第2話 友達
小日向風が死んだ。それも自殺で。ネットで一気に拡散されていく。親指でスマホのスクリーンを滑らせ、人々のざわめきをみていた。車のラジオが無機質に風の死を報道している。
「唯花ちゃん、大丈夫?」運転しているマネージャーが言った。
「大丈夫」私はそっけなく答えた。
自分が、大丈夫とか大丈夫じゃないとかよくわからない。風が死んで、もう会えないという実感ができない。周りが、世間が死んだって騒いだって、電話をかければ風がいつもみたいに「どうしたの?」って凛とした声で答えてくれる気がしてならない。
雨が車の窓にへばりつき、後方へ流れてゆく。
風とは三年前に学園もののドラマで初めて会った。純朴で清楚な雰囲気で、いつもにこにこしていた。その時から確かに風は可愛かったけど、周りにもたくさん可愛い少女がいる中で、何かをひきつけるような、あるいは華やかなオーラといったものは一切感じなかった。そこら辺のみちを歩いていても違和感がなかった。直感的に、この人は本心をどこかに隠して、笑顔の仮面をかぶって生きている。そう思った。
確かに、人は誰しも場面場面での人格を持っている。家での自分と仕事をするときの自分がいるように、人は日常を円滑に生きるために仮面を付け替えている。でも、風はそういう人で言うところの人格の誤差の範疇を飛び越え、狼がモンシロチョウに化けているような、そんな人より何倍も大きな仮面をかぶっていると感じた。そして、いつかその仮面を外して本当の風を見てみたいと思うようになった。
最初のころ、風の演技は正直好きではなかった。子役上がりの独特な言葉のイントネーションや表情の使い方で、すべてがおおげさのように感じた。小さなころは、こういう演技が大人に受けたんだろうなと感じさせる演技だった。私の方が演技は上手だし、芸能界で売れるなら、私が先だと思っていた。
ドラマの撮影が進むにつれて、だんだんと風の演技は磨かれ、私は認めたくなかったけど、抜かれたと思った。決定的に自分との差を見せつけられた。
ドラマの終盤で風が大声で叫ぶカットがあった。先生に歯向かって、生徒が生きる学校内の狭くて行き場のない世界を生き抜く辛さを叫んぶシーン。普段はにこにこわらって物静かな風が何かに取り付かれたかのように声を荒げている。視線の使い方や動作が人に魅せていた。私の心臓はどくんと胸うち、皮膚のしたで蠢くなにかが悲鳴をあげていた。もっと、もっと見ていたいと思った。同時に、なぜだか自分は死ぬかもしれないと思った。溺れて、死んでしまうと思った。
大きな雷のように大きな音を立てながら光で人を魅了しながらも、生命を奪ってしまう。そんな存在だった。
魂を芝居に売った瞬間だった。私もあんな存在になりたい。風になりたい。そう心からおもった。
それから、積極的に風に話しかけるようになった。友達になりたいと思った。隣で風の本当の姿を少しでもみれたらと思った。普段はやっぱりおとなしくって、笑い声もクスクスという言葉が似合う笑い方で、仮面をかぶって過ごしていた。
ずっと本当の姿でいると、風は壊れてしまうのから普段はああやってすごしているのかもしれない。そう思った。
ドラマは高視聴率をたたき出し、風はまたたく間に超売れっ子女優になった。その後の芸能界追い風は完全に風の方向に吹いていた。そんな彼女をしり目に私の人気は相変わらずだった。叶わないな、と思った。風と私は休みの合間を縫って一緒に時間を過ごすことが多くなった。私がどう頑張って、努力しても越えられない大きな壁の存在を身に染みるほど実感していた。これが才能の差だと隣にいればいるほど感じさせられ、苦しくなっていった。
突然のことで言葉がでません。
いつも、隣で笑ってくれて、本当に天使のような風。
もっと一緒にお芝居したかったよ。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
阿川 唯花
写真のフォルダをさかのぼり、プライベートでとった自分の映りの良い写真とともにすぐさま投稿した。
リプライが返ってくる。
ストローベリーミルク @strawberry-milk
ゆいちゃん、一番仲良かったもんね。
なかや ともこ @nakatomo55003
無理しないでね。
そんな画面の向こう側で打っている言葉を一瞥すると、スマホの光を落とした。
窓に頭を押し付け、目をつむる。風と死ぬ最後にした会話が脳にこびりついている。
私はその時眠っており、けたたましい着信音で目が覚めた。
「もしもし、唯花?ごめん、寝てたよね」
「んー、大丈夫だよ。どうした?」近くの時計を見ると夜中の三時十二分だった。
「ちょっとだけ、唯花の声が聞きたくって」風はくふふと甘ったるい声で笑った。
「ふう、もしかしてお酒飲んでる?未成年だからほどほどにしなよ。週刊誌にすっぱ抜かれたら大変なことになるよ」
「うん」
「何かあった?」ふうはたびたび嫌なことがあるとお酒を飲む癖があった。
冷蔵庫がぐおんと存在を確かめるかのように低い声で鳴っている。
「唯花はさぁ、この世界に入ってよかった?」
「よかったよ」
「ほんと?」
「うん。ふうにも会えたし」
「それはうれしいなぁ」
沈黙。電話越しにふうが何かを飲んでいる音が聞こえる。
「例えばさ、絵を描くとするじゃん」
「うん」
「赤色とか水色とか黄色とかいろんな色を使って絵を描いているのに、私にはその色が分からないの。色が、見えないの。そんな事実を打ち消したくて、もっと濃い色で色を重ねるの。だけどね、やっぱりわからないの。そんな感じ」カラリと窓が開く音がし、風が通話音を塞いだ。
「本当は髪の毛長いのめんどくさいからショートがいいし、笑うのも疲れるからあんまり好きじゃない。でもね、この世界は誰かの理想で私はいないといけないの。長いサラサラの髪の毛をなびかせながら、私じゃなくて皆が好きな洋服を身に纏て、笑顔でいるの。いったい自分が何色なのか分からないよ。」ふうは震えながら言った。
テレビで見せる、朗らかな笑顔の裏側には弱くて、潰れそうな風がいた。絶対的人気と圧倒的スタイルと顔面、そして才能ある演技力を持っていて、いま日本で明らかに最強の女の子が自分を探していた。
私は、自分の色が分からなくても、自分の個性がなくても、風みたいになりたかった。でも、なれなかった。
「月、綺麗だね」
風にそう言われ、私はカーテンを開けて空を見上げた。確かに、まん丸の月が堂々と輝いていた。
「宇宙のことを考えれば私なんてゼロだよね。無限分の一はゼロ」風は自分に言い聞かせるように呟いた。
「風はさ、一じゃないよ」風は全く分かっていない。自分がどんな人間なのか。
「うん?」
「風は無限以上だよ」
「無限以上か」
「不仮説不仮設転くらい」正直、それでも足りない。
「ふかせつふかせつてん?何それ」
「ものすごく大きい数字」
「そっか」
風は生きることに向いていなかったのだ。化け物を背負った繊細な風は、社会ではあっというまにやすりで削り取られてしまう。だから、大きな仮面をつけて生きていたのだ。仮面を剥いだ風は狼じゃなくてクリオネだ。水が必要なのに、水なくして生きていた。私以上に苦しくて、計り知れない痛みを抱えながらも笑顔で生きていたのだろう。それでも、わたしはやっぱり風になりたかった。
車はいつの間に地下駐車場に止まった。マネージャーは誰かと嬉しそうに話している。
「唯花ちゃん、映画の主役のオファーが来たよ」マネージャーは電話を切り、振り向いて言った。
「えっ」
「よかったね」
「はい」
「人気漫画原作のやつで、確か題名が愛の過程、恋の仮定だったかな。オファー受けるでしょ?」
「それって……元々風が主役だった映画ですよね」
「うん」
「私はその代役ってことですか」
「そうだね」
「それって、私が風の友達だからその仕事が来たんですか」
「まぁ、先方が言うには、そういうことになるかな」
「風の友達だった私が主役をして、世間に同情されてお涙頂戴の役をしろってことですか。それで、話題になればいいと思っているんですか。風の死を私の芸能活動のために使えっていっているんですか」
「そうとは言ってないよ」
「おなじことじゃないですか」
私にとって風は言葉では言い表せない存在だ。友達で、憧れで、尊敬の人で、戦友で、仲間で、同士で、守るべき人だ。
「でもね、そのおかげで唯花ちゃんの演技を世間に見てもらう機会が回ってきたんだよ。目の前に大きなチャンスが転がっているんだよ。あなたはそれをつかむだけなんだよ」
「風の死を弄びたくありません」
「唯花ちゃんが主役をしなかったら、誰かがその役をするまでだよ。小日向さんとは親友でしたってテレビに、世間にう訴えかけて涙を流すんだよ。死んだ人は語らないから、言いたい放題言って、自分が有名になるために誰かが風の死を使うんだよ。そんな人が人気になっていく姿を唯花ちゃんは見ることができる?なら、唯花ちゃんが演じた方がいいでしょ。本当に友達だったんだから。たとえそれが世間から同情されても、それは事実なんだから。芸能界ってそういうところなんだよ」
マネージャーは柔らかい笑みを浮かべた。
「このチャンスをどうするかは、唯花ちゃんしだい。先方には明日までに返事するように言われてるから、今日の夜ゆっくり考えて明日答えを聞かせて。今が人生の岐路だからね」
マネージャーはふぅっと息を吐くと、「じゃあ、行こうか。もうすぐはじまるし」そう言って時計をちらりと見た。主役オファー。風。演技。芸能界。才能。友達。いろんな言葉が脳内を駆け巡る。私はどんな選択をするべきなのだろうか。私はどうやって生きるべきなのか。私は将来どうなりたいのか。
風を失った今、私は人生の分かれ道に立っている。
雨はまだやみそうにない。
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