第35話 呪いの果てに……
エルと俺は崩壊した迷宮都市マグマライザの瓦礫の上へ着地した。
――魔力値限界。【ソウルリンク】解除――
そんな表記が目の前に現れ、俺は元の無骨なマクシミリアン式甲冑へ戻る。
途端、エルに装着された俺から黒い瘴気が霧のように溢れ出た。
(装着、解除……)
心の中でそう念じる。
ずっとエルに張り付いていた胸当てが、脛宛が、ガントレットが次々と離れて行く。
「あ、えっ……?」
次々と自分から離れて行く俺のパーツへ、エルは戸惑っていた。
しかし、俺は粛々と分離作業を継続して行く。
最後に鉄兜が首のところへ戻れば完成。
エルをようやく解放することのできた俺は、元のリビングアーマーに戻った。
そして近くの瓦礫の上で靡いていた、真っ赤なマグマライザの徽章を、ほぼ下着姿同然で蹲るエルの肩へかけてやったのだった。
「鎧さん、どこへ……?」
「……」
俺はエルに背を向けて、歩き始めた。
(もう俺の言葉エルに届かない。だからこれで良いんだ)
自分自身に真実を突きつけて、迷宮を目指して歩き続ける。
(今の俺はリビングアーマー。こっちの世界の住人じゃない。闇の眷属は、闇の中で暮らすのが道理)
ずっと感じていたエルの熱、鼓動、息遣い。
中身が空っぽの、ただの動く鎧と化した俺の中には何もない。
もはや意思がある以外はおよそ人間的な感覚の無い身体に空しさを覚える。
そんな気持ちはエルとの別離を止めさせようと必死の抵抗を試みる。
(それは人間だった頃の感覚が欲しい俺自身のわがままだ。そんなわがままにエルを巻き込むわけにはいかない。だから、これで良いんだ。これで……)
その時後ろで真っ赤なマグマライザの徽章がひらりと舞った。
ガシャリと背中に何かが、思い切りぶつかって来る。
「エル……?」
「あっ、やっぱりこうするとお兄さんの声聞こえますね。ちょっと音は悪いですけど」
俺の胴へ腕を回して抱き着いてきたエルは、長耳を背中の装甲に押し当てていた。
「離れろ」
「……」
切り捨てるように冷たく言い放つ。
しかしエルは離れようとしない。
「君にかかった呪いは解除された。だから君はもう俺の傍にいる必要は無い」
俺に心臓というものはない。
本心とは裏腹の言葉に何故か胸が痛むのような感覚を得る。
しかしそれは俺のわがままでしかないし、エルのためにもならない。
俺はグッと沸き起こった想いを飲み込んだ。
「君は冒険者で、俺はモンスター。住む世界が違うんだ。だから我々はもう二度と……」
「それが何なんですか? 冒険者だからとか、モンスターだからとか関係あるんですか?」
予想外のぴしゃりとしたエルの物言いだった。
「それは……」
「ようやく会えた、お兄さんに……」
エルの腕が更に俺をきつく抱きしめ離さない。
「お兄さん?」
「覚えてますか? 100年前、エルフの島でのことを……」
「……まさか君はあの時!? あの、”エル”なのか!?」
100年前、俺はとあるエルフの島で少女を助け、暫く寝食を共にした。
彼女は俺を慕い、俺自身も彼女のことがまるで娘のような、妹のような感覚を抱いて接していた。
そのエルフ少女の名前こそ【エル】
(まさかこうしてまたあの【エル】と再会するとは。なんてことだ……)
「もう会えないと思ってました……」
エルの丸い瞳から、ぽたりと涙が零れ落ち、装甲を濡らす。
「だってお兄さんは人間で、私はエルフ。私が旅立てる頃、お兄さんはもうこの世に居ない。ずっとそう思ってました」
「……」
「でも、また会えました。こうして一緒に、約束通り冒険ができました! 出会った時から、なんか初めてあった気がしなかったのは、こういうことだったんですね!」
「エル、君はまだあの時の約束を……」
俺はあの時嘘をついた。
本当は俺とエルは一緒に冒険などできないと分かっていた。
だけど俺はその真実を伝えるのが辛くて「いつか一緒に冒険をしよう」と言ってしまっていた。
身体の感覚は無いが、今でのその時のことを思い出すと、胸が張り裂けそうな感覚に陥る。
その時、俺に抱きつくエルの熱が、カッっと一気に上昇した。
「お兄さん! 貴方はずっと私の憧れで、先生です。だからこれからも私に色々と教えてください! 一緒に居てください! 一緒に旅をしてください! お願いです! もう離れたくないんです!!」
