第6話 大輪宮の妃と異国の花嫁
「赤い衣装も素敵だけれど、やっぱり目が覚めるような青もよく似合うわ」
そう言いながらにこりと微笑む正妃が手にしているのは妃用に仕立てられた高価な衣装で、当てているのはキーシュの体だ。複雑な気持ちになりながらも「ありがとうございます」とキーシュが恐縮する。
「そうだ、真っ白というのも似合うのではないかしら。そこに金糸で刺繍を施すの。袖と、それに腰から下の部分に刺繍を入れるのがいいわ。それに合わせる帯はやはり金色がいいと思うのだけれど」
「西の国にいるという天の使いのように見えると思わなくて?」と問いかけられた侍女たちが笑顔で大きく頷いている。その様子にキーシュは内心「まだ衣装合わせは続くのかな」とため息をついた。もちろん表面上は笑顔を絶やさないようにしつつだ。
(それにしても、僕が大輪宮に入る日が来るなんてなぁ)
正妃に呼ばれて来たわけだが、自分がここに皇帝の妃として入る可能性がまったくなかったわけではない。皇帝は金髪好きだという噂があったから、Ω宮に来てしばらくはそういう覚悟もしていた。いまとなっては過ぎた心配だったものの、当時を思い出すと感慨深くなる。
(そういえば、ルルアーナはしばらくはここに住んでたのか)
先日、皇帝に呼ばれ皇宮の一室でルルアーナに再会した。最後に会ったときよりも朗らかな表情にホッとしたが、大輪宮ではどんな様子だったのだろうかと思いを馳せる。もしルルアーナもこんな目にあっていたとしたら、青紫の目はずっと困惑していたに違いない。
(いまは大丈夫そうだけどな。それにあれだけ明るい表情だったということは、僕の心配は杞憂だったというわけだ)
皇帝には正妃以外に第二夫人がいる。しかも、どちらも帝国の大貴族出身だと聞いた。そんな中に異国人のルルアーナが入っては何かと大変じゃないだろうかと心配していた。しかし皇帝とルルアーナのやり取りを見て「大切にされてるんだな」ということがわかった。弟のように思っていたルルアーナの幸せそうな顔に、思い出すだけでキーシュまで嬉しくなる。
そんなキーシュの元に正妃から使いが来たのは三日前だった。「ぜひ大輪宮においでください」とのことだったが、なぜ自分が正妃の呼ばれるのかわからない。一緒に使いを迎えたキーシュも眉を寄せている。どう返事をしたものか悩むキーシュに代わり、シュクラが「承知しましたとお伝えください」と答え、大輪宮へ行くことが決まった。
(正妃様が優しい方でよかった)
そう思ったのは、シュクラに「正妃には十分気をつけてくださいね」と言われたからだ。大輪宮の入り口まで一緒に来たが、その間もずっと厳しい顔をしていた。
(てっきり難しい方なのかと思っていたけど、そんなことはなかった)
部屋に入るなり「まぁ、まぁまぁ!」と正妃自ら笑顔で迎え入れてくれた。西の国のお茶を飲みながら、尋ねられるままに祖国や蕾宮での暮らしを話した。その中で出たのが衣装の話だった。
「シュクラ殿は衣装合わせが得意だと有名なのよ。どのように素敵なのかずっと気になっていたのだけれど、その艶やかな姿を見たら納得したわ」
「ありがとうございます。ただ、自分には少し派手な気がするんですが……」
キーシュに着飾る趣味はない。持っている服も少なく、婚姻後シュクラが次々と新しい衣装を仕立て始めたのを慌てて止めたくらいだ。今日着ている衣装もシュクラが仕立てたもので、淡い山吹色に西の国で見るような鳥や花の刺繍が施されている。
「あら、とてもよくお似合いよ? 黄金の髪より淡い色の布地にしたのは、お顔立ちをぼかしたくなかったからね。若草のような瞳にも映えているし、刺繍も西の国の模様を特別に選んだに違いないわ」
熱心な褒め言葉には恐縮するばかりだ。キーシュはきらきら眩しい正妃の黒目からそっと視線を外し、お礼を述べる代わりにぺこりと頭を下げた。
「ふふっ、想像以上に可愛らしい方だこと。シュクラ殿が衣装をたんまり仕立てたがるのもわかる気がするわ」
「それには少し困っています」
「あら、殿方は自分が仕立てた衣装を着せたがるものよ? もちろん、そのあと脱がせる楽しみのためでもあるのだけれど」
