楽屋で声を嗄らす

三鹿ショート

楽屋で声を嗄らす

 自宅へ向かう途中に通りかかるその公園には、常のように一人の少女が存在していた。

 長椅子の上に鞄や運動の道具が置かれていることから、部活動を終えた後に、この公園で自主的に練習しているのだろうか。

 天気が悪い日も、休日にもその姿を目にしていたために、部活動に対してどれほど熱心なのかが分かった。

 応援をしたくなったが、不審な人間だと思われては困るために、私は通りかかる度に、心の中で激励の言葉を発していた。


***


 何時しか、彼女の姿を目にすることはなくなった。

 おそらくは、引退しなければならない時期に至ったのだろう。

 その姿を目にすることができなくなったことは寂しかったが、私は思わぬ場所で、彼女と再会することになった。


***


 私が勤務している会社に彼女が新入社員として姿を現したときの驚きは、小さなものではなかった。

 それと同時に、私が目にしていたときよりも、彼女が鬱々とした言動を繰り返していることが気になった。

 公園で自主的に練習をしていたときとは、別人のようである。

 それほどまでに、部活動に励んでいた時間が愉しかったのだろうか。

 だが、それを問うわけにはいかなかった。

 何故なら、彼女は私のことを知らなかったからである。

 公園での姿に言及すれば、まるで私が彼女に執心していたようではないか。

 ゆえに、公園の話題を私が口にすることはなかった。


***


 ある日、彼女と共に外回りをしている途中で、かつての彼女のような人間の姿を目にした。

 夕焼けの中、その少女は、大量の汗を流しながらも、生き生きとした表情で、身体を動かしている。

 微笑ましいその様子を見た後、隣に立っている人間に目を向けると、彼女は無言でその少女を見つめていた。

 過去を思い出しているのだろうかと考えていると、不意に、彼女は少女を鼻で笑った。

 そのような反応を見せるとは考えていなかったために、私は驚きを隠すことができなかった。

 私が自身を見つめていることに気が付いたのか、彼女は少女を指差すと、

「あれを見て、どのように思いますか」

「自身の能力を高めようと努力することは、良いことではないか」

 私のその言葉に、彼女は短く息を吐いた。

「何時の日か実を結ぶと考えて努力を続けたとしても、己が望んだ未来が訪れるとは限らないのです。あの少女は、それを理解していない」

 嘲るようなその物言いに、私は疑問を抱いた。

「何故、そのような言葉を吐くのか。どのような未来が訪れるのか分からないからこそ、努力を続けるのではないか」

 私がそのように告げると、彼女は少女から私に視線を移した。

 そして、自身を指差すと、

「努力をしても報われることがなかった人間が、この私です」

 彼女は自嘲の笑みを漏らしながら、

「かつて私は、阿呆のように努力を続けていました。下級生が活躍する姿を目にしながら、次こそは自分だと信じていたのです。ですが、結局、私は最後まで試合で活躍することができませんでした。そもそも、試合に出ることすら出来なかったのです。その瞬間、それまでの努力の時間が馬鹿馬鹿しいものに思えてしまい、それ以来、私は余計なことをすることを止めたのです」

 今にも泣き出しそうな彼女を見ながらも、私はどのような言葉を吐けば良いのか、分からなかった。

 かつて自主的に練習をしていた彼女は輝いていたと告げられれば良かったのだが、そのような言葉を吐くわけにもいかなかった。

 結局、私は気が利いた言葉を告げることもできず、無言で彼女と共に会社へと戻った。


***


 その言葉通り、会社での彼女もまた、必要最低限の仕事のみをこなしていた。

 他の人間のように、業務の改善点などを口にすることなく、黙々と与えられた仕事をこなすばかりだったのだ。

 彼女の事情を知っているために、私はその姿勢を悪いとは思わなかったが、他の人間たちは不満に思っているらしかった。

 さりげなく彼女を庇っていたが、会社で孤立し、居場所がなくなった彼女の姿を見ると、私の行為に意味は無かったようである。

 しかし、解雇されるほどの問題行動に及んでいるわけでもなかったために、彼女は黙々と働き続けていた。

 彼女のその姿を見て、私はあることに気が付いた。

 彼女の図太さは、努力に意味が無いということを知ったからこそ得たものなのではないか。

 張り切ったところで良い未来が訪れるわけではないと諦観しているゆえに、彼女は他の人間よりも日々の業務に疲弊することなく生きることができている。

 彼女のような人間ばかりでは、この世界が向上することは無かっただろうが、その存在を悪と断ずるわけにもいかないだろう。

 何故なら、彼女は既に、他の人間たちよりも努力をしていたからだ。

 彼女はそのことを愚かな行為だと嗤っていたが、私がそのような気分に至ることはなかった。

 ただ、彼女が哀れで仕方が無かった。

 この先の生活において、彼女が生き甲斐というものを発見することができればどれほど良いだろうかと考えながら、私は今日も彼女を目で追った。

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楽屋で声を嗄らす 三鹿ショート @mijikashort

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