第3話 高校の同級生
ただの同級生。それだけの関係。
小日向風が死に、日本中が嘆き悲しんでいる。学校では、嘘と本当が混ざりあい、そこに尾ひれがついてよくわからない黒くてまあるい形状物が出来上がっていた。それをボールのようにみんなで跳ね返して遊んでいる。できることなら、大声で叫んで、針を突き立て、ボールをつぶしてしまいたい。でもどうせ、ボールは再び形成される。人間がいる限り。だから、私一人が暴れて、声を上げたって意味がない。
俺、小日向と話したことある。マジで?めっちゃ美人だった。いいな。私は小日向さんとすれ違ったことある。なんかすごくいい匂いがしたー。へー。小日向いじめられていたらしいよ。うっそ。なんか、芸能人気取りでうざかったらしい。二組の林が言っていた。どうせ嫉妬とかじゃないの。それな。俺らの小日向さんがそんなわけないよな。
黒いボールから目を背けるように、窓の外を眺めみる。カラスが電柱のさきで羽を休ませていた。
高校に入学したての頃、ものすごい美女がいると皆が皆騒いでいた。男子も女子もキャイキャイと大声で意味のない言葉を叫んでいた。猿みたい、と浮かんだ言葉を喉で押し殺し、かわりに耳にイヤホンをつっこんで音楽で脳を満たした。
最初から、恋に、友情に、青春を求めて青臭さを体中から発散させているような同年代の子たちと気が合うはずがないと思っていた。仲良くがんばろうとするほど、自分の身が削られるような思いはしたくなった。
一週間もたてばグループがつくられ、見えない壁ができる。同じ匂いをかぎ分け、似たような見た目に似たようなしゃべり方で似たような趣味を持った者たちが集まる。
かわいい小日向風に近づこうと男子も女子も必死だった。小日向風は特にどこかのグループに属したいとは思っていなかったようだ。一人でいることに抵抗を示さず、むしろ自由で生きやすそうだった。でも、小日向風はものすごくかわいくて、注目を浴びるから、そういうわけにはいかない。
皆笑顔で笑いかけ、いろいろ教え、意味のない雑談を投げかける。とりわけ、山崎ももなもかわいい小日向風を自分のグループに入れようと必死だった。クラスでも初めて小日向風に声をかけたのも山崎ももなだった。自分のラインを教え、トイレに連れそっていき、かわいいと褒め、放課後はよく一緒に帰ろうと誘っていた。
私はというと、一週間もたつとすっかり学校に飽き、その日は一限からずっと屋上で寝てサボっていた。テストが終わってしまえば流れ出てしまうような知識は欲しくなかった。本当に知りたいことは、自分で調べる。欲しくもないことを無理やり押し付けられるのは嫌だった。風に揺られながら暖かい日差しに揺蕩いていた。その時、水が指の隙間からするりと逃げていくような透き通った声が聞こえてきた。
「死ぬの?」
「死ぬんだったら勝手に死んでね。あたしを巻き込まないでね」
学校に似つかわしくない物騒な言葉が聞こえ、驚いて目をひらくと、そこには美しい少女が立っていた。白くて長い手足に、透き通った肌。光があたって髪の毛が金色に輝いている。この年にして肉体が完全に完成されていた。
教室で見ていた小日向風とはまるで別人のように見えた。
「ごめんなさい。うるさかったですよね」
「いえ」小日向風は私が同じクラスの人間とは気づいていないようだった。
頭上でヘリコプターが音を響かせながら通り過ぎていった。
「ここは、気持ちがいいですね。学校の中だけど、自由になれる気がする」小日向風は言った。
「そうですね」
青空にはふちがくっきりとした雲が流れている。
「私に気にしないで続けてくださいね」
「でも…」
「私、あなたのその声好きだから。気にしないで」
「本当に?ありがとう」
小日向風は天使のようにふわりと笑った。私は再び瞼の裏を歩く。風にゆらめきながら小日向風の声を聞き、微睡んでいた。
道沿いにさつきがほころぶようになったある日の掃除時間。黒板消しを片手に私は黒板と向き合っていた。ふと、さっきの授業で先生の爪が黒板に当たって、教室に響かせた音を思い出して、ブルりと一人で震えた。鳥肌が立っていた。
「ふーちゃんって誰にでも呼ばれてるでしょ?だから、新しいあだ名がいいなって」
後ろでいつもの、あの声がした。パンツが見えるんじゃないかと思うほどスカートを短くし、細い足をみせつけている。顔には高校生とは思えない濃い化粧を施し、髪をぐるぐるに巻いて、すれちがうとほんのり香水の匂いがする、漫画の主人公のような山崎ももな。彼女は箒を片手に、掃くこともせず突っ立っていた。
「小日向だから、こっちゃんとかどう?」山崎ももなの取り巻き1が答える。
