人魚隠しし灯篭流し

淡雪みさ

序章

ある老婆の話





 そこの若い衆。見ぃへん顔やね。どこから来はったん。


 東京? 新聞記者?

 ……ああ、あの島か。


 あの島に行くんは、やめといた方がええ。そもそも行く手段がないしな。この距離を泳げるんやったら別やけど。ここから眺めとる分には近う見えるけど、実際行こうとしたらお船がいるで。


 それに、先の戦争では少しの間戦地になったみたいやけど、元々あそこは立ち入り禁止や。足を踏み入れると二度と戻ってこれんて噂があって、村の人間はだぁれも入ろうとせん。実際、あそこで戦った兵隊さんは消息を絶っとって、捜索もされてへんらしい。



 あそこは、うちの村とまだ陸続きになっとった頃に、例のあれを封印した場所なんよ。……ああ、そんなことも知らんと来たんか。新聞記者言うても、大した情報網はないんやねえ。

 何? まだ新人? ああ、そうか、話の種が欲しくて必死なんやね。ええよ、あんたはわしの孫に似とるから、聞かせたる。



 あそこにはなぁ、神さんが棲んどるんや。



 うちの村の山の上に、古びた鳥居があるやろ。元々あそこで祀っとった神さんを島に移動させて、災いを収めたんや。


 灯篭流し、て分かる? 水に関することで亡くなった死者の魂を弔うために、火を灯した灯篭を、海に流すやつ。うちの村では水難事故が多くて、伝統的に灯篭流しをしとってんけど、その頃から灯篭流しの意味合いは変わってしもうたらしぃてな。



 あの島に閉じ込めた神さんに許しを請うために、毎年村人全員が謝罪のふみ書いて、組み紐で結んで流すんよ。組み紐は、うちの村有名やろ。伝統工芸とも言われとる。職人さんが作りはったそれで結ぶんや。



 ああ、それは知っとるんか。村のことは調べてきはったんやね。礼儀はある子や。

 わしも子供の頃は書かされた。その頃はまだ文字もよう書かれへんかったけど、親に教えられて、真似してよう意味も分からんまま謝罪の手紙を書いて、あの島に向かって流したわ。


 でも、当時の村の若い娘に、変わったもんを島へ流した子がおってな。……ふ、そないに前のめりにならんでも。わしの話ばっかり聞いとらんと、お茶も飲みなさい。折角出したんに、冷めてまうわ。



 恋文や。その娘は、神さんに向かって恋文を書いたんや。



 それも一度や二度やない。幼い頃から何年も続けて、毎年謝罪文やなくて恋文を送っとったらしい。


 それが発覚する前から、わしはその娘のことを知っとった。その娘の家は酷い言われようやったからね。戦地へ向かった夫を除けば六人家族で、子の五人とも女の子やったんよ。男の子はお国のために兵隊に出せるけど、女の子はそうもいかんやろ。子は沢山おるのにお国に貢献できてへんいうてあの家はずっと白い目で見られとった。畑に嫌がらせもされとった。


 でも、娘さんは強かった。過激言うんが正しいんかな。病弱な母親の代わりに、畑を荒らした犯人をつき止めて家を燃やした。それから村人はその娘のことを気味悪がって、なんもせんようになった。



 その後や。娘さんが送ってるんが恋文やて発覚したんは。娘さんの妹が、家に置いてあった灯篭流し用の文の組み紐を解いて開けたんや。何でも、自分が送る予定の文と間違えたらしい。謝罪文に誤字があったことに気付いて、慌てて直そうとしたんやて。でも、中から出てきたんは恋文やった。


 口の軽い子やったから、そのことは一気に村中に広まった。

 正気やない、お前が謝罪せえへんかったせいで村が襲われたらどうしてくれるんや、言うて村人たちからは非難轟々やった。わしも当時は神さんがお怒りになるんちゃうかってひやひやさせられたわ。



 ただ、娘さんはその頃から何やおかしかってん。気が触れたみたいにぼうっとしとることが多なって、村人に暴言を吐かれても虚空を見つめてはは、はは、て笑いよるんや。そのうち娘さんのお腹が大きくなってきて――そう、娘さんは妊娠しとった。


 皆戦争に駆り出されとる時期やから、そないな相手なんかおらんはずやのに、娘さんのお腹はどんどん大きくなっていく。 酷い妊娠悪阻で、何度も嘔吐しとった。


 その後、娘さんは死んだ。寝床で一人静かに死んどったらしい。娘さんの死体の下には、卵があったんやて。


 信じられる? 卵。ぎょうさん、卵があったって。いや、わしは見てへんよ。そんな話、気持ち悪いやんか。怖くて近寄れんわ。人づてに聞いただけ。何やその顔。わしのこと疑ってるんか?


 その卵どうしたって? さあ、わしは直接は関わってへんから詳しいことは分からんけど……何か不吉なことが起こっても困る言うて、しばらくはその卵を祀っとったんちゃうかな。戦争が終わった頃に、闇市で売られたとも聞いとる。確かやないけどね。



 それからまたしばらくして、村の子供が神隠しに遭うようになった。村の子供言うても、もうほとんどおらんかったけど。


 神さんが子供を攫うんや。我が子を捜しに来るんやて。子供を攫って、名前を奪って、その子の大切にしていた記憶も奪ってしまう。そして、その子供が我が子でないことが分かれば、呆気なく殺してしまうんや。


 え? 攫う前に分からへんのかって? さあ、分からへんのちゃう。神さんは人間を見分けられんらしいよ。わしらも、同じ種類の虫並べられても違い分からんやろ。そういうもんや。



 祀れば何でも神さんやからね。あれは、人に幸福をもたらすような、有り難い存在やない。もっと言い表せんような、化け物や。


 わしは戦地で我が子を、長男を亡くした。骨も帰ってこうへんかった。しかも、大日本帝国は戦争に負けた。やからわしはな、二度とあんな思いはしとうなかった。


 自分の孫の命だけは惜しかったんや。一人にされとうなかった。やから身代わりにしたんや。わしの家の、隣の家に住んどった子供を身代わりにした。怖いね、人間は。わしはそこの家の人とは仲良うしてて、戦時中の食糧が少ない時期も食べれる草を分け合って協力しててんけど、いざとなるとやっぱり我が子の方が恋しかった。どれだけ非人道的でもええと思った。



 え? いきなり何の話やって? ふふ、何の話やろか。神さんがわしの家まで我が子を迎えに来た時の話よ。ああ、また信じてへんね。ええよ、信じてくれんくても。


 ただ、その夜、家の戸の外で、神さんはわしにはっきりこう言った。「こをかえせ」と。わしはな、その時自分の孫を抱えて、孫の息の音が聞こえへんように顔をわしの服に埋めさせて、ここにはおりません、て返したんや。隣に焼けた家があります、その家の隣に、子が住んでいますって。


 戸の前にいた「何か」はずるりずるりと音を立ててわしの家の前を去っていった。しばらくして、ずうっと静かやったのに、ようやくいつもみたいに夏の虫の声が聞こえてきたんや。ほら、虫の声とか蛙の声、今も聞こえとるやろ。田舎特有の音や。夜を静かにしてくれん。


 虫の声聞いて安心したわしは、そこでやっと隣の家の子の顔を思い出して、なんや罪悪感が湧いてきて、様子を見に海辺まで行ったんや。



 わしはその時、見た。

 浜辺で、子供を攫ってあの島まで連れて行こうとする神さんの使いの姿を。




 ――――……あれは、人魚やった。





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