第3話

 だが、雨は必ずあがるのだ。

 それが自然の摂理だから。


「前提が間違っている」


 明理が死んで三年が経過した。

 通算十回目の除霊を担当者する霊能力者――江西清流えにしせいりゅうを見た時に、あぁ、終わってしまうのだという諦めが先に立った。

 シャツにジーンズのラフな格好に中性的な顔立ちと、一見するとどこにでもいる青年であるのに、よく通る涼やかな声と、彼から漂う身が浄化されるような清廉な空気が、わたしに告げていた。


――この男は、本物だ。と。


「こんにちは。今日は、村井明理さんのために祈らせてください」


 わたしに対して、礼儀正しく挨拶をする江西の目は憂いを帯びていて、久々に告げられた娘の名前に胸が締め付けられる。


 自分以外に、娘の名前を訊いたのは、いつぶりだっただろう。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 今回の除霊の参加者は三桁にのぼり、明理が通っていた学校の体育館が会場となった。

 壇上に上がる江西はマイクを必要としない声で、明理が成仏しますようにと。みなで祈りをささげることをお願いする。


「では――」


 そして、異国の言葉のような、不思議な発音を歌のように口ずさみ、指を複雑に組みあわせながら祈りを捧げると、体育館の外で雷が鳴り始めた。


「イヤッ、あの子が、あの子が来るっ!」

「お、落ち着け。もしかしたら、成仏する流れかもしれない」


 動揺が動揺を呼び、まるで彼らの心情を表すように、空が灰色に曇りはじめて雨が降る。


 雨が……。

 これから怪異が起こり、娘の悪霊が現れるのだろうか。


 だが、雨が降り始めると、突然、江西が奇声を上げた。


「――っ――っ――っ――っ――っ――っ――っ――っ!」


 まるで見えないなにかと対話する江西は、一旦言葉を切って、わたしたちに言う。


「この除霊には意味がない」


 はっきりと言い切る江西は、冷たい空気をまとわせながら、この場にいる一人一人の顔を眺めて目を釣り上げた。


「前提が間違っています。ぼくは自ら命を絶った村井明理さんのために、ここへ祈りを捧げに来ました。けれど、このしゅの怪異は、関わった皆さんが私心を捨てて、社会に尽くさなければ収束しません」


 断言する江西は、集まった参加者に対して誤魔化すことなく真実を告げる。

 涼やかでよく通る声が湿気で淀んだ館内を通り抜けて、音の響きが耳に心地良い余韻を残す。

 わたしは理屈抜きで理解してしまった。彼が提示した解決方法こそが、この怪異から解放される唯一無二の方法なのだと。

 ここにいる参加者たちも、わたしと同様に江西の言葉を理解したはずだ。

 その証拠に重たい沈黙が、湿気で蒸れ始めた館内を支配した。

 そう思った。


「ふざけるなっ!」


 誰かの叫びが引き金だった。


「詐欺師! 帰れ!」

「そうだ。帰れ! 帰れ!」

「あーあ、時間を無駄にしたぁ」


 彼らにとって、理解と納得は別だった。

 次々と声を荒げて、ため込んだ負の感情を江西へぶちまける。


「俺たちには、幸せになる資格がないのか!!!」


 この言葉が多分、この除霊に参加した人々の本音なのだろう。

 雨音が聞こえない程の罵声の嵐が会場を揺さぶり、江西を引きずり落そうと、大勢の人間が壇上へと殺到しようとした。


 しかし。


 カタン、と。音が鳴って、ひとりでにプロジェクターが起動する。

 壇上の背後にある、特大のスクリーンに映されるのは学校の教室だ。机やイスは掃除の時のように後ろに下げられており、片付けられて空いたスペースには、ぐったりと横たわっている明理むすめがいる。


「おい。薬の量、間違えたんじゃないか!?」

「やばいよ、息してない」

「早く、早く、救急車をっ」


 娘を中心に花の輪のように取り囲んだ男子たちが、突如とした異常事態で狼狽し、対してミツバチのように、遠巻きに携帯で動画を撮っていた女子たちは、極めて冷静に救急車を呼ぼうとした男子たちをいさめていた。

 そこで、女王バチのような松原サリナいじめの首謀者がはっきりと言ったのだ。


「だいじょうぶよ。、パパの力でもみ消してもらうから」


 友達を気遣う優しい笑顔だが、吐いた言葉はどす黒い。


「いやああああああっ!!!」


 まさか自分の所業が、こんな場所で、こんな大勢の前で暴露されるとは思わなかったのだろう。

 サリナが悲鳴をあげながら、その場にうずくまった。

 

 壇上に殺到しようとした暴徒たちも、魂がぬけたようにスクリーンを見上げて、この場にいる一人一人の罪を呆けたように眺めている。


 保身に走る担任。各所に圧力をかけるサリナの父。上層部の命令に従うマスコミ関係者と教育委員会。家族を巻き込んでアリバイ工作をしようとする生徒。金に釣られて検視結果を偽装する医院長。知らないうちに悪事の片棒を担いでしまった人々。

 殺人を自殺に偽装するために、これだけたくさんの人間が動いていた。


――そう、娘は自殺したのではない。

 この場にいる、大勢の人間によって殺されたのだ。


 いつの間にか、雨があがっていた。

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