「いいじゃん。かわいいよ」山崎ももなのとりまき2が言った。
「ねぇ、どう?小日向さん」山崎ももなが顔を覗き込む。
「いや。私をこっちゃんって呼ばないで」小日向風は掃きながら答えた。いつもにこにこしている小日向風が拒絶したことに驚きだった。
「どうして?かわいいのに」
「いやだから」
「えーいいじゃん。ねぇこっちゃん」とりまきが、肩を抱くようにしていった
「私のことなれなれしくこっちゃんって呼ばないで。大体、私あんたたちの名前知らない」
空気が、凍った。
山崎ももなは口をぱくぱくさせ、言葉にできないほど怒っていた。
「そんなに言わなくてもいいじゃない」「仲よくなろうと思っただけだよ」「だいたいなに?うちらあんだけ気にかけてあげて、名前覚えていないとかありえない」「いったい何様?」「芸能人だからって調子乗んなよ」
取り巻きが口々に答える。
「私は、あなたたちに仲間に入れてほしいとか一言も言ってない。あなたたちが勝手に私に絡んだだけでしょ。それなのに名前覚えていないとか逆切れしないで」小日向風は掃くのをやめ、山崎ももなの目を見ていった。
「はぁ、あんたなんなの」「人の優しさを踏みにじるわけ?」「ありえな」とりまきは山崎ももなをかばうように怒っていた。
「うざっ」山崎もななはぼそりとそう言った。
教室中の空気が再び凍り付く。この一言で、完全に小日向風の学校での立場は変わってしまった。
以前のように、みんな積極的に話しかけようとしないし、笑いかけもしない。ただ小日向風の存在を空気のおうに扱っていた。
山崎ももなにきらわれてしまってからの日々は、小日向風は見る限り、落胆する様子もなく入学当初と変わらず過ごしていた。いや、むしろ顔が明るく見えた。
次に二人きりで会ったのは夏のころだ。緑の気配が大きくなり、入道雲が圧倒的存在感を示していた。
たびたび授業や宿題をさぼっていた私は、罰としてプール掃除を言い渡された。めんどくさいなと重い気持でプールに行くと、ブラシを手にプールをこすっている小日向風がいた。何かを言っていた。私もブラシをもって裸足になった。
小日向さんは言った。
「私、このまま死にたくない、死にたくないよ。ねぇ、このまま私を連れ去ってくれない?」
役に入りきっているようで、私に気づいていないようだ。私は彼女の邪魔にならないようにひっそりを掃除をしようと、プールをモップでこすっていた。私は思わず手がすべってカタリと柄の部分を落としてしまった。
「遠山さん?」
小日向風が私の名前を読んだ。名前を覚えていてくれたことが驚きだった。
「久しぶり、小日向さん」
「いつからいたの?」
「さっきから」
「ぜんぜん気づかなかった」
太陽の光が粘っこく皮膚に纏わりつく。
「忙しいみたいだね」私は言った。
私は小日向風を目にする機会が時間を重ねるにつれて少なくなっていった。留年するんじゃないかとクラスの人はうわさしていた。
「まぁ、ね。今度の役がセリフ多くって」
蝉が鳴いている。
「遠山さんは死に時、考えたことある?」
「死に時?」
「今度演じる女の子がさ、四十歳で死にたいって言うの。日本の平均寿命の半分」
「私は、そんなに死ぬことについて考えたことないな」
「そっか」
小日向風が前かがみで一生懸命こすっていると、胸ポケットから小さい透明な袋が飛び出した。中には白い錠剤が入っていた。一瞬、なにか違法なものかとどきりとした。 小日向風は何でもないように落ちた袋をさっとポケットに入れなおした。
「私だったら、一番きれいな時に死にたいけどな」小日向さんは言った。
「二十五歳くらい?」
「んー、十八歳かな。多分十八歳が一番体が瑞々しくて最高の時だと思う。後は衰えてゆくだけ」
「そんなことないんじゃないかな。綺麗ってオーラが放つものもあるし、そういうのって経験とか知識とかからつくられるんじゃないの?」
私はホースで水を放った。光に当たって宝石のようにキラキラしていた。
「二十歳を超えると、おばさんって言われるのよ。この世界は」
「十八ってもうすぐじゃん」足に冷たい水がかかり、気持ちがいい。
「そうだねぇ」
「死ぬの?」
「どうだろ」
彼女はふわりと笑った。テレビで見せる、人に媚びるような粘っこい笑顔じゃなくて、さらさらした素の彼女の笑顔をみて、おもわずどきりとした。
小日向風は夏が終わり、冬が近づくにつれてますますメディアの露出が多くなって、学校にはほぼ来なくなった。街を歩けばいつだって微笑んだ彼女がいる。テレビをつければ愛らしい彼女がいる。
彼女が十八で死ぬことは私だけが知っていた。
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