第4話 ファン

ふーちゃんが死んだ。僕の女神様で生きがいだったふうちゃんが死んだ。


机下で画面をスクロールし、ふうちゃんが死んでしまったというニュースを穴が開くほど見る。机上では、意味もない議論が延々と続いていた。


どうして。どうしてふうちゃんが死なないといけないの。なんで。なんで。


ふーちゃんがやるはずだった映画の主役は代役に決まったという文章が流れる。ふーちゃんに変わってがんばりたいです。にっこりと微笑んだ写真が目に留まる。どうして。ふーちゃんの代わりにこいつが映画の主役をするんだ。こいつがどうして笑えるんだ。僕は、僕は楽しみにして、それを生きがいにして今を生きているのにどうして。なんで。


脳みそは空っぽにになり、血が逆流しているのがわかる。


三十三歳。会社員。恋人なし。


俺はずっと意味のない人生を送ってきた。


俺は緑の多い地方で生まれ、育った。父は会社員。母は専業主婦。中学では、大人になったら、こんな田舎を抜け出して、一流会社でバリバリ働いてお金を稼ぎ、愛する人と結婚して家族をつくることを夢見ていた。高校では、冴えない地元の高校の教室の端っこにいる冴えない生徒として三年間過ごした。恋人も友達もできなかった。いらないとおもっていた。勉強に邪魔だからだ。


大学ではキラキラした青春を送るべく、必死に勉強をした。ちゃらちゃらとした青春を送る同級生を横目に俺はできる限り時間を勉強に費やした。その結果、第一志望大学に落ちた。あんだけ、楽しいこともすべて我慢したのに、彼女も欲しかったし、友達と馬鹿したかったのに、すべて大学に受かるためだと頑張ったのに、おれは第一志望校に落ちた。その学校には、彼女も友達もたくさんいたクラスメイトの湯上が受かっていた。俺は、この三年間を全て勉強中心で生きてきたのに、あいつに負けた。


俺はというと、滑り止めの大学になんとか合格し、地元から逃げるようにして、東京に上京。大学に合格したことで燃え尽き症候群となり、恋人も一向にできず、やりたいこともなく、なんとなくの四年間を過ごした。勉強を頑張り、就活を頑張ったその先に待っているのは労働。そんな現実に愚痴をこぼしながらも周りに合わせていちおう就活をした。志望していた会社には面接でことごとく落とされ、そこそこの会社に入社。


会社からの帰り道。コンビニ弁当を手に歩いていた。ふと周りを見渡し、俺は何で生きているんだ。と素朴な疑問が沸き上がった。どうして生きているんだ俺は。生きる目的もない。夢もない。ただ生命を無駄に消費している。

社会は灰色だった。踏みしめるたびに異臭を放っている。死ぬこともできずに怠惰に生きる日々。あの、大学受験で第一志望校に受かっていれば…そんなもしものことばかり考えてしまう。そんな毎日。



三年前に高校の同窓会があった。

友達さえもいなかった俺が高校の同窓会なんぞ行くべきではないと分かっていた。けれど、俺の第一志望校に受かっていったあいつが今どうしているのか気になってしまった。それに、俺より下の立場にいる人を見たら、俺の自尊心がいくらか高まるんじゃないかと期待してしまった。


わざわざ同窓会に行くために俺は新幹線に乗って地元に向かった。流れゆく景色を見ながら、おおいに俺が褒められる妄想を膨らませていた。


 地元の駅前の安い居酒屋に十八時集合。メールにそう書かれていた。俺は、高校のころとは違う東京に染まった自分を皆に見せつけたくてスーツを正しく整え、革靴も磨き、慣れない整髪料を使って髪を整えた。十八時十分を過ぎる頃、俺は一つ深呼吸をして、居酒屋の扉を開けた。


殆ど知らない面持ちがずらりと並ぶ。「こんにちはーどうもー」とできる限りの笑顔でテーブルに入り込んだ。何、こいつという目線を気にしないふりして、お目当てのあいつを探す。しかし、視界に入る人間を見てみるが、あいつは居なかった。近くの店員にハイボールを頼み、誰ともしゃべることなくちびちびと飲む。この空気感。久しぶりだ。ひたすらきまずい。


顔を上げると、目の前には見覚えのある顔がいた。教室の中心にいた湯上の横でいつも馬鹿みたいに大声で笑っていた女のコ。


「江上さんだよね?」俺はおもわず声をかけてしまっていた。あの頃よりかはいくらか雰囲気が落ち着いて見えた。

「うん、そうだよ」

「お久しぶりです」

「えっとー、ごめん誰だっけ?」少しだけ眉をひそめ江上さんは言った。

「森田です」俺は答えた。

「森田?あーあの、ね、森田君ね。久しぶり」

蠅が皿の上を飛び回っている。

「何してるのー?今」

「東京で会社員やっています」

「へーすごいじゃん」江上さんは目の前にビールをおいしそうにごくりと飲んだ。

「森田君さ、めっちゃ勉強できたもんね。そりゃあ、勝ち組だよ。私なんてさ、高校卒業した後行きたくもない専門学校行って、結婚して、子供が出来て。自分の時間なんて一切ない」俺は久しぶりに人に褒められて、同窓会に来てよかった、と思った。

「そうなんですね」

「そうなのー」

「あの、湯上はいまどうしているんですか?」俺は思い切って聞いてみた。

「湯上―?あーあいつはね、なんかでっかい会社で弁護士やってるってさ。それで、忙しいから今日の同窓会は来れないらしい」森田さんはポケットから携帯を取り出し、何かを検索して俺にスクリーンを見せた。あのころの湯上とは違って、落ち着いた雰囲気を身に纏って高そうなスーツを着て、信頼できそうな弁護士が、にっこりと笑ってそこにいた。

「湯上、変わったよねー。昔はあんなんだったのにさ」江上さんは枝豆を食べている。


俺は、知らなければよかったと思った。俺は、湯上に負けた人生を送っているのだ。どうしてだ。あんなにちゃらちゃらした奴がいい思いをして、こんなに勉強を頑張った俺が負け組の人生を歩まなければならないんだ。


 俺は立ち上がり、トイレへ向かった。顔を洗い、鏡に映る自分の顔を見る。いつものつまんない人生を送る脇役の俺がいた。俺は何のために生きているんだ。ふーっと息を吐き、もう帰ろう。そう思った。トイレの扉を開き、こっそりと自分の荷物を取って家を出た。


懐かしい夜の匂いがする。東京とは違って、緑の匂いと凛とした夜の空気が肺を埋める。帰ろうと、一歩踏み出したその刹那「森田君でしょ」と後ろから声がした。振り返ると、女がいた。同級生、だろうか。


「わたしぃ、村上。村上亜美」

「あっ」村上亜美は確か図書委員ですごく地味目の女の子だったはずだ。化粧を施し、社会に出ると、こんなにも風貌が変わるものだろうか。

「森田君、もう帰っちゃうの?」

「うん、その予定だけど」

「えぇー」村上は俺に近づき、顔を覗き込んだ。胸元が大きく空いたTシャツから、白くてやわらかそうなおっぱいが見えている。

「私ともうちょっとだけ一緒に行かない?」

「俺と?」

「うん」

そ、それは、ラブホにいてえっちをするということなのだろうか。いや、きっとそれしかない。

「私ね、実は高校生のころ森田君が好きだったの」

「えっ」俺は、あいつみたいな青春を送れる機会は目の前にあったのか。

「でね、森田君は恋人居る?」

おれは首を横に振った。

「それじゃぁ、わたしと一緒に一晩だけいてくれない?」これはチャンスだ。神様がくれたご褒美だ。

「うん」俺は言った。彼女を引き寄せる。いこっかと耳元でささやいた。

俺の時代が来た。脱童貞。初エッチ。人生バラ色。浮足立つ気持ちを抑え、できるだけ優雅に歩く。


 近くのホテルに入る。女性と。

部屋の中はさしていつも仕事で止まるホテルと変わりなかった。


「森田君。先は言ってきて?私まってるから」村上亜美が甘えるように言った。

俺は、うんといい、急いで衣服を脱いでシャワーを浴びる。急ぎたい気持ちはあるけど、臭いとか言われないように体の隅々まで丁寧に洗う。よし、いざ出陣じゃーと心の中で叫び、風呂場を出た。

 村上さん、上がったよ、の「む」を言おうと口をつくった直後、俺は固まってしまった。村上亜美が僕のバッグの前にいた。村上亜美は気配を感じたのか、くるりと振り返り、俺を見た。手には俺の諭吉を何枚か手にしていた。

「えっーと?」俺は目の前の状況を信じれずにいた。村上亜美は俺の金を手に自分のバッグを持って部屋を出ていこうとした。

「えっ、いやちょっと待って、どういうこと?」

俺は村上亜美の腕をつかみ、状況説明を施した。村上亜美は俺を睨むようにしてみ、話し始めた。

「私森田君とやるわけがないじゃない。こんな、不細工で太っていてお金も持っていない人。私、高校の時から森田君が大っ嫌いだったの。勉強できる自分が大好きなんでしょ?それで。勉強も青春も両立できた湯上君を嫌っているんでしょ。あのね、勉強がすべてじゃないの。勉強は手段なの。なのに、森田君は一から十まで勉強の力を信じ切っているじゃない?そんな男大っ嫌い。だから、ちょっと意地悪をしようと思ったの。どうせ森田君は女の人とセックスしたことないんでしょ。このお金は夢をみさせてあげたお金よ。じゃあね。森田君。手、放して」

村上亜美はぼーっとする俺を置いてさっさと出て行ってしまった。

俺はふらふらと歩いてベッドに座った。手元のテレビのリモコンの電源ボタンを押す。目の前で意味のない情報が次から次へと流れ込んでくる。テレビ画面をぼーっと眺めながら今日のことをゆっくり思い出した。俺の人生。ゴミみたいなものだ。鼻の奥がつんとした。泣いてしまいそうだった。


その時、一人の少女がほんの少しの間だけ画面に映った。俺はその瞬間心を奪われいぇしまった。心臓が鼓動を刻み、体温が上がっているのが分かる。こんなかわいい少女がいていいものか。こんなに美しい少女がいていいものか。急いで携帯で検索し、今出ていた少女の名前を探った。事務所のホームページに「小日向風」という名前と共に、にっこり微笑むさっきの少女の写真が載っていた。彼女の笑顔一つで、俺の存在を救ってくれた。俺の女神さまだ。そう思わずにはいられなかった。


ふうちゃんをみつけてから、自分の目に色を付けたレンズが入ったように、目に映る景色がすべて綺麗に映った。。とにかく、その日からふうちゃんを追っかけた。出るメディアはすべてチェックし、欠かさず保存した。生で見る機会があれば会社を休み、どこへでも飛ん で行った。ふうちゃんが僕の中心で軸で、柱だった。ふうちゃんがこの世に存在してこそ、僕が存在していた。   


だけど、ふうちゃんはもういない。僕が生きる意味もない。


心臓が高鳴る。いきなり自分の名を呼ばれ、なにかに対して意見を求められた。十もの視線が一斉に僕に集中する。そんなのどうでもいい。ふーちゃんがいない世界で僕は生きていたってしょうがない。ふーちゃんがいないこの世界の出来事はもうどうなってもいい。


俺は立ち上がり、走って部屋を出た。誰かが僕を大声で呼び止めたけど、そんなの関係なかった。廊下に出て、階段を駆け上った。背中にべたりと視線が集まる。久しぶりに運動をしているから呼吸がしずらいし、足も痛い。でも、もうすぐそんな痛さや辛さともおさらばだ。


屋上につき、ゴールに飛び込むかのように僕は屋上から飛び降りた。ふうちゃん、もうすぐぼくもそっちにいくからね。俺はそうつぶやいた。




 

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