第29話 那央について

「今日は、角田が来たんじゃないかい?」


「え、よくわかりましたね。」


「君が酔うほど、うまく呑ませられるのは、角田くらいかな、と思ってね。」


「おっしゃる通りです。」


「角田は君を狙ってるよ。誘われたらどうする?」


「すみませんが、お断りします。連絡先は交換しちゃいましたが。」


「ほぅ。タイプじゃなかったな?」


「……俺は、もう恋人がいるんです。一個下の後輩で、男ですけど…。」



酔った勢いと、契約の、嘘、偽りなくという言葉に後押しされて、カミングアウトした。



「やっぱり、ね。君の色気はそこから来ているんだよ。大分惚れ込んでるみたいだね。」


「はい。お金があれば、一緒に過ごす時間が増えるんで、こんな怪しいバイトも考えなしに引き受けてしまいました。」



本音をぶっちゃけると、それを聞いて藤波は笑った。



「恋は盲目のいい例だ。恋人は、どんな子なんだい?」


「俺の夢を応援してくれました。それがきっかけで好きになりました。」


「母親の印象が重なったのかな?」


「そうかもしれません。それに可愛いんです。なんにでも感動しやすくて、ずっと一緒にいて、飽きません。」


「それはイイ人にめぐり合ったね。」


「はい。彼のためなら、何でもできます。」



なんとなくそう思っていたが、改めて口にすると、いかに自分が那央を好きかわかった。



「愛……というものかな。では、君が彼を愛する理由は、それだけかな?」


「え?……と、言いますと?」



藤波は身を乗り出した。



「通常、愛着や愛情はありつつも、己の全てを投げ打つような”愛”には簡単にはいかない。愛着、愛情と、愛の違いはわかるかね?」


「さあ……わかりません。」


「愛着、愛情は、自分の気持ちさ。自分都合だよ。愛はちがう。相手の幸せを願い、喜び、こちらが差し出すことだ。」



橘は、軽くうなずいた。



「君は、健康を犠牲にし、怪しいバイトを引き受け、角田の欲情を受けながらも、彼との幸せのために頑張っている。愛に近いと感じるよ。どうして、彼のためならそこまでできるのかね?」


「そうですね……。愛……よりも、罪悪感でしょうか……。付き合うまでに、3年かかりました。ようやく両想いとわかったのに、今も離れ離れ。もし希望の職に就けても、また数ヶ月単位で離れ離れかもしれないんです。全部、俺の都合です。」



橘は、ブランデーのグラスを見つめ、指でなでた。



「うむ。それは寂しいね。」


「はい。それに……やっぱり、男同士で……。俺と出会わなければ、彼には違う幸せがあるんじゃないかと……。」



藤波は背もたれに寄りかかって言った。



「セックスは済んでいるのかい?」


「……いえ。」


「そうか。精神的な渇望ほど毒なものはない。肉欲など可愛いものだ。そちらを済ませてみれば、新たな答えも見えて来るかもしれないよ。」


「そうかもしれませんが……。痛い思いをさせたくなくて、機会を伺っているうちに、間延びしてしまいました。」


「……莉音、僕と君の付き合いはまだ浅いが、僕は、君がただの優しいだけの男のようには見えない。君だって、自分の中にあるものを感じているんじゃないかい?」


「なんでしょう……。そりゃあ、那央に対する欲情はありますが……。」


「那央君と言うんだね。」



うっかり言ってしまった。



「莉音、"本当の自分"ほど、美しく、強いものはない。この一カ月で、君の本当の姿を見せておくれよ。僕は君のそんな奮闘を見てみたいね。」


そう言って、藤波はにやりと笑って、グラスに口をつけた。

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