第7話 開花した花嫁1

(まさか本当に仕立てるなんてなぁ)


 袖や胸元を見たキーシュは「はぁぁ」と大きなため息をついた。ため息さえも夜着を通り抜けて素肌に触れるような気がしてブルッと身震いする。

 今夜キーシュが着ている夜着はシュクラが仕立てたばかりのものだ。それは別にかまわない。問題は見た目だった。


(正妃様に頂戴したものよりいやらしく見えるのは気のせいだろうか)


 淡い赤色だからか、透けている肌がやけに生々しい。胸のあたりなど、自分の体だというのに妙ななまめかしささえ感じていた。


「本当にこんな姿を見たいんだろうか」


 思わず口に出た言葉に眉が寄る。自分で見ても滑稽なのにシュクラが見たがる理由がわからない。

 ほかのΩなら似合うのかもしれないが、体が大きくわずかながら筋肉のついた自分では笑いものにしかならない気がした。「これを来たキーシュさんがいい」と満面の笑みを浮かべていたが、逆にシュクラを萎えさせてしまう気がする。そんなことを思って寝室に行く足が何度も止まった。


(いや、待たせるほうがよくないな)


 改めて「よし」と口にし覚悟を決める。そもそも着てほしいと言ったのはシュクラだ。それで笑うようなら一発殴ることくらい許されるだろう。似合いもしない自分にこんな夜着を着せるほうが悪い。

 そう思いながら部屋を横切り寝室の扉を勢いよく開ける。そこまではよかったが、やはりシュクラの顔を見ることはできなかった。俯きながらベッドに近づいたものの、シュクラは何も言ってこない。


「だから着るのはどうかと言ったじゃないか」


 少し早口になりながらそう文句を言い、少しだけ視線を上げる。


「……シュクラ?」


 ベッドに腰掛けたシュクラの顔は笑ってはいなかった。黒目を少し見開いてはいるものの、食い入るようにキーシュを見ている。膝に置いた両手にも力が入っているように見えた。


「シュクラ?」


 もう一度声をかけると、ハッとしたようにシュクラの肩が揺れた。


「すみません。想像以上で我を見失いかけていました」

「別に無理しなくていいよ」

「無理なんてしてません。まさかこんなにエロくなるとは思わなかったんです。いえ、キーシュさんは普段からエロいですけど、より魅力が増すというか、こういうのをむしゃぶりつきたくなるって言うんでしょうね」

「……何を言っているんだか」


 熱い眼差しと熱心な口調にキーシュの頬が熱くなる。熱烈に求められているのは嬉しいが、同じくらい気恥ずかしくなった。こんな姿はどうかと思っていたのに、シュクラの言葉を聞くだけで「着てよかった」と思えるのだから不思議だ。


「キーシュさん」


 シュクラが招くように右手を差し出している。いつもより興奮しているようなシュクラの表情に、キーシュの体も自然と熱くなっていた。

 自分より少し大きな手を取り、促されるままベッドに腰掛けた。入れ替わるように立ち上がったシュクラが、まるで壊れ物を扱うかのようにキーシュの頬に触れる。


「キーシュさん、大好きです」


 囁くようにそう告げたシュクラの顔がゆっくりとキーシュに近づく。最初は触れるだけのキスを、それから啄むように何度も唇を合わせた。

 不意に下唇を甘噛みされ、キーシュの肩がふるりと震えた。ジンと広がる甘い痺れを感じるのと同時に、うなじにゾクッとした快感が走り抜ける。


(発情してるわけじゃないのに、体が熱くなってきたな)


 うなじを噛まれたときの発情もそれほど強いものではなかった。シュクラも少し驚いていたようだが、それでも何とかうなじに噛み痕を残すことはできた。「次の発情のとき、もう一度噛みましょう」と言ったのはシュクラで、キーシュもそうしてほしいと願っていた。


(でも、その発情がいつ来るかわからないのがな)


 Ωは大抵三カ月か四カ月に一度の割合で発情が来る。しかしキーシュは軽いからか見逃すこともあって周期がよくわからない。発情していなくても交わることはできるが、できればΩらしく発情して交わりたいと思っていた。


(そのときもう一度噛んでほしい)


 いまの噛み痕は想像していたより薄い。合わせ鏡で何度も確認したが、あまりの薄さに「これじゃ噛み痕には見えない」と何度も思った。

 今度こそはっきりした噛み痕を刻んでほしい。自分はシュクラのものだと周囲にわかるくらいはっきり噛んでほしかった。日が経つにつれてその気持ちは段々と強くなっている。


「ん……」


 キスをしながらシュクラの指がキーシュのうなじを撫でた。それだけでも気持ちがよくて甘い声が漏れてしまう。最後にもう一度柔らかく下唇を噛んだシュクラが、ゆっくりと離れていった。


「キーシュさん、やっぱりエロいですね。エロくて可愛くてたまらないです」

「そんなことは、ないと思うけど」


 恥ずかしい内容なのに、シュクラに言われると胸がきゅんと切なくなる。これまで感じたことがない気持ちと興奮にキーシュはソワソワしていた。それなのに、どうしても羞恥が勝って「嬉しい」だとか「ありがとう」だとかを口にすることができない。


「いいえ、キーシュさんはエロくて可愛くて綺麗で優しくて、そして強い人だ。あなたは俺だけの最高のΩです」


 床に膝をついたシュクラがうやうやしくキーシュの右足を持ち上げた。そうして室内用の靴を丁寧に脱がせる。何をするつもりだろうとキーシュが見ていると、現れた素足にシュクラがそっと口づけた。足の甲に柔らかくも熱い唇が触れた瞬間、キーシュのうなじを強烈な熱が襲った。


「っ」

「キーシュさん?」


 得体の知れない熱に思わず目を閉じた。何が起きたのかわからず、ゆっくりと右手でうなじに触れる。そこにはほんのわずかでこぼことした噛み痕があるだけだ。


(これじゃ足りない。こんな噛み痕で満足できるはずがない)


 無性にそう思った。ずっと物足りなく思っていた気持ちが一気に膨れ上がる。

 わずかなへこみはたしかにシュクラの歯形だが、肝心の牙の痕はない。発情したΩに促されて発情しなければαの牙が現れることはなく、その牙に噛まれていないΩは番として不完全な状態だと言われている。Ω宮にいたキーシュは当然そのことを知っていた。だから次の発情のときにもう一度と考えた。


(いつ来るかわからない次なんて待っていられない)


 それでは遅すぎる。焦燥感にも似た熱いものが胸に広がっていく。


(僕を本当に手に入れたいのなら、いますぐ噛んで)


 いますぐ牙の痕を残してほしい。いや、そうすべきだ。そうすれば目の前のαは僕だけのものになる。僕に恋い焦がれ僕だけを乞い願うαになる。


「香りが……キーシュさんから香りが、」


 顔を上げたシュクラの言葉が途切れた。どうしたのだろうと見下ろすと、まるで息を呑むかのように黒目が見開かれている。


(あぁ、その目だ。その目でもっと僕を見てほしい)


 驚いているのに奥にギラギラした光が見える。真っ黒なのに真っ赤な炎が燃えさかるような眼差しに、キーシュの全身が総毛立った。


「シュクラ、僕がほしい?」


 気がつけばそんな言葉を投げかけていた。


「ほしい」


 シュクラがごくりと喉を鳴らす。その様子にキーシュが艶然と微笑んだ。


「じゃあ僕のうなじ、もう一度噛んでくれるよな?」

「もちろん」


 力強いシュクラの返事にキーシュは満足した。これでこのαは自分のものだ、そう思うだけでますます気分が高揚する。

 キーシュはシュクラの手にあった自分の足を静かに持ち上げた。そのままゆっくりとシュクラの顔に近づけ、先ほど足の甲に口づけた唇に親指でふに、と触れる。するとシュクラの唇が開き、伸ばした舌で親指の先をちろっと舐めた。そのまま吸いつくように指先に口づける。


「んっ」


 それだけでキーシュの肌が粟立った。うなじの噛み痕がジリジリと熱を帯び、早くと急かすように痺れ出す。


「シュクラ、僕を噛んで」

「仰せのままに」


 うやうやしく答えたシュクラは、再びキーシュの足の甲にキスをした。

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