を必要としているか、どんなに自分が彦星の存在に救われてきたのかも。
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