「え?」
何かとんでもない言葉を言われたようなと顔を上げたキーシュに、正妃が「そうだ、衣装合わせを致しましょう!」と言い出していまに至る。
青地の衣装を侍女に渡しながら、正妃が「色合いは大体わかったわ」と口にした。
「けれど、わたくしが持っているものでは大きさが合わないわね。せっかくだから何着か贈りたかったのだけれど」
正妃の言葉にキーシュは慌てて「それはさすがに」と辞退した。
開花宮の妃であればそういうことがあってもおかしくないのだろうが、自分は皇帝の妃ではない。それなのに初対面の正妃に何か頂戴するのはよくないと、慌てて床に膝をつき
「あぁ、どうか畏まらないでちょうだい。今日はわたくしの我が儘で来てもらったのだから、あなたはお客様なのよ?」
「さすがにそれでは周囲に示しがつきません」
「あなたは陛下の弟殿下の妃なのだから、わたくしにとっては義理のきょうだいも同じ。誰の目を憚ることもないわ。それにわたくし、キーシュのことがとても好きになったの。どうか立ってちょうだい」
それでもなお頭を下げるキーシュの視界に美しい衣装の裾が入り込んだ。ハッとしたキーシュの前に正妃がかがみ、そっと二の腕に触れる。
「ね? どうか畏まらないでちょうだい?」
「ですが、」
「どうか、わたしくしのことはきょうだいだと思って?」
「しかし、」
「陛下にお叱りを受けることはないから安心してちょうだい?
正妃の言葉に恐縮しながら、キーシュはたおやかな手が二の腕や肩を撫でている感触が気になって仕方がなかった。
緊張を解すために撫でているのかもしれないが、たまに何かを確かめるようにクッと力が入ることがある。同じΩ同士なのだから気にすることはないのかもしれないと思いつつも、美しい正妃に触られていると思うと戸惑いと妙な罪悪感がキーシュの中にわき上がった。
「ほぅ」
正妃のため息が気になり、ゆっくりと顔を上げた。頬に手を当てた正妃が、うっとりした眼差しでキーシュを見ている。
「同じΩだけれど、体つきも触れた感触もこんなに違うのね。やはりΩの殿方というのは興味深いわ」
「あの、」
「こうした体つきに似合う衣装は、どういったものがよいかしら。殿方のような衣装ではつまらないし、かといって姫のような衣装というのも面白味がないし……そうだ! よいものがあったわ」
パチンと手を叩いて立ち上がった正妃が、控えていた侍女を呼んで何かを命じている。どうしたのだろうと目を瞬かせるキーシュに、正妃が「さぁ、立ってちょうだい」と言って手を差し伸べた。
さすがのキーシュも差し出された手を無視することはできない。畏れ多いと思いながらも添えるだけの形で手を載せ、すっくと立ち上がる。直後、箱を手にした侍女が正妃の斜め後ろに進み出た。
「そうそう、これなら体つきが違っていても大丈夫だと思うのだけれど」
そう言いながら箱から取り出したのは、裾が長い真っ白な上着のような衣装だった。羽織って腰紐を結ぶのか、淡い金糸で作られた紐も付いている。
「まぁ、やっぱり! これならあなたでも着られるわ」
正面に当てられた上着に、キーシュは「は?」と目を見開いた。形はたしかに上着に見えるが、上着と呼ぶにはやけに透けている。これでは羽織っても寒さを防ぐことはできないのではないだろうか。
キーシュが疑問に思っていることに気づいたのか、正妃がにこっと笑って説明を始めた。
「これは上着ではなく素肌に身に着けるものよ」
「……は? あ、いえ、あの、素肌にというのは……」
「夜着の一種と言えばわかるかしら。婚姻したのなら、こういう夜着も数着持っていたほうがいいわ」
手渡された上着を改めて見る。手にすると頼りない感触に破けはしないかと心配になった。それに持っている手が透けて見えることにも戸惑いを隠せない。
「中に下着を着けては駄目よ。こういうものは素肌に着るのがよいの」
「……しかし、それでは」
「はっきり見えないところが殿方にはたまらないのよ。胸は見えてしまうかもしれないけれど、下半身は布が重なるから見えそうでいて見えないようになっているの」