リビングアーマーの俺に、人間のような体の感覚は無い。
しかしエルから感じる熱は、俺が失った体の感覚を思い出させた。
胸の奥がじんわりと熱を持つ、そんな感覚だった。
それはかつて自分が付いた”いつか一緒に冒険しよう”と伝えた嘘の懺悔なのか、否か。
(全く、鎧になってからなんでこんなに美味しい場面ばかりに出くわすんだ。俺はツイてるのか、ツイてないのか分からんな)
意思が固まった俺は空虚なガントレットの拳を強く握りしめた。
「……エル、君は冒険者としてまだまだだ。だからこれからもビシバシと指導するぞ。それでも良いのか?」
「はい! 頑張りますっ!」
健気で、そして元気一杯にエルは返事を返した。
「ちゅるん!」
そんなエルの肩へ、シルバースライムのライムが飛び乗る。
「はいはい、いちゃいちゃはそこまで! とりあえず帰るわよ!」
遠くからローリーの声が響いた。
「行きましょうか?」
エルはぴょんと俺の背中から離れて、笑顔を浮かべる。
その愛らしい笑顔に、俺はうっかり視線を奪われてしまう。
「ああ、そっか。離れてるとお話できませんね。もう一度くっ付いて貰えますか?」
「……!?」
エルはそっと俺のガントレットを手に取った。
「遠慮しないでください。さっ、どうぞ。お兄さん!」
(全く……こんな優しい笑顔をみせられちゃ堪らないな……それでは遠慮なく!)
魔力を発動させ、全身に打ち出された無数の
輝きは俺を様々なパーツへ分解させた。
エルの細い腕はガントレットに覆われ、少し物足りないがそれでもエルらしい胸へ金属の胸当てが吸い付く。
俺は再び、エルに装着するのだった。
「うん! やっぱ、この重み落ち着く! えへへ」
「エル、本当に良いんだな……?」
「もう、鎧さんしつこいですよ? そういうの良くないと思います」
エルは鉄兜の中で頬を膨らませた。
「す、すまん……」
「鎧さん、もっと女の子の扱い方勉強した方が良いですね?」
「善処する」
「あの、ところで一つ聞いても良いですか?」
「なんだ?」
「お兄さんの本当の名前、知りたいです。100年前、聞きそびれちゃいまして……私、あなたの本当のお名前を知りたいんです……」
鉄兜を取り戻したことで、俺は記憶の全てを取り戻していた。
ヤタハ工房の駆け出し鍛冶師だったローリーと意気投合し、暫くパーティーを組んだこと。
エルのように冒険者に襲われていたシルバースライムを気の毒に思い、助けたこと。
そして、南のエルフの島で、可愛いエルフの幼子を助けて、暫く生活を共にしたことを……しかし、そんな大冒険を繰り広げた人間の俺は死んだ。今ここにいるのは……!
「俺は、”
「えっ? でも、それって……」
「俺は、エル、君の鎧だ。君の盾となる、世界でたった一つの、君だけの、人鋼一体を成した鎧だ!」
エルは鉄兜の中で優しく、ほぅと息を吐く。
「……わかりました。それじゃあ改めて! 鎧さん、どうか末永く、私を宜しくお願いしますね!」
「こちらこそだ、エル」
神様の悪戯か、鎧に転生してしまい、100年後の世界にたどり着いた俺。
きっと人間だったころの同族の知り合いは一人もいないだろう。
もはや俺には帰る家も、家族もいない。
だけど、こうなったおかげで俺は、また彼女に出会うことができた。
ドジで、おっちょこちょい、そして重度の金属フェチ。
戦闘で調子に乗ると妙な技名を口にするし、文句も多い。
だけど、明るく、元気で、いつも前向きで、一緒にいて心が躍り、何より可愛いエルフの少女――それがエルだ。
(正直、いつまで一緒に居られるかは分からないがな……しかし!)
こうして奇跡の再会できたのだから、鎧としての第二の人生を思う存分楽しまなければ。
この元気で一生懸命なエルフの少女のために、俺のできることをしたい。
俺はそう決意を改め、エルと共に新しい一歩を踏み出すのだった。
「さぁエル、まずは体力作りのために宿屋まで駆け足だ!」
「えー、今日は疲れたからそういうのはまた今度にしましょうよー」
「つべこべ言わない! ぐずぐずしない! ほら、ダッシュ!」
「ひぃー! 鎧さんの鬼畜ぅー!」
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