第2話


 この茶番の始まりは、明理あかりがいじめを苦に自殺して三ヶ月後だった。

 突然職場に電話がかかり、松原サリナの父親が憔悴した声で「会えないか」と訊いてきた。今更、誠意ある対応なんて期待していないが、電話越しに聞こえた、声の痛々しい響きにわずかながら心が動いた。


 それがすべての始まりだった。

 待ち合わせの喫茶店には、サリナの父親――確か名前は松原修吾まつばらしゅうごと、オレンジの法衣を着た僧侶が先に到着しており、わたしの姿を認めると、誘導するように軽く手をあげる。

 わたしは一瞬怯んだ。

 男二人の威圧感に、本来なら自分の隣にいるはずの、死んだ夫を恋しく思いながら手短に挨拶を交わす。

 そこでおもむろに、僧侶の方から話が切り出された。


 娘が自殺した時間帯に、なにか異変がありましたね。と。

 断定的な言葉に引っ掛かりを覚えながら、わたしは答えた。


「アパートの雨樋あまどいが壊れました」と。


 あの日は、仕事から早く帰ることが出来て、久しぶりにちょっと凝った料理を作り、娘の帰りを待っていた。

 イジメのことは知っていた。

 だが娘は、負けたくないと言って、毎日学校に通っていたのだ。


「まったく、親の気も知らないで」


 だから当然、帰りが遅くなれば心配になる。


 もしかして、どこかに閉じ込めらているんじゃ……。


 叩きつける雨音が嫌な想像を掻き立て、それに抗うように、自分に何度も「大丈夫」だと、言い聞かせていた時だった。


――バキッ!!!


 外から硬い板が割れた音が聞こえて、いやな予感を覚えた。

 だが、アパートのどこかが壊れたのなら、大家に連絡する義務が入居者にはある。

 仕方なく窓を開けると、目前で滝のように水が垂れて、雨樋が折れているのが確認できた。ちょうど、窓の真上にあたる位置だ。

 あとで聞いた話によると、もう何年も手入れも掃除をしていないらしく、老朽化した継ぎ手の部分が、腐食に耐え切れずに折れたらしい。その雨樋も、すぐに直されてしまった。わたしの日常は壊れたままだが。


「いやだ。どうして、こんなタイミングで」


 本来なら、雨樋を通じて排水溝へと向かう雨水うすいが、本来のルートから外れて、硬い地面に叩きつけられていく。

 

 その直後だった。

 警察から連絡が入り、指定された病院で、冷たくなった明理と対面したのは。


 わたしの答えに納得した僧侶は、わたしに対して除霊に参加するように頭を下げる。

 なんでも明理むすめが悪霊となって、雨の日になると、松原親子の周辺で怪異をひき起こしているらしい。


「あなたの話から確信した。あなたと娘さんには、強い絆が存在している。だから目に見える形で、自分の死をあなたへと伝えてきたのだ」

「…………」


 勝手に納得する僧侶に頭痛を感じながら、わたしは疲れ切ったサリナの父親を見た。黙り込んで静観している姿には、加害者としての反省というよりは、理不尽にさらされて不満をため込んでいる被害者のような態度だった。

 その証拠に、この父親はサリナをこの場に連れて来てもいないし、わたしに対して謝ってもいない。


「わたしが娘と強い絆があるとして、それが除霊の役に立つのですか?」

「立ちますとも、あなたを通じて娘さんは復讐の怒りを鎮めて、成仏するはずです」

「そうですか」

「それにしても、感心しませんなぁ。イジメを知っていたのなら、親なら意地でも子供を守らないと」


 あぁ、このパターンか。

 明理が死んでから、周囲に言いたい放題言われた。

 週刊誌にも加害者と同列で叩かれて、職場でも事情の知らない人間から嫌がらせを受けた。

 世間でのわたしの評価は、我が子を守らなかった無責任な母親であり、それがすべてなのだ。


「…………はい、反省しています」


 娘が望んで悪霊になったのなら、好きにすればいい。

 成仏なんてしなくていい。

 ずっと、ずっと、雨が降ればいい。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 その後、大きな寺に連れて行かれて、僧侶が祈りを捧げる背中をぼーと眺めていた。

 この除霊は失敗する。

 そんな確信が、わたしの中であった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 こうして、除霊という名のくだらない茶番が始まった。

 わたしが毎回、来たくもない除霊に参加しているのは、松原修吾が僧侶のアドバイスを忠実に守っているからだ。

 もし欠席したら、職場に圧力をかけると暗に脅された。

 ちなみに除霊に失敗したあの僧侶は、除霊の数日後、雨の日に脳卒中で死んだらしい。


 二回、三回と、回数が重ねるごとに除霊に参加する人数が増えて、除霊するたびに霊能力者も変わった。

 そして悪霊となった娘は松原親子のみならず、取り巻きや傍観した生徒、親兄弟に親戚、果ては教師や警察関係者と、大人たちへじわじわと呪詛の輪を広げているらしい。

 彼らはまるで被害者のようにふるまい、母親であるわたしに被害を訴える。


 親が突然、黒い血を吐いて倒れた。

 雨の中で狂ったように笑いながら、学校の屋上から飛び降りようとした。

 車を運転中に、突然血まみれの手が現れてハンドルを握ってきた。

 誰もいない踊り場で突き飛ばされた。踊り場には大量の黒髪が落ちていた。

 授業中に血まみれの女生徒がおぶさってきて、周囲の生徒も怪異を目撃してしまい、授業を中断するレベルのパニックが起こった。

 小物が盗まれたと思ったらどこにも見つからない。探しているうちに気持ち悪くなってその場で吐いたら、吐き出したゲロの中から探していた小物が見つかった。

……など、だ。


 必ず雨の日に。

 必ず自分たちに。


 助けてくれと、必死に訴えてくる彼らに、わたしは仄暗い喜びを覚える。

 血走った眼でわたしを見て、わたしと娘を重ねて殺意を向けるも、手を出せば状況がさらに悪化する危険性がある。

 だから彼らは、わたしになにもできない。


「お願いです。母親として、あなたからも説得してください」

「このままじゃ、いつか殺される……」

「助けてください。雨が降るたびに家電をまるごとダメにされて、生活にも支障が出ているんです」

「うちは職場のパソコンが全滅しました。このままでは、多くの人間に影響が出る」

「…………」

 

 どうして自分たちが、許されると思っているのだろうか。

 娘を失った悲しみを、彼らの悲鳴でまぎらわせているわたしは、今日も雨が降ることを心待ちにしている。

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