キーシュは目眩がした。Ω宮には発情したΩのための道具に加え、皇帝を喜ばせるためのこういった夜着もたくさんあった。しかし、そういうものを正妃に勧められるとは思ってもみなかったのだ。
「あの、正妃様、」
「まぁ、正妃様だなんて他人行儀だこと。わたくしのことはレイリンと呼んでちょうだい」
正妃の名がレイレイリンだということはキーシュも知っている。だからといって名を呼ぶことはあまりにも不敬すぎる。
「さすがにそれはできません」
「わたくしが呼んでほしいの。もちろんレイリン姉様でもよくってよ?」
「それでも…………あの、それでは、レイリン姉上で……」
微笑みを浮かべる正妃から得体の知れない気配を感じたキーシュは、面会前とは違う緊張感に包まれながらかろうじてそれだけを口にした。「姉上と呼ばれるのも素敵ね」とにっこり笑った正妃がキーシュの手に触れる。
「それからもう一つ。Ωはαのいいなりではないわ。Ωはαをかしずかせ愛を乞わせるものよ。あなたにはその力がある。あなたのようなΩが帝室に入ったこと、わたくしはとても嬉しく思っているの」
静かに告げられた言葉に、キーシュは体の芯が震えるような気がした。決して強い声ではないのに首が粟立つ。発情のときにシュクラに噛まれたうなじがカッと熱くなるような気さえしていた。
「この夜着はわたくしからの贈り物よ。次に来るときには素敵な衣装を仕立てておくから楽しみにしていてちょうだい」
にこりと微笑まれ「絶対よ?」と約束させられてしまった。そうして夜着の入った箱を持たされたキーシュは、戸惑いのような困惑のような気持ちを抱えたまま控えの間にいるシュクラの元に帰った。
屋敷に戻ったキーシュは、ようやく落ち着くことができた。大輪宮でのあれこれを思い出しながら、正妃に衣装を頂戴したことをシュクラに話す。本当なら箱の中身を見せるべきなのだろうが、目的を聞いてしまったからか見せるのがためらわれた。さり気なく箱から注意を逸らそうとしたものの、そんなキーシュの態度に気づいたシュクラがあっという間に箱を開けてしまう。
「これを正妃が?」
「ええと、僕に衣装を贈りたがっていたみたいで、だけど僕の体に合うものがないからって」
「それでこれを?」
シュクラの声が一段低くなる。悪いことをしたわけではないのに居たたまれなくなったキーシュは、夜着を見つめるシュクラからそっと視線を外した。
「キーシュさん、これを着たいですか?」
「え!? いや、そんなわけないじゃないか」
いくら自分がΩでも、さすがにこれは着られないとわかっている。そもそも男の体が透けるのを見て楽しいと思う男はいないはずだ。しかもシュクラに娶られてからも力仕事をするからか、いまだにうっすらと筋肉がついた体をしている。そんな体にこうした衣装は滑稽なだけだ。
(そりゃあ、ちょっとだけシュクラの反応を見たい気はするけど)
そう思った自分に驚きブンブンと頭を振る。
「よかった」
「当然だよ。僕はそういった夜着は着な……」
「俺が仕立てるので、そっちの夜着を着てください。あぁ、これは参考にさせてもらうので預かりますね」
「え?」
「キーシュさんは肌が白いから、白より少し色味があるほうが絶対に似合います。このくらい透けるなら赤色のほうが断然色っぽい」
「は?」
「せっかくだから何着か仕立てましょう。そうだ、専用の下着も作りましょうか。夜着がこの薄さなら紐は極々細いものにして、覆う布も夜着に響かないように薄いほうがいいでしょうね」
キーシュは無言で立ち上がった。破廉恥すぎる内容に居たたまれなくなったからだ。真っ赤になっているであろう顔を見られたくなかったキーシュは、そのままくるりと背を向け無言のまま部屋を出て行く。
(冗談にしても破廉恥すぎる)
ところがシュクラは冗談を言ってはいなかった。それがわかったのは十日と少し経った頃で、満面の笑みを浮かべたシュクラの手には極上で極薄の夜着と下着を入れた箱があった